是もまた平穏な日々 1 壇上に砂の里のくノ一があがると、どこからと特定できないざわめきが蔓延していた試験会場が俄かに静かになった。壇上の脇、試験監督に控える位置より、シカマルは視線が壇上のテマリに集中していくさまを眺めやる。
(目立つ女だな…。)
当日の試験官は木ノ葉の特別選抜された中忍のみで組織されている。加えて、テマリは最若手の年齢層の女性だ。グレーの試験官制制服の面々に囲まれて、審査要員ではないテマリとシカマルは普通の忍服に委員会の腕章だけつけているのも目立つ要因だった。
集中する視線を意に介することなく、テマリは試験の前説明のために口を開いた。
第一次試験日の今日は、実施状況の報告担当になっているシカマルと、木ノ葉のカリキュラムを習得する目的もある砂の里のテマリの二人しか準備委員会からは参加していない。外交官という立場に就いたばかりであり、カリキュラムを自里に持ち帰らなければならないテマリは、自分の吸収した知識を高めようと当日の説明係に立候補していた。
初めてとは思えない堂々と流暢な説明。室内の受験生だけではなく試験官全員の視線が集中している。
報告書をまとめているシカマルは、再度、大分類、中分類、小分類の確認項目を見直しながら、少しずつ忍び寄る眠気を噛み殺す。
それにしても、昨夜は散々だったのだ―――。
「遅くまでおっ疲れさん!大丈夫かぁ?準備委員会委員殿。」
準備委員会での作業は、最後の追い込みで午前様までかかってしまった。
午前様までの残業は今までもままあったのだが、昨晩は最後まで残っていたテマリを宿に送り届けた。そして、自宅への帰路にある居酒屋で上機嫌な先輩方…コテツ・イズモの悪友ペアに見つかってしまったのが運のツキ。
「スタミナつくもん、食ってけ食ってけ。」
眠さと仄かに香る金木犀にぼんやりしていた自分も悪いのだが、酔っ払いの勢いに飲み込まれ居酒屋の席に捕獲される。自分達だって明日は試験官の本番であるくせに、なぜこんな日に飲んだくれているのだろう。
「と、こ、ろ、で!」
空腹を覚えているわけではなかったが、何となく手持ち無沙汰で半分ぐらい食い散らかしてあるホッケをつついていると、くねくねと気色悪くしぐさをそろえ、二人してこちらにぴたりと人差し指を突き出してきた。
悪ノリを率先するコテツはともかく、いつも冷静なイズモまでほろ酔いのせいで同じようなテンションである。この人たちは本当に自分より一回り年輪を重ねた先輩なのだろうか。
「ちょっとぉ、あの砂のお嬢さんとどーいうカンケイ?」
「俺たちはー、お前をそんな奴にするために中忍に推したわけじゃないぞっ!」
何を勘違いしているのだか、さきほど通り掛かった自分たちを窓の向こうから見ていたらしい。
「…そんなんじゃないすよ。」
酔っ払いにムキになってはいけない。そもそもこの人たちは自分の先輩である。
「今日は準備委員会の残業で、オレは警護を五代目から頼まれてんスよ。」
いつも使いっ走りにされている二人なら、あの五代目の有無を言わせない指示を知っているはずである。疾しいものもないので、そのまんまの理由を普通に伝えた。
「…じゅんび、委員会ッ!」
「各国の代表者から組織され、みんなで!いっしょに!試験の準備を進める委員会…。」
何故か突然、ケレン味たっぷりの表情になる。
「…おまえッ。なんて美味しすぎる出会いの場で、青春を謳歌しやがって……替われ、俺と!当日試験官とっ!」
だん、だんっ、と机が悲鳴を上げる。
――お客さーん、他の方もいるんで、ちょっと静かにしてもらえますかねー?
