空の名前


 
 あいつと私の見える世界は違うから。

 

 見慣れた砂漠の風景が、今日はどこかしこも気怠く見える。
 じりじりと肌を焦がすように照りつける太陽が空の頂点を過ぎたあたりから、薄々と嫌な予感はしていた。黒々と伸びる己の影が長くなるにつれて、予感が現実のものへと確度を高めていく。正午には通過しているはずのオアシスは未だ視界の端にすら入っては来ない。

(くだらない失敗をしたな…)

 進めども進めども同じ風景が続いていた。
 砂から木ノ葉へ抜ける砂漠の道筋など、任務や個人的事情でやたら往復を重ねたこの数年で風景の変化までも記憶してしまっていた。窪地や台地のわずかな高低差などから、自分がどのあたりまで着ているのか分かる。テマリにとってはそれほどに繰り返し辿り馴染んだ道だった。
 それなのに。
 自分は古臭い幻術の只中にいる。捕えた人間を命尽きるまで砂漠から出られないようにする、昔ながらのまだるっこしい暗殺方法だ。個人的な悩みに思考を集中させていたら、うっかり発動点を通過してしまったらしい。

「参った…」

 久方ぶりに発してみた声は砂のようにざらついていた。チャクラが乱れているせいで、普段ならば抑制できる汗が少しずつ粒のように零れてくる。二日分の飲料はもう半分以上が無い。何度か連絡用の忍鳥を呼び寄せようと鳥笛を鳴らすが、待てども待てども鳶丸は飛来してこない。

(我愛羅たちが、心配しているかもしれない)

 本日中に砂漠を抜けて川の国に到着しているはずだった。そして、駆け足で明日の夕方には木ノ葉に到着する予定だった。この状況では、明日には双方の里から捜索隊が組まれるかもしれない。

(もうちょっと幻術耐性もつけておくべきだった…)

 こんな初歩的なミスであの里にまで迷惑はかけたくないのに。この気持ちを自覚してから、私は色々な場面で他人に迷惑やら心配をかけてばかりだ――。
 風景は変わることなく、太陽はとうとう地平にその姿を隠した。太陽の沈んだ地平を背に自分の影を追いかけるように砂漠を進む。
 気温の変化により風が吹き始め、砂が地表を這うように動いていく。風が強くなると視界に広がる砂漠の景色の全体が動き始めた。成す術もなく、ただ姿勢を低くして動く風景を見守った。幸い本日の砂嵐は持続力が無かったようで、日の光が地平線に見える内に砂漠の風景は元の静止画に戻っていた。立ち上がり、砂避けのマントに積もった細かい砂を払い落とす。

「!」

 自分以外に何も存在していないかのような世界だったのに、ぴょこんと小柄な生き物が砂の中から唐突に現れる。咄嗟に応戦の姿勢を取るが、よく見ればあどけない瞳をしたみすぼらしい砂兎だった。

「…お前、流されて来たのか?」

 思わず声をかけると、後方に倒された耳をぷるぷると震わせる。視線が正面からぶつかるが、こちらを警戒するようなそぶりも見えない。人間慣れしている奴なのだろうか。攻撃性も無さそうだったので、ゆっくりと手を伸ばすと、ぴょいと逃げるようにテマリの進行方向に進みだす。

「おい、どうした」

 もしかするとこの砂兎が幻術解除のきっかけになるかもしれない。微かな期待を抱きながら、ぴょいぴょいと不思議なリズムで進む兎を追う。こちらの歩みの速度を知りえているかのように、常に兎との間には5歩ほどの距離が保たれていた。
 砂兎に誘われ、宵闇の砂漠をただ静かに進む。
 肌寒さを感じてマントの留め具を締めていると、前を行く兎が初めて歩を止めた。見渡せば、地表が一定の区間が緩やかに窪んでいる場所だった。他の場所よりも砂に水気が多いらしい。今は砂に浸食されているが、元々はオアシスだったのかもしれない。
 砂兎はぺたんと腹を地につけて睡眠の体勢を取っている。どうしようもないので、自分もその場に腰を落ち着け、僅かになった水分を補給する。
 この幻術の中、生物の気配も感じられない。風の流れる気配もない。腹をくくってその場で横になる。疲れの蓄積のせいで、程なくして睡魔に意識は飲み込まれてしまった。

