鳥を飛ばす方法


マルハナバチの飛行。
通説の理論上では飛べないはずのものが、実際に空を飛んでいたりする。
鳥も、その構造上では体重が12キロを越えると飛べないらしい。
けれど、体重12キロを越える鳥も風を利用することで空を飛ぶ。
一つの新しい要素が加わることで、方法が変わり、不可能であったことが可能になることがある。
では、飛べない鳥を飛ばすには?



(――面倒くせぇ…。)

 災難続きだ。
 中忍選抜試験の担当から解放されたかと思いきや、何やらてんこ盛りになってやってくる業務の数々。準備委員会の時の分も保留されていたように、毎日残業続きの日々。
 最近の帰宅というものには、胃に物を詰め、湯を浴び、ベッドで寝る以外の行為が存在しない。
今日が何日で何曜日なのかも分からなくなっている内に秋は深まり初雪が降り、師走を迎え、とうとう週末は大晦日である。

 特に今日の自分は、女の行動に振り回されすぎている。
 まず、朝一番から母親に買出しを頼まれた。残業になるに決まっているのだから無理だと言ったら、問答無用に購入品納品のための一時帰宅を言いつけられる。親父が任務で家を空けているせいでとばっちりを食うのだ。
 次いで出勤早々火影執務室に呼びつけられ、時間がかかりそうな任務を言い渡された。本来ならば別の担当がいるはずなのに人材確保のミス…いわば穴埋めだ。その実地調査も兼ねて、明日から土の国までの遠方任務に出発することになった。国外情報に関わる任務であったため、情報部のいのいちに人を取り次いでもらって人づてに情報収集に取り掛かる。
 そしてここでもう一つ。なぜか情報部に来ていたいのに捕まり、昼飯を食いながらいくつかの年始の指令を受けることになる。彼女のお願いに逆らうとどのようなことになるかなんて、チョウジと俺は経験値で知っている。従ってこれは断ることのできない依頼であり、つまり、任務と同じ拘束力をもつ。
 今年は3人揃って元旦は休みになっているので、しっかりいのの付き添いでチョウジと三人で健全に正月ムード溢れる外で時間を活発に過ごすことになるのだ。自分ののんべんだらりとした怠惰な元旦は消えた。
 年末年始の静かで平穏な時間のために、基本面倒くさがりな自分が気力体力振り絞って遮二無二仕事をこなしていたのに。仕事に取り組む活力の多くが消えていくのを実感した。

 積み重ねて自分に指示を出す女たちの顔が頭の中を駆け抜ける。心底、女ってのは面倒だ。男の都合なんてものは考慮されていない。感情論が罷り通るし、こちらの平穏を打ち破って唐突に台無しにしてくれる。

(あー……もう)

 朝からの災難を思い返しながらも、任務の概要が書かれた紙面に視線を通す。
 今朝方に言い渡された任務は、情報伝達で使っている忍鳥についてのもの。鳥種の飛行性質なども考慮しつつ、飛行しやすく速く飛べるルートの選定するというものだった。木ノ葉から4里までのルートに取り掛かっているところで、オレには土の国へのルートを割り当てられた。
 ひとまずあるもので調べ上げよと言われているのだが、忍鳥利用に関する報告書に鳥類図鑑、地図やら地形図やらに埋もれながら専門家の不在が恨めしくなってくる。この任務は、忍と鳥類の専門家と地理専門の3者がそろってこそ効率的に進む任務だろう。
 おかげで、本来ならば本日完了させるはずの次期選抜試験の委員会召集のための書類作成は保留だ。理不尽さに悶々としながらも、睡眠不足の頭を総動員させ、考えられるルートを割り出して行く――。

 根を詰めて一気に書類を処理していたので、集中力が切れてきた。
 気を抜けば手元の書面の同じ文言を繰り返し字面ばかりを追ってしまう。地図やら地形図やらを広げてはいるものの、机上の空論で終わってしまっている。堂々巡りだ。
 せめて、土の国への任務の多いらしいヤマトやカカシに聞けば、何かしら現地の実態から選定要素を得られるだろうか。いかんせん、自分は実地任務に対して、圧倒的に経験値が少ない。
 あの人だったらどう考えるのだろう。
 二月ほど前は準備委員会で時間を共有して一緒に仕事をしていたせいで、ふと砂の里の人との何気ない会話を思い出す。

『――お前、鳥が飛ぶ方法を知っているか?』

 鳥の骨格図が頭に浮かんだ。かつては陸地で生息していた生命が、その身体を空に適応させて進化したというその構造――骨は中空構造で軽く、前肢から進化した風切羽を持ち、羽ばたくことで飛行が可能になる。その構造上体重が12キロを越えると飛行ができない――書籍から理解した自分の中の知識だ。
 それを話すと彼女も頷いた。けれど、と付け加えて。
 構造上の重量を超過していても、風を利用して滑空することで飛翔することは可能になる。確かに、翼を持たない彼女もチャクラを利用して、風を操り空を駆ける。

