大人の階段
「そんじゃ、あらためて。うずまきナルト、奈良シカマル、17歳の誕生日おめでとう!」
カンクロウの乾杯の音頭とともに、オレンジジュースの入った陶器の杯がかちんかちんと音を立てる。砂の里、風影用住居区域の一室での小さな宴。今日は、カカシとナルト、シカマルが任務の途中に砂の里へ立ち寄り、風影の来賓としてこの部屋に宿泊することになっている。
「カカシ先生も一緒にお祝いすればよかったのになぁ。」
「カカシ先生だって年齢近いバキ上忍と飲んでる方がいいだろ。」
ナルトとシカマルは、風の国の意匠がある円形の和室にて、主催の三姉弟と夕飯を囲んでいる。歓迎の乾杯はカカシもバキも加わってさきほど行われたばかり。世代格差を感じるのか、早々に二人は連れ立って夜の街へ繰り出していた。
「ありがとな、我愛羅。すっげぇ嬉しい。」
「オレまで、悪ぃな。」
「気にするな。風影サマは、書簡を受け取った直後に積極的にオレたちに指示出してたじゃん。」
「そうそう。準備したのはカンクロウと私だからな。そしてお前はついでだから気にしなくてもいいぞ、奈良。」
「…おい。」
「二人とも、短い時間だがゆっくりしてくれ。」
「オレより今は年下なのに、すっかり里の代表っぽいってば…。」
「でも、やっと17歳か…酒が飲めるようになるまではあと3年かかるな。」
つまらないな、と二月ほど前に飲酒可能な年齢に達したテマリがぼやいている。乾杯の1杯目はジュースに付き合っていたが、2杯目からは葡萄酒を手酌でついでいた。
「もう飲ます気かよ、テマリ。」
「一人で飲むのは面白くないじゃないか。お前は来年だからな、楽しみだ。」
「テマリ、今日は酒はなるべく控えてくれ。旧知とはいえ来賓だ。」
「なんで?」
「……お前、酔い始めると大変だからじゃん。」
悪酔いはした覚えはないぞ、と、納得がいかないらしいテマリは眉に皺をよせる。酔った状況に居合わせているであろう弟2人は無言を通している。
「姉ちゃん酒乱か?飲んだら凶暴化しちゃったりなんかして――。」
悪戯な表情でナルトは笑う。試してみるか?と嘯くテマリ。
「テマリは肝心な部分の記憶がないんだろ…。おい、シカマル。ちょっと…。」
耳かせ、と、カンクロウはやたら抑えた声で正面に座るシカマルを呼ぶ。
「テマリにあまり酒を飲まさないようにしろよ…。」
「本当は弱いのか?」
「いや、気分悪くなるとか二日酔いとかは無いんだけどよ。スイッチが入ると……面倒じゃん。」
「どういうことだ?」
「……ちょっと、な…。」
「…?」
ぼそぼそと気取られない程度に2人が密談をしている向こうで、ナルトが任務についての武勇伝を誇張ぎみに話している。話題の渦中のテマリは我愛羅と一緒に時折言葉を返しながら、楽しそうに耳を傾けていた。
※
暮らす国の距離のせいで滅多に会えないのもあり、取り立てた話題はないがずるずると時間は過ぎていた。一応、先刻注意されたこともあるので、テマリの酒瓶の中を確認しつつ、専ら正面のカンクロウのカラクリ人形談義に付き合う。
カンクロウの戦法は、比較的短気なその性格に似合わず、実に緻密な物語性の中で成り立っているらしい。ずいぶんと熱を込めて傀儡について説明してくれるので、聞入ってしまう。
「?」
机の下に伸ばしている足にコツンと硬いものの感触。覗いてみると空き瓶が転がっている。視界の端に入る酒瓶を満たしている水位は半分ほどで変化がなかったはずだが。そして、ここには酒を飲んでいる人間は1人しかいないはず――。
「カンクローぅ!」
「いてッ。」
ばしん、と軽快な音がしたかと思いきや、ラリアートを食らわせたような形で横の弟に抱きつく人がいた。あーやっちまったか、と、顔をしかめるカンクロウに頬擦りをしている。
「お前はかわいいなあ。」
「はいはい。」
「姉さんに甘えていいぞー。」
ぎゅうぎゅうと抱きしめる…というよりは力いっぱい締め付けているようにも見える。エスカレートしていく愛情表現を、ナルトとオレは息を詰めて見守る。
「――苦しいから、そろそろ離して欲しいじゃん…。」
「姉の好意を素直に受け取れ!」
弟の懇願をしぶしぶ聞き受けて体を離したが、今度は両手で顔を挟み、うにうにと頬をいじっている。
「今日はこのへんで勘弁したげる。」
「…ありがとよ。」
乱れた衣服を、何事もなかったように正しているカンクロウ。
「…おい、いつもこんなんなのか?」
「ああ、我愛羅とオレににひたすら絡むじゃん。」
――ひたすら、おれらは耐えればいいんじゃん…。豪胆な姉と淡白な弟にはさまれて一番苦労があるのだろう。なんだか同情していいると、反応がよろしくない弟に飽きたのか、テマリの食指が末っ子の方へと移っている。