 あまりに穏やかに、何事もなく一夜は明け、一匹と一人の無言の旅が再び始まる。
 とうとう、砂漠に彷徨い始めてから二度目の南中を迎えた。この術式も一日もあれば消えると思っていたが、想定以上に強固なものだったらしい。もはや、残りの水は僅かしかない。水分摂取も減りじっとりととした汗が伝う。
 心に、焦りが生まれて来る。
 歩みを止めると、前を進む砂兎も止まり、とうとうこちらを振り返った。5歩の距離を狭めるために、ゆっくりとそちらへの向かう。
 ―――自分でもなぜか分からない。このみすぼらしい不思議な砂兎と一日行動を一緒にして、何を感じたのだろうか。そのなつかしい深翠の瞳を見据えながら、すっと言葉が口を点いて出た。

「親父…?」

 砂兎は瞳を逸らすことなく、きょとんとしている。感情の読み取れない小動物の顔だ。第三者が見たら、このような状況で兎相手に話しかけている自分こそが気が触れたと思われるだろうが。
 けれど、なぜだか確信があったのだ。真相を突き詰めるために手を伸ばす。ぼさりとした毛に触れる寸前に砂兎の姿が霧散し、あっと言う間に人型を結ぶ。

「久方ぶりだな」
「――どうして……?」

 名を呼んだのは自分なのに、いざ具現化されるとなると動揺を覚えた。これは一体どのような趣向なのか…?

「お前に呼ばれた気がしたが」
「…呼んでない」
「そうか?」
「これも幻術の一環…?」
「――幻術であることは確かだが…オレ自身の生前の術だ。お前が今かかっている幻術とは関係無いな。」
「じゃあ、何しに来たのさ」
「さぁ、な」

――あの日々を思い出す。風影としての父は、こうやって平然とした顔で、里内外の不都合な話を幼い私たちに知らせないようにいたのだ。

「――そもそも、そんな幻術なんてつかえたの?」
「テマリ、オレの力を見誤ってるな。」
「…暗殺されたくせに」
「それは言うな」

 父は五年前の姿のままだった。かつては畏敬の気持ちや、色々な鬱屈した感情を幼いながらに抱いていたもので、自分の死後に対面することがあろうもんなら文句の一つや二つぶつけてやりたい気分だったのに、いざこのような状況で対面してしまうと言葉が上手く出ない。

「それにしても…テマリ。くだらん幻術に捕まったものだな。苦手分野は未だ克服できてなかったか?」
「……」
「砂漠の危険回避については、最初に教えただろう?」
「…ちょっと…油断した」
「まあ、この程度の幻術ならそろそろ解けるだろうが――」

 くるりと背を向け、目的地があるかのように父は進む。まるで幼い頃に戻ったようにあたりまえにその後ろを辿る。五歩の距離は今も保たれたままだ。
 無言で父が残す足元だけを眺めながら進むと、まるで蜃気楼が唐突に流れ込んできたように目の前にオアシスが広がっていた。本来ならば昨日の昼に通過しているはずのオアシスだった。
 小さなオアシスには地下水が湧き出して形成された池が中央にあり、水場のぐるりを緑がしっかり取り囲んでいる。父は池の畔で立ち止まり、砂山の向こうにある里の方角を眺めていた。
 井戸からくみ上げた桶の水をそのまま被り、口をゆすいでから一口、二口で喉を潤す。生きた心地がした。

「……我愛羅、元気だよ」
「知ってるさ。大戦の戦場で会ったからな…アイツならもう大丈夫だろう」
「親父より良い風影になるね」
「…親の冥利に尽きるな」

 驚いた。
 随分と柔らかな微笑みを零している。父と我愛羅の人生を左右していたしがらみはすでに昇華されていたらしい。人間臭く見える父を見ていたら、ふと、自分の心中にある悩ましい事柄が頭をよぎった。