『ものの見え方なんて途端に変わるだろ?』

 トントン、と煮詰まらずに停滞してしまっていた立案書類を指差しながら、思いもつかなかった方法を口にした。

『これは私が考えたわけじゃないよ。とある国での手法を応用しただけだ』

 テマリの所属する砂隠れは軍縮政策のせいで忍の絶対数が少ない。彼女は若くして外交首脳をつとめることになり各国に赴いている。そもそも風影の長子ということもあり、表敬訪問で国外まで同行することは多かったらしい。

『――お前は、私よりもずっと頭の回転は速いし知識もある。常識に囚われずに自由な思考をできる…けれど、経験値は少ないんだな』

 視線が鋭い。言葉に衣を着せることなく、よどみなく、会議での意見交換の時には威圧感さえ与えかねない。
 けれど、声音は柔らかく低く心地よい。発言には裏付けがあるし、男の脳の構造では困難な、視点が固定されない柔軟なものの見方には興味をそそられる。
 やはり、この任務についてあの人の意見を聞いてみたい。声を聞きたい。

(…え?)

 沸いてきた自分の思考に驚愕する。
 いや彼女の考えは確かに的確で明確で、自分では思いもつかない道筋を立ててくるから。自身では気づき得ない思考の制約を打ち破ってくれる――だから、相談したい。それだけだ。
 なんだか厄介なことになりそうだったので沸いてきた考えを頭から追い出す。とりあえず、いない人間に期待することなく目の前の任務に専念しよう。

「おい、シカマル。悩んでるならちょっと外に出て来い。気分転換は大切だぞ」

 唐突に後方から綱手の声が飛んできた。なぜかぎくりとして思わず大きな音を立てて席を立つ。
 そのまま言葉に甘えて外の空気を吸いに出ると、白んだ曇り空の下には乾いた風が吹いている。思いもかけず頭がスッキリとした。ついでに、買出しも済ませてしまうことにした。


※ ※ ※


 昨日のゆるゆるとした曇り空とは打って変わって、本日の空は青々とした晴天。
 川の国を移動している自分たちは、風の国を通過し岩の国を目指す。豪雨地帯の雨の国を避けたルートだ。遠方の任務なんて面倒だとばかり思っていたが、デスクワークが続いていたため、気分が前向きになってきていた。
 しかし、暑い。火の国から最短距離で川の国を通り抜けたところまでは良かったが、風の国の砂漠地帯にさしかかるここらは日差しがやたらときつい。

「あっちぃなああ――」

 班の任務で以前土の国まで出たことのあるキバが誘導をしてくれていた。気温にやられた赤丸が随分と大人しいので、キバは珍しく徒歩だ。テンテンは普段の半分の口数になっている。
 事前に通達を砂の里に通してあったので、特に躊躇することなく風の国の国境を越える。砂漠の偏狭であるここいらは、まだステップの様相をしていて僅かに低木樹が存在している。けれど、視界の端に見える地平線にはもう砂漠が広がっていた。

「ホンっと…ありえないわね、この日差しと気温――」
「オイ、暑いって言うからさらに暑くなんだぜ」
「そんな言葉に騙されねぇぞ。明らかにここは暑っちぃだろぉ!あついあついあついあつい!」
「ばーか、あまりはしゃぐと体力奪われんぞ…冗談じゃなくて」
「はしゃいでねーっての…ちくしょう…暑い…」
「私、木ノ葉の忍で良かったと心底思うわ…」

 砂漠は抜けるような青空だった。青は澄んでいて、風はからりと乾いて心地よい。
 けれど、この刺すような日差しは命取り。天候が良いことは砂漠に慣れない自分たちにとっては災難でもあった。
 砂の里の知人たちの顔が頭を掠める。よくもまあ、このような土地で生きていけるもんだ。

「あ、あそこで休憩しようぜ」

 未だ平坦な砂漠地帯の外れに小さく緑が固まっている。あれは十中八九オアシスだろう。
 辿り着いて見回すと、この小さなオアシスは元々人の暮らす集落だったことが分かった。家の残骸やら、祭事に使われそうな建造物が点在している。そして、廃集落の入り口には井戸があった。
 ここは、砂漠の外れに立地しているので、砂漠を渡る者の休息地として維持されているらしい。本格的な砂漠に突入する前に、水分補給と休息をとることにする。