気のいい店員にやんわり言われ、思わず自分が謝罪する。まったく酔っ払いってやつは……。
「二人ッきりで深夜まで残業…宿までお見送り…。」
「仕事にかこつけて、あんなことこんなこと…。」
うおおお、と盛り上がる二人。自分といえば、仕事の疲れもあり、注文されたジョッキのウーロン茶を飲みつつ、息のそろった二人の漫才の進行を見守る。
「上忍班長の息子さん、砂のお姉さん誑かしてますぅー。」
「先輩はお前をそんなフシダラな子に育てた覚えはないッ。」
「ちがうちがう、逆にもてあそばれちゃってるんだよなあ。」
「男気出せ、負けるな!期待の小隊長ぉッ。」
――木ノ葉の威信にかけてぇー!ビシィ、と敬礼のポーズを決める二人。
酔っ払いのテンションに、素面の…そうでなくても人よりは行動において低体温な自分がついていけるわけもなく。コトリ、と中身の残りがわずかになったジョッキを下ろす。
「…明日試験本番なんで帰っていいっスか?」
「―まぁまぁまぁ!悪かったって。」
「こっちの試験官メンバーを見たら、俺らの気持ちもわかるさ……。」
――飲んでテンションあげないとやってけない仕事ってやつもあるのさ……。
ふうう、と一気に暗くなる様子をみていると、なぜか世知辛い社会を生きる汚い大人の気持ちにほだされてしまった。
「まあまあ、飲んで飲んで!」
「先輩たちのオゴリなんだから、遠慮すんなっ。」
「ストレスと疲れはその日の内に解消、ってな。」
――おねえさーぁん!生一丁追加ねー。あと砂肝とウーロン茶も。
――はいよー、喜んで!
「……それにしても、砂のお嬢さん随分と大人びて…今や外交やってるんだっけ?ずいぶん変わったんじゃないの?」
「お前もあのときのダークホースだったからなあ。子供の成長はわからないもんだ。」
「ホント、分からねえなぁ。今こうやって一緒に国の代表で仕事なんかしているんだからなー。」
「…いやあ…いい女になったよなー。」
「だよな?色気が出てきちゃってさー。」
「あのツンとしたのを、甘やかしてみたいよなあ。」
「……。」
「奈良くぅん…今度紹介してくんない?」
「……紹介もなにも、コテツ先輩、面識あんだろ?」
「挨拶程度だぜ?なんせこっちは当日試験官だから…。」
――ちょっとは先輩に潤いをくれてもいいんじゃないの?分けておくれよー。
結局、テンションの差で押され負け、最後まで上司や仕事への愚痴やら卑猥な談義やらに付き合わされてしまう。散々一方的に盛り上がられて、やっと開放された時には、丑三つ時を過ぎていた――ー。
「寝るな。」
ぱしん、と硬い音と共に、咄嗟に顔面で構えた右手にはチョークが1欠片。突然の攻撃に加減がつかめず、チョークは半分に折れた。壇上の説明係が抜群のコントロールとスピードで投げつけてきたものだ。
水を打ったように静かだった試験会場が一瞬でどよめき始めた。今までの緊張感とは異なる好奇の視線が自分に集まっている。パン、と両手を叩きあわせる音につられて、視線は壇上へと集められる。
「中だるみは分かるが、最後までしっかり聞いてほしい。」
ぽかんとしていた受験者の顔が一瞬で引き締まる。逆に両サイドの試験官たちは笑いを殺していた。
(あんの馬鹿先輩どもが…。)
いたって平静を装っていたが、ふつふつと愚痴が湧き出てくる。自分を散々引き止めた先輩二人も昨夜のふざけた面影など垣間見せず、試験官役の熟れた顔でしれっと両サイドの試験官席に座っている。そのギャップにゲンナリしつつ、再度壇上に視線を戻す。
黒板を使い説明を続けるその横顔が目に入る。強い日差しがさすと、彼女の国に多い緑を帯びた瞳の色が強調された。牧歌的な木ノ葉のアカデミーの風景の中にテマリがいるのは、いつもちょっとした新鮮さを覚える。
テマリは、かつての…初めてお互いを認識したあの頃の印象とは、ずいぶんと変化があった。
ギラギラと挑戦的で時に残虐でもあった表情は、迷いのない落ち着いたものに。そして時おり見せる笑顔は大人びたものに。…自分のあずかり知らない遠い場所で、彼女の環境はずいぶんと変化したのだろう。今やテマリは上忍に抜擢されている。