「――そういや、私を嫁にしたいってヤツがいてさ」
「…なんだと?」

 これもまた今までに見たことのない表情だ。茫然としたようでいて怒りを内包している…そんな素っ頓狂な顔。

「どこのどいつだ?」
「気になる?」

 なんだか愉快になって言葉尻が緩む。対する父の顔は宿敵を見定めるように殺気を感じさせるものだ。生前の私たち親子の関係は散々なものだったはずなのに、まったく父親というやつは面倒くさい。

「親としてあたりまえだろう。誰だ?上忍以上のヤツだろうな」
「上忍、ではあるけれども」
「ほう。オレの知っているヤツか?」
「あー……木ノ葉の奴なんだよね」

 今までの経験から少しだけその単語を出すのに躊躇いがある。案の定、木ノ葉の名を聞いた父は眉を釣り上げたまま目を見開いている。

「木ノ葉、だと…?」
「ちなみに我愛羅と同い年」
「……他里のヤツなんぞ…しかも年下…お前が。なぜだ?」
「中忍試験の本戦で対戦した相手なんだけど…見てなかったんだっけ」
「…出立後にこの砂漠でやられたからな。では、本戦はお前が負けたのか?」
「いや、私が勝った」
「では、なぜ?」
「試合には勝ったけど、実質負けたというか、さ。その後も色々腐れ縁であったんだよ」
「理解ができん……くそ。一発ぶん殴るべきとこなのに、この身体では…」
「バカ親父」

 幻術で作られた右手でふるふると拳を作っている。体術に抜きん出ているとは聞いていないが、そこは里長になるぐらいの力はあったはずだ。現実に父とあいつが対面する機会があったら血を見る展開になっていたのかと思うと笑えないが、叶わない今となっては苦笑で済まされてしまう。

「どんな男だ?」
「うーん……めんどくさがりのくせに、男の役割にこだわるヤツだよ…そいつの父親の教育のせいで。頭が良いのも父親譲りだな」
「木ノ葉の誰だって…?」
「奈良一族の…一応現在の当主。前の大戦で親父が死んでしまったから…」
「つまり、奈良シカクの倅か?」

 驚いた。父が奈良一族の個人名を知っているとは予想外だった。

「…知ってるんだ?」
「三代目火影から亡き四代目の参謀の名は聞いていたからな。で、そいつ、兄弟は?」
「あぁ……一人っ子だよ」
「――そんな立場の奴がなぜお前を娶ろうと考えたのか、直接詰めてやる必要があるのに…ちくしょう――」

 再び握りしめた拳を見て心底悔しそうにしている。こんなにこの人は感情的な…面白い人間だったのか――。

「そいつ、わたしに本気で惚れたらしい」

 率直そのままに伝えたら、怒り心頭としていた父の顔が一瞬で毒気を抜かれたようになった。

「…ほう。では、どうするんだ。テマリ」
「…だから、ちょっと大変なんだよ。」

 なぜか不思議と自分の思いを躊躇もなく零してしまっていた。弟たちや、近しい里の人物にも伝えられなかった事柄なのに。

「そもそも私たちの違いについては、出会った日から分かり得ていたものだし。どうにも変わらない」
「知っていてなお、お前は…困難な相手を選ぶか?」
「選べないよ。だから、正直困ってる…」

 最近の自分の中で堂々巡りをしていた問題だった。これまでの20年と少しの人生で、自分がすべきことは決まっていた。そのように教えられてきた。なのに、今になって他人に執着を持ってしまった。他里の男、なんかに。

「しょうがないんだ。今、精一杯やれることをやっていくだけ」
「――ったく…」

 深い溜息をついて、こちらへと視線をしっかり合わせてくる。

「……お前が本当はどうしたいか、は…分からん。けれど、立場を天秤にかけて、本来選べないものに結論を出すと一生後悔がついてまわるぞ。」
「…なに?それが人生終えて悟ったって話?」
「まぁな。決断するのはお前自身だが…父親としては、一言ぐらい助言はやりたい」