「じゃあ、少し休憩な。オレはぐるっと見てから休むから」

 任務もあるのでこの集落についても頭に入れておく必要があった。二人を残し、集落の外周を砂漠と集落の境界を見定めるように歩いていく。
 実際に、見たもの、感じたものを知識へと変えたい。経験値が少ない、などと言われないように。
 片側に見える砂漠の風景は、見慣れない自分にとってまるで現実ではなく絵画のようだった。青い空の下、どこまでも広がる地平線。ここを飛ぶ忍鳥は、さぞかし爽快なんだろう。砂嵐さえなければ、砂漠での飛行は障害物もなくかなり有効なルートかもしれない―― 一度、風を操れる彼女に、砂漠を飛行する感想を聞いてみよう。

(………。)

 中忍試験の時にテマリは木ノ葉に二週間ほど滞在していて、出勤時間のほとんどを自分と一緒に過ごしていた。あの頃、常に側にいるような感覚が芽生えていたのは確かだ。……彼女の暮らす砂漠にいるから、今、やけに近くに感じてしまうのだ。
 思考を振り払うように空を見上げた。雲ひとつ見当たらない空。
 唐突に、風が吹いた。
 単調に出来ているはずの自分の鼓動が一瞬跳ねる。

(まさか。)

 風が近づいて来るのを感じる。

(――本当に?)

 ざああという音と共に、白い波打つ布が強い風をまとって視界に飛び込む。

(嘘だろ…)

 砂漠は時に旅人に蜃気楼を見せる。睡眠不足もあって、近日の任務における願望が虚像を生み出しているのに違いない。
 けれど、なぜだか身体が先に強張る。

「ああ、お前か。奇遇だな」

 砂避けの白い布を巻いたテマリは音も立てずに着地した。

「…本物?」
「は?」

 返される、あまりに淡白な声。このテマリは現実らしい。言葉は何度も頭で反芻していたのに、実際に実物を見るとやけに緊張を強いられた。彼女の国で…砂漠で彼女を見るのは実にこれが初めてだ。背後に広がる砂の地平線と、青い空。あまりに彼女に似つかわしい光景。
 こちらの問いかけに一瞬、怪訝な顔をする。そういえば、木ノ葉から国内通過の申請が出ていたのは今日だったか、と独り事のようにつぶやいた。

「…久しぶり、だな。あんたも任務か?」
「そうだ。…お前、砂漠に来るのは初めてか?」

 不思議そうな顔で、オレを見てくる。
 お互いの任務内容については同盟国とはいえ言えるわけもなく。これは、同じ業務に取り組んでいたときと大きく異なる点だと、今更気づいた。
 それにしても、こちらはこうやって止まっていても汗が体中から出てくるのに、彼女はまったく涼しげな顔をしている。

「ぁあ――きっついぜ、ここは。あんた、やけに涼しそうだな…」
「私は身体が順応しているから。初めてならば、身体の発汗機能が活性化されるから…水はしっかり採れ。塩分も」

 そして唐突に、汗が止まらないオレの額にひんやりとした手で触れてきた。

「人間の体温の方が涼しいだろ。この時間帯は気温が40度を越しているんだ。信じられるか?」
「体温の方が…すげぇな」

 やけに鮮明に、ひやりとしていた彼女の手の余韻が残る。具体的に温度を言われ、眩暈がするようだった。

「…じゃあ、私はこれで。気をつけて」

 さらりと言い残して、砂の里の方角へと踵を返す。あまりにも短い会話だった。
 せっかくの機会なのに。
 足りない。
 頭で考えるよりも早く、その肩に手が伸びていた。

「なぁ…オレの担当している任務で…あんたの意見を聞きたいことがあんだけどよ……」

 少し驚いたように振り返るテマリ。自分自身が一番驚いているのだが。

「…私の?いいぞ。そうだな、こちらもお前の知恵を拝借したい事柄がいくつか…」

 ふふ、と楽しそうに笑う。テマリは木の葉にいた時よりも柔らかい表情に見える。生まれ育った国で見るその様子はとても自然だ。

「他里に意見を聞けるようになるとはな…いい傾向だ」
「…そだな」

 それにしても、太陽の光が強い。その横顔も見慣れていたはずなのに、砂漠の太陽の下にいると彼女の纏う雰囲気が異なって見える。
 木ノ葉では控えめに見えていた髪の色もここでは光を反射して輝く。瞳を縁取っている長い睫毛が強い日差しのせいで目元に深く影を落としていた。影の下の瞳は、深みがある緑。人の心を落ちつかせる色だ。
 凛としていた横顔がこちらを向いて、目元と口元が愉快そうに緩む。