「我愛羅ー。」
「…何だ。」
「愛してるぞぉ。」
ちゅ、と頬に口付ける。見ている方がどぎまぎしてしまった。当の本人は至って平然としている。
「ああ。」
「お前、最近かわいくないなー!」
――前はもっと可愛い反応してくれたのに…姉さんは悲しい…。ぼやきながらべたべたと絡みついている。されたい放題の我愛羅に、今まで硬直して場面を見守っていたナルトがおずおずと口を開いた。
「なあ、姉ちゃん、大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫ー。」
新しい人物の参入で、テマリは末っ子を手放す。期待に満ちた目でナルトを見ている。
「ナルトは飲まない?」
「ねえちゃん、オレってばまだ17歳…。」
――そうかあ、でも、ちょっとぐらいいいじゃない。テマリは視線をそらさない。
「ナルト、ちょっと付き合ってくれ。」
「?おう。」
テマリがぶつぶつ言っている内に、我愛羅がナルトに少し改まった声音で話しかけた。
「武具の試作を見てほしい。…テマリ、悪いが執務室に少し出る。大丈夫だな?」
「姉さんを馬鹿にするなよ?気にせず行って来い。」
なるほど、上手く逃げたな。心配すれば逆に応えようとする彼女の気性を良く理解している。
「…カンクロウ、ちゃんと面倒みろ。」
「へいへーい。」
堂々とした密約はテマリの耳には入っていないようで、つまんないなあ、なんていいながらさらに手酌で酒を注ごうとしていた。思わず傾けられる酒瓶を力技で取り上げる。
「あんた、もうやめとけって。」
「…飛んで火にいる夏の虫じゃん。」
「は?」
「自力で頑張れよ。」
「え?」
なんだか不吉なことをつぶやくので問い質そうとすると、いつのまにやら逆側から回り込んできたらしいテマリに、がしりと肩に手を回された。
「奈ー良ーくん!」
道端で久々に学校の同級生と出くわした時のような調子。
「ま、飲んでのんで!」
ぎゅうっと体を密着させてくる…胸部を押し付けんな。
硬直する自分から机を挟んだ位置で、カンクロウが傍観を決め込んでいた。忠告したのに止められなかったお前が悪い、と顔に書いてある。…こいつ、こうなることを大いに予測してたな。
「…おい、この人どうにかしてくれよ。」
「こんなのは序の口じゃん。忠告しておくが―無理に逆らうと、火に油を注ぐことになるぜ。」
巻き込まれない位置で、杯にテマリの飲みかけの酒を注いでいる。お前もまだ未成年じゃねえのか、オレを酒の肴にする気か?心中で叫んでいると顔に片手を添えられ、ぐぎぎ、と無理やり顔ごと視線を強制移動させられた。
「どぉこ見てるんだ…お前?」
酒くさ―――近い、近い、近い!いつの間にやら、投げ出していた両足の間に入り込まれ…というかオレの右足の上に体を半分乗っけている状態だ。加えて、潤んだ瞳で上目遣い。お前、いっぱしの砂の上忍だろうに、無防備すぎじゃ……、
「私の酒が飲めないかー?」
ぎゅぎゅっと襟元を押さえつけてくる。さすが力強え…感心している場合ではないだろう。逆の手では杯をずいずい口元に押し付けてくる。至近距離から耳元に吐息がかかった。
「はい、あーん。」
「お、い…落ち着けって!」
落ち着けおちついてくれっていうか落ち着こうぜ、オレが。あー。
テマリの明るい茶色の髪の向こう側で、無言でバンバン床を叩いて笑いをこらえているカンクロウが見えた。あんのやろう。
無理やり杯を奪い、彼女の手の届かないところへと机の上を滑らせる。下手すれば絞め殺されかねない両手を捕まえ動きを防ぐ……指を絡ませんなって。なんなんだ。
まあいい。ひとまず防御はできた。最善最適な解決法を見つけ出すべくさまざまなパターンをシミュレーションしてだな…ていうかこういう時に使うもんだろう、オレの技。ちょっと間の抜けたタイミングではあったが、絡められていた手を解きすぐさま印を結ぶ。
自分に手が届かないように、その両手を磔るように左右へ伸ばさせる。よし。
「ぁ……ゃあ―――。」
「!」
急激な動きの反動で首周りに負担がかからないようにと、項と顎を影で固定した自分の配慮が裏目に出た。やたら艶のある声を出すので慄いて術を解く…オレの技は実践では想定外にキケンな代物だったらしい。
垂直に縛り上げられていた拘束が急にはずされたせいで、テマリが均衡を崩してこちらに倒れ込む。とてつもなく申し訳ない気分で無防備な身体を抱きとめたのは良かったが…、やたら柔らかいし、甘くて淡い石鹸のような香りがするし…もう、なんだか体の力が抜けてきた。
「すきあり!」
