例えばこんな未来


「なぁに、緊張してんだよ」

 一緒に時間をつぶしている甘味処で、自分の向かいに座るテマリは、注文した大好物の甘栗ぜんざいに手をつけることなく、視線を机の上ではふらふらとさ迷わせていた。
 時折、疲労が溜まったときのようなため息をつく。

「…悪いか」
「オレと比べたら、何一つ緊張するもんなんてねぇよ。」
「そんな…だって…。」

 今日は、テマリはオレの家への挨拶のために木ノ葉に来ていた。
 彼女の里への挨拶はつい先日済ましたばかりだ。砂の里まで赴いて、あの弟を筆頭とした面々に会した時のオレの心境を考えて欲しい。3日間もかかる移動時間中に、いったいいくつ胃に傷がついたのだろうか。今思い出しただけでも内臓がきゅっと締まる。あの時は、里まで同行してくれた、風影と旧友である、底抜けの明るさをもった火影候補にずいぶんと救われたものだった。
 
 まあ、しょうがないかもしれない。
 彼女がこれだけ緊張しているのも、彼女の家庭環境にもあるのだろう。彼女には父親も母親も長いこといない。
 だから、新しい家族ができることに、自分では考えられないほどの緊張を強いられている。けれど嫌がっている風ではなく。むしろ喜びをどう表現したらいいのか分からないような様子なので、それは自分にとって嬉しいことだった

 これから夕食を4人で食べる約束になっていた。それまでの時間を、まったりのんびりと過ごそうとしていたのに、目の前の彼女は、珍しく精一杯まで緊張している。取り繕うこともできていない。
 そんな切迫感のある様子に反して、往来は春の香りで溢れていた。
 土の薫りに春花の香り。そよと吹く風は、ふんわりと優しくて暖かい。
 眠気を誘われるような、平穏でゆるやかな時間が過ぎている。…当の本人はそんな暖かさも感じる余裕はないらしいが。

 彼女が庭や裏山を見たいというので、夕餉時にはいくぶん早い時間に自宅へと向かうことにした。町外れにある家の門柱が見えてくると、テマリは深呼吸をする。健気な様子に思わず苦笑してしまう。
 本当に今日のテマリは、いつもの冷静な表情を作るほどのゆとりもないな。

「お、よぅ。いらっしゃい。」
「ああ。」

 買出しでも頼まれたのか、ひょっこりと思いがけなく親父が家から出てくる。
 びくり、と隣を歩く人は途端に体を硬直させている。それでも精一杯に普段通りの砂の使者の顔をして、目上の者への礼儀をつくそうとする。
 
「あ…今日はありがとうございます。」
「今夜はゆっくり寛いでいってくれよ。」
「…はい」

 背筋を伸ばして最敬礼をするテマリ。親父は緊張する彼女を和ませようと、僅かに声を緩める。

「緊張しないでいいぜ、な。」
「そうだ、家にいる親父に威厳なんてねぇぞ。」

 オレもちょっと親父に乗っかって、フォローを入れた。

「…もう、俺の娘なんだから。」
「あ、はい…これから、宜しくお願いします……」

す、と一呼吸。


「――お義父さん」


――ぁあ、かわいい。
 凛として畏まった表情が崩れ、頬を赤らめて精一杯のはにかんだ笑顔になった。
 普段が凛々しく、しゃきしゃきとしていて、女だてらに砂の里の首脳なんぞやっている分、そのギャップの効果は絶大だ。

「っ」

 馬鹿親父は何の予告もなく、ぎゅうぎゅうとテマリを抱きしめている。酒を飲んだときのようなへらりとした浮かれた顔で。
 ……さすがオレの親父。一発で完落ちだ。
 テマリはどうしていいかわからないのだろう、無抵抗にされるがままになっている。

「俺ぁ、今日ほどお前が息子でよかったと思ったことはねぇな。」
「…親父。」

――離してやれ。
 頑張って里の中枢職位まで昇進した息子の努力は義娘の一言に圧倒的な差をつけて負けてしまったらしい。
 いいかげん離せ、と、少し本気で睨みつけたら、いつも通りの皮肉な笑顔になった。

「お前は俺をまだ越えてねぇからな。」

 上忍班長経験者様のお言葉だった。親父越え、ってやつか。

「うるせぇ、もうすぐ追い抜くから見てろ。」

 抱擁を解かれたテマリは、顔を真っ赤にして、どうしていいのかわからないようにうろたえていた。

「こちらこそ、ふつつかな息子だけど、宜しく頼むぜ。母ちゃんも…テマリちゃんのこと、とても楽しみにしてっからよ。…もう、家族だからな。」
「…ありがとう、ございます…」

 父の顔は、見たことがないくらいに優しい。追い討ちをかけられて、テマリは今にも泣きそうだ。

「それにしても…まさかお前がこんな良い女娶るなんて思ってなかったぜ。しかもあの砂の里から。」

 よかったよかった、と、ここに辿りつくまでの、里の中枢を巻き込み、外交関係にも関わる紆余曲折をだいたい知っている父は感慨深げだ。

「そっれにしても、孫が楽しみだなぁ。」

――気の早いプレッシャーをかけるんじゃねぇ。


※ ※ ※


 さっきまでの緊張はどこへやら、ぽんやりしている彼女を手を引いて、裏山散策にそのまま突入した。
 鹿の聖域であるこの山は、いつも緑の酸素の濃い空気で溢れている。さわさわと、木々の緑を揺らす風が心地よい。
 ふわり、と髪を柔らかく揺らされながら、横をぽやぽや歩く彼女を掠め見る。
 珍しい。少し俯きがちに、まるで泣きそうな顔をしている。
 この人は、持て余した気持ちでいっぱいいっぱいだ。
 つないでいる手から気持ちが伝播して、こちらの胸も競り上がってくるようだった。思わずつないだ手を強く握り締める。ぎゅう、と同じ力で握り返された。

「…ねえ」
「ん?」
「わたしさ」

 立ち止まってこちらに向き直った。熱が篭った瞳は、驚くほど正直だった。

「お前と…一緒になってよかったよ。本当に」
 
 いつもずるい、その笑顔は。

「わたし、しあわせだ。ほんとうに…。」

 こっちが泣きそうになる。
 まだまだ、これからだというのに、今が幸せの絶頂にいるような言い方。
 この人も親父も、オレに付随するものばかりに感激してるのだから、なんだか悔しくもあったのだが。
 けれど、たった今この人が幸せを感じているのなら、良い。
 そして自分はこれからだって、もっと幸せにしてみせる。
 
 生涯かけて、ずっと。





-了-



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