 一度口をつぐんでゆっくりと空を見上げた。つられて見上げた空は焼けつくような青だ。

「決断できない時は…しないで良い。しないで済むように周りを頼れ。そして、よく見定めろ。その木ノ葉の男が、今のお前にとって何なのか。時代は変わっているだろ」

 確かに父の時から時代は変わってきているのだ…彼と自分が出会ってからでも、随分とこの忍社会の価値観は変化してきた。
 そう、変わったのだ。

「空の色を教えてもらったんだ」
「……」

 木ノ葉で育ったアイツは、砂隠れよりも空の色を細かく区別する。色の名前を教えてもらうまで、砂漠の空がこれほどに鮮やかに色づいていたなんて知らなかった。

「ひとりで砂漠を移動するのが楽しくなった。私とあいつの関係は、そういうことの積み重ねだ。」
 
 あいつと私の見える世界は違うから。
 眉間に皺をよせる私を見据えながら、先から口をつぐんでいた人が、やっと口を開いた。

「加瑠羅にばかり似たと思っていたが…やはりオレの要素もかなり出てるな。」

 大きな手が頭を掴むよう伸ばされるので思わず目をつむった。自分を取り囲む色々なことが不明瞭で、そこはかとない恐怖を常に感じていた幼い頃の感覚が蘇る。ぐしゃぐしゃと慣れない手つきで髪を撫でる。温度を感じさせない掌は、それでも安堵を覚えさせる。
 耳に囁くように声が残された…「大丈夫だ」と。

「…何しに来たんだか」

 瞳を開けるとすでにそこに父の姿は無かった。何が幻術だったのか分からぬまま、茫然と立ち尽くす。
 ぽつりと頬に一雫を感じた途端、強い音と一緒に雨が降り始めた。この国では珍しい雨は、風に吹かれて強弱をつけて横殴りに降り注ぐ。疎らな薄い雲の合間からは太陽の光も降り注いでいる。まるで砂金を散りばめたように空気がキラキラと輝き、今までここいらを覆っていた幻術の壁が霧散していくのが感じ取れる。
 色々なものを洗い流して、あっさりと雨は止んでしまった。地熱のせいで雨粒は水蒸気となって空中に舞い戻る。
 雨水をたっぷり含んだ衣類を風のチャクラで乾かしていると、けぶる水蒸気のカーテンの向こうにいつの間にか人影がある。こちらへゆっくりと近づいていた。

「――なんで、いるんだ…?」

 勤めて言葉は平坦になるように心がけた。それほどに動揺していた。表情がはっきりと見とれるような距離まで近づいたその人物は、いつも通りの気だるげな表情をしている。

「探しに来たんだぜ。3ヶ月ぶりに会う相手にソレはねーだろ…」
「…お前が、水分不足で死ぬ確率の方が高くないか?」

 普段から感情が読み取りにくい男に、僅かながら疲れが見とれる。私を見つけた安堵から、緊張が緩んでいくのも。

「…砂漠に慣れてるアンタが予定の時間に連絡寄越さないし、こっちからの連絡もつながらないし。けっこう本気で心配してきたってのに」

 本当に心配させたのだろう。感情を表に出すような奴ではないが、視線の様子や言葉の節々からその気持ちが伝わる。
 
「――ごめん。ありがとうな、シカマル」

 謝意を述べたら、目の前の男は一瞬居心地悪そうな顔をした。わざとむくれるような表情をつくり、口を開く。

「お前んとこの機嫌の悪い里長様が名指しで指令を出してきたんだぜ?越権すぎんだろ。脅迫そのものだと綱手様が言ってたぞ」
「我愛羅が…そっか。うっかり幻術にひっかかっちゃて、助かったよ。これ以上は、私でもあぶなかったから…」

 考えにまとまりがつかない。たどたどしく言葉を連ねる自分を見たせいか、シカマルが表情を硬くする。

「ところで、なんでびしょ濡れなんだ?」
「幻術が切れる時に雨が降ってさ…服は乾かしたから大丈夫だ」

 まだ水気を含んでいた髪をしぼる。シカマルが自分の荷から乾いた手ぬぐいを渡してくれたので、ありがたく借りることにする。

「なんか…流石のお前でも疲れて見える。急がず休んでけよ」
「…ああ」

 砂漠の地平線を見渡せる場所に腰を下ろす。お互いの忍鳥にそれぞれの里に報告を終え、シカマルが木ノ葉から持って来てくれた水で喉を潤し干飯を食べていると、心がほぐれていくのを感じた。横並びに座りながら、無言でただひたすら日が暮れて行く様を眺める。
 砂漠の空は、茜色から群青へと様変わりしていった。
 身体をただ休めながら誰もいない砂漠で二人佇む。ただ横にいるだけなのに心が寄り添うようだった。