「……質問がなければ、一次試験の試験監督の話に移る。質問がある者は挙手を…」
彼女の担当は終わり、第一試験監督の挨拶に進行が移った。実は、ここからの試験監督の説明や指示自体が適正審査のスタートになっていたりする。
表情は変わらないが、若干、緊張の糸を緩めたテマリが自分の隣に戻ってくる。ほんの少し、こちらの背筋が伸びるようだった。
自分が報告書を埋めている間、テマリも砂の里への報告用になにやら素早く書き綴っていた。さらさらと耳障りのいい音が、ずいぶん昔のアカデミーの戻れない日々を思い起こさせる。
とすん、と隣から軽く肘でつつかれて、曖昧模糊としていた意識が覚醒する。
夢現の頭で、終了の合図を聞いたところだった。受験生が解散したばかりの会場は、さわさわとゆるやかな熱気と安堵感にあふれている。
「…お前、また寝てただろう?」
こちらに顔を向けるでもなく、ぼそぼそと周りには聞こえない声音で話しかけてくる。
「ぁ―――ほんの少しだけじゃねぇか…。」
抵抗してみるものの、言葉の最後は欠伸をかみ殺すように尻つぼみになっていた。
「…ったく。いつ船を漕ぎはじめないか私の方がひやひやさせられた。」
「……それは、すんませんこって。」
そんな間抜けなことはしないが、面倒なのでさっさと謝ってしまう。囁きながらやり取りをしているので、周りにはきっと業務の確認を取り合っているように見えるだろう。
「お前は――」
「テマリさま!」
こちらを嗜めようとしてか若干声高になっていた声を遮り、賑やかしい声を掛けられた。
教壇から少し距離を空けた受講机のところに、砂マークの額宛のシカマルよりも若干若いぐらいの下忍が数人いた。異国へ来訪している不安からか、同郷の見知った先輩を見つけて嬉しそうに頬を蒸気させている。
テマリはさっと立ち上がり、集っている下忍の方へ駆けつけていく。シカマルの目を掠めたその表情はどこか嬉しそうなものだった。
(テマリさま、ね。)
奪われるように話相手を失い、少し手持ち無沙汰になってしまった自分は、手元の報告書のチェック項目に抜け落ちがないか最後に確認する。完成させた報告に所感を書き加え、控え室に向かうために廊下に出る。
「奈良センパーイ!」
「シカマル先輩っ!」
振り返れば、確か今年の木ノ葉のルーキーたち。
木ノ葉の受験者は自里での受験になるので、移動や環境の変化がない分何かと有利になるのだが、やはり受験者としての緊張は他里と変わらないらしい。高揚したような、不安そうな顔をしていた若い受験者たちがすがるように近寄ってきた。
「おう。」
普段、後輩たちと交流がないわけではないが、このような環境では常ならばある年齢や立場の壁が低いものとなる。
「がんばってっか?」
素っ気無い挨拶だったが、ルーキーたちは嬉しそうに笑った。
「思った以上の出来でーす!」
幼馴染であるいのを思い起こさせるような、気の強そうな笑顔が弾ける。かわいいもんだ。
「あの…さっきチョーク投げた砂のテマリ上忍って、シカマル先輩が中忍になった本戦の対戦相手ですよね?!」
「…ああ。」
「あの試合がすんげぇカッコ良くて、俺ってば、風遁を特訓中!」
「そっちかよ。」
彼女の戦闘が派手で目を引くのは周知の事実ではあるが、本音の文句を半分、微笑ましさも半分だ。
「や!シカマル先輩の戦術もカッコ良かったっス!」
「調子いいんじゃねぇの、お前。」
「ぇえー。見たかったぁ!」
はしゃぐ後輩たちを2年前の自分と重ね合わせていた。たかだか2年前のことなのに、随分自分の立場や心境は変わったものだと思う。自分の岐路はあの中忍選抜試験だったのだ。かつては自分もあちら側にいた、というのはなかなかか感慨深いものだった。
「がんばれよ、お前ら。」
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