止めのように、額に柔らかく温かい、湿った感触。
「―――。」
「シカマル、瞳孔開きかけてんぞ。」
酒を舐めながら笑いを腹の奥に抱えて、正面にいる弟がコメントをくれる。ドツボにどんどん突っ込んでいくじゃん――まったくもって他人事。何気に机をこちらから遠ざけるように引いている。
「お前、奪われちゃうかもじゃん。」
「…何を…?」
…ひひひひ。と下卑た笑いをする。お前は姉のことをもう少し大切に考えた方が良いんじゃないのか。
「うあっ」
無邪気な酔っ払いに両肩をぶんぶんと前後に揺さぶられ、ちょっと遠方へ出掛けていた思考力が戻ってきた。
「なきむしくーん?」
「…ヤメレって…。」
――頼むからそろそろ勘弁したって下さい。その無邪気な…それでもどこか酔って濡れた感じのあるその笑顔はどうなんだ。……あぁ、もうなんだか面倒くさい。目をそらして、顔をしかめる。
「…かぁわいー!」
「!」
抗う暇もなく抱き込まれた。最初に理解したのはその柔らかさ。そして次に温かさ。普段は防具で押さえつけているせいであまり強調されてなかったが、結構……これはもしかしてラッキ……いやいやいやいや…やべ、真面目に息苦しい。
なんだか、思考回路がぐるぐるしてきたのは気のせいではない。
残り少ない理性の中、自分は最後の反撃を仕掛けるために思考力をかき集める。
――そうだ、このまま女のペースでコトを進められるなんて、この先に自分の優位性を確保するためにも断固として阻止しなくては。……だいたい、こんだけオレが女に抵抗力がないのは親父のせいだ。一家の大黒柱が徹底的にその妻の尻に引かれているような核家族に生まれ、自我が形成される過程すべて、潜在意識の髄までそんな夫婦観なるものが染み付いている、オレには。だからこそ――だからこそ、だ。断固としてそんな女性主体の関係に甘んじるわけにはいけない。っていうか、人生の初めてが酔って意識の無い女に奪われるってのはどうなんだ?それを一生背負って生きていけるのか?無いな。…でもって、そろそろ立ち上がらないと、ありえない窒息死が近づいているじゃないか。まずい。本気でまずいぞ。歩み始めた前途を輝けるものにすべく、今こそ戦えオレの理性!
不退転の心で勇気を振り出し、力いっぱい胸に閉じ込めようとする二の腕をつかみ、押し返した。頭のいいやつは大変だねぇ、なんて、しみじみとしたつぶやきが耳に掠めるが気に留めてはいけない。
深呼吸をし、面を上げ、正面至近距離の敵に改めて向き合う。
視線が合うと、ゆっくりと距離を縮めてくる。
敵の先制攻撃は――上気した顔でふわりと笑った。
「シカマル。」
――ありなんじゃね?
誰にでもある青春の一ページに美しく収まるだろう。
いいんじゃねぇの、若気の至り。
「。」
身を任せて目を閉じた次の瞬間、目裏に瞬く星が見えた。痛い。本気で痛い…ガツンと後ろへとなぎ倒されたらしい。舞い込んで自分を押し倒した砂には僅かな躊躇も容赦もなかった。
「だ、大丈夫か?シカマル……。」
「カンクロウ、お前、テマリの面倒をちゃんと見ろ。」
火影を目指して邁進する友は、自分の身体を案じてくれている。
その隣に仁王立ちしている風影さまはこちらには目もくれない。
オレは砂の攻撃と、密度の濃い時間による精神的なダメージから立ち直れず、背面の壁から打ち付けられた体勢のまま動けずにいる。
散々人を見世物パンダ扱いしてきた奴がゆっくり近づいてきて、目の高さを合わせるように腰を折った。
「いやあ、まんま初めての時の我愛羅と同じ展開だったな、シカマル…お前にはまだ刺激が強すぎたか?意外に女に免疫がないんだな。」
――クールで頭の切れるエリート候補で、モテル側になったって聞いてたのにな。
「でも、テマリがオレたち以外にそんな風に絡むなんて珍しいじゃん…すごいな、お前。テマリにこんなに許されてるなんて。」
少し泣きそうになっていると、優しくぽんぽんと肩をたたかれた。
「弟扱いだけどな。」
酒を飲んでいないにもかかわらず半分酩酊の中にあった自分の頭でガツン、という音がした。甘い夢から覚めたばかりの現実は限りなくシビアである。
「からかい甲斐のある義弟ができて、嬉しいじゃん。」
視線の向こうには、うにゃうにゃと半分睡眠に突入したまま、密度の濃い抱擁をせがむ姉。そして、成されるがままにして受け入れている自分と同い年の彼女の弟。
(…姉弟って…兄弟って…。)
一人っ子の自分が、刺激の強い未知の世界に足を踏み入れてしまった、この夜。
一方的に虐げられて大人への階段をひとつ上らされたにもかかわらず、当のご本人は何一つ記憶がなかったことが判明するのは、翌日の朝。
-了-