「――幻術の中で親父と会ったんだ。五年ぶりに」
「…そうか」

  自分ですら信じがたい出来事なのに、疑うことなくそのまま受け入れてくれることが嬉しい。

「嫁に欲しいと言っているヤツがいると伝えたら…あの表情は最高だったな」
「…何か、言ってたか?」
「お前を一発殴りたいって。死んでるくせに、さ」

  横を向けば、何とも言えない複雑な表情をしている。

「…オレは私怨で風影殴られるのかよ」
「あの目は本気だったな」
「まー…あんたを得る代償なら、しょうがねーけどよ」

 でもやっぱ風影は怖えー、なんて嘯きながら降参するようにゆるりと微笑む。こいつと近い仲になって、二人だけの時に見せる笑顔だった。

(お前と私の見える世界は違うのに、なぜ。)

 とうとう、隣りにある表情が見取れないほどに空は暗くなっていた。冷気に満たされた夜の砂漠にいると、いつも静寂に押しつぶされそうになる。
 ふいに右手に温もりが伝えられる。
 お互いの輪郭がぼんやりしているこの暗さの中、視覚も聴覚もあまり必要のないせいか、やけに掌の感覚と温度が沁みるように感じ取れた。ゆっくりと位置をかえ、包まれるように絡め取られる。
 生きている人間の体温だ。

(親父に、会わせてやりたかった。)

 手の温かさが伝わるがその表情はわからない。手をからめたまま、ゆっくりと親指が手の甲を辿るように撫でる。
 
(『大丈夫、だ』)

 温もりに引きずられるように、その手の主の方へと身体を僅かに向ける。
 背にもまた温もりを感じた途端、額が前にいる人間の肩に埋め込まれていた。元の位置に戻そうとすると、先よりも力が込められた掌に阻まれる。

「………」

 前進も後退もできない。近さと暗さのせいで視界には何も映らない。けれど、額から直接伝わってくる体温に身体ごと引き寄せられるようだ。肺の中の空気を全部入れ替えるように、ゆっくりと深呼吸をする。ずっと忘れていたような…この安心感は何だろう。
 
「誰も、見てねーよ…」

 感傷的になっているタイミングでなんなんだ。ずるいじゃないか。
 心身が感服している状態では単なる抵抗にすぎないとは分かっていたが、無造作に力いっぱいしがみ付く。鎖骨に額を押し付けるように顔を埋めながら嗚咽がこぼれないように息を止めた。

(年下の下っ端で、泣き虫だったくせに――悔しい)

 離れていてもなお、人の世界を色鮮やかに変えていくのだから。
 僅かに戸惑っていた指先が、やはり優しく強められていく。視覚は無くとも、その他の感覚は雄弁に感情を伝えてくる。心音が、近い。

「テマリ」

 耳元で囁かれる、無機質なようで甘ったるい声に心臓が震える。

「…言うなよ」
「……」
「このことは、我愛羅たちには絶対に言うな…」

 ふ、と息を吐く音が耳をかすめる。

「なに、笑ってる…」
「あいつらに、ひとつ、勝てる部分ができたな」

 こちらがこんなにぐずぐずしてるのに、震える声音と呼吸は確かに笑っている。そんなことで喜びやがって。
 雲が流れ満月の光が差し込む。肩越しに眺める砂漠は、月光を反射して、雪明りのようにゆるく輝いている。これもまた、この男が教えてくれた色の一つだった。

「今まで…もっと遠い未来のちょっとした希望のように考えていたんだけどさ…」

 こいつと私の見える世界は違うから――心焦がれてしょうがない。
 至近距離で目が合った途端に互いに笑みがこぼれた。やたらと嬉しかった。

「――早くお前と一緒になりたいよ」

 いつか、こいつと家族になった時には、最初に父に報告してやろうと思う。


 

-了-

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