「お前の頭をそれだけ買っている。今までタイミングを逃してきたが――」

 真っ直ぐに打ち抜くように、その双眸で自分をしっかりと捕らえている。まるで視線そのものに力がある。

「お前に、会いたかった」

 さらりと、あまりに普通に会話の中に組み込まれた言の葉。真っ直ぐな彼女の言葉は、確かに自分のどこかに突き刺さった。

「相変わらずぼんやりしたヤツだな。もう天候にやられたか?」

 少し距離を縮められて、虹彩が鮮明に見えるくらいに瞳が近い。強い太陽の光を通して見ると、深みのある緑が透明度を増して新緑の色へと様変わりする。この人の瞳の色は、この砂漠の天候の下で一番に映えるように出来ていた。見つめていると、すっと吸い込まれる気がした。
 本当に。

「あんたの目、綺麗だ」

 暑さにやられてうっかりと何を口走ったのか。脈絡もなにもないつぶやきに、気恥ずかしくなる。
 オレの言葉に一瞬目を見開いたテマリまでも、気まずそうに睫毛を伏せて視線を逸らす。

「…この砂漠では、お前のような色素の濃い目の方が有利だ…私はお前が羨ましいが…」

 常ならば人とは真っ直ぐ視線を合わせて会話をする彼女が、正面にいる俺から視線を外している。語尾は揺れ、僅かな彼女の戸惑いが伝わってしまう。

「シカマルー!」
「あ、ねえちゃんだ!」

 戻りが遅かったせいか、井戸で待たせていた二人がこちらに手を振りながら近づいて来た。オレが 少しほっとしたのは確かで。

「――久しぶりだな」

 テマリも、先までのぎこちない表情は拭い去っている。
 お前、こんな立派な毛皮着ていたらここでは辛いだろう、と、至極真面目な表情で赤丸に話しかける。日差しの下、日焼けを感じさせない指先が、毛足の長い白い頭に柔らかく触れた。獣の心地良い場所を心得ているのか、触れられている赤丸は眉の下がった表情のまま気持ちよさそうに目を細めた。

「そうだ、テンテン。こいつら生活能力はあまり高くなさそうだから、時間を計って定期的に水を飲ませてやれ。喉が渇いてきた時では遅いぞ?あと、キバ。犬は汗栓が無いから水分が逃げない分熱が篭もる。水をかぶせてあげな」
「了解でっす!もう、お帰りですか?」
「ああ、私の任務は終わった。ところで…ここから西に向かうならば止めておいたほうがいい」
「なんでさ?」
「西はかつての風葬地帯だ。他国のお前たちに精神的に良いものとは言えないし、そもそも風の吹き溜まりのような場所なんだ。雨隠れの国境ぎりぎりを目指して北進してから、西に進め」

 手を挙げ、青い天へと指先を柔らかく伸ばす。風向きを確かめる、優美な動きだった。

「今日はそろそろ砂嵐も来るぞ。早く行きな」

 ここから真北に2,3キロ向こうのオアシスの泉には水がたっぷりあり、飲料にもなるらしい。影と直角になる方向を目指して進むと良い、と、指先を伸ばして、オレたちが行くべき方角を指し示す。

「――奈良、相談のことはこちらもお願いしたい。急ぎならば任務に組み込んで連絡をくれ」
「…ああ、連絡する」
「じゃあ、またな」

 最後に向けられた一瞬の笑顔。記憶にあるよりも無邪気なそれに虚を衝かれた。
 風一閃。ゴウッという音とともに、砂塵を舞い散らし、勢い良く駆け抜ける。

「ずりぃなぁ、あれ」
「なぁんかむっかつくー!」

 瞬時に姿を消したテマリに対して、キバとテンテンが文句を垂れているのを、遠くに聞いた。
 彼女が消えた途端、日差しが弱くなったように感じた。
 一瞬だけ触れられた額には、気温よりは低い彼女の体温の余韻。砂漠の青を背景にした、鮮やかな新緑の色。脳裏に焼付けられてしまった、その笑顔。
 ……あれはマズイだろう。分かりやすく別所属の人間で、やたらと「強い忍」で…それ故に美しい。自分の生涯設計の想定を上回っている。なおかつ年上で、さらにはアレとアレが弟だ。
 じりじりじりと灼熱の太陽が脳を融かす。

 『お前に、会いたかった』

 すとん、と腹に落ちた自分の気持ち。
 会いたかったんだ。
 すでに頭の中では今の任務とどのように彼女を絡めていくのか、綿密な根回しをしようと動いていた。

 三日の距離。
 今、自分が知りたいのは、鳥が早く飛べるルートなどではなく、飛べない鳥を飛ばす方法。
 樹海と草原と川と砂漠を越えて―――早く、速く、より疾く。






-了-



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