是もまた平穏な日々 2
「人気者だな、『シカマルセンパイ』?」
準備委員会控え室の扉を開けると、テマリが先に席について試験用紙を数えている。うるせぇ、と軽く流し控え室に入った。
採点係は、「最年少」の2人に例年通り割り当てられている…というか押し付けられている。こういった上下関係の発生する組織では、新米に雑用や単純作業が回ってくるのは定石だ。
控え室の大きな作業机の上には、でんと200枚近い解答用紙の束たち。先ほど、先輩の委員が里ごと、受験回数ごとに分別をしてくれたものだ。彼らはすでに本部で開始している試験官の審査へと合流している。
これを2人で全部処理すると考えるだけで、やる気が失せるというもの。けれど、まあ、文句を言っていても始まらない。
ふと壁に掛けてある古ぼけた時計を確認すると時刻は16時過ぎだ。
「夕飯前には終わらせられるか…ちゃっちゃと終わらせようぜ。」
「了解。」
大きな作業机の端に詰まれていた厚く積まれている一束を掴み、解答用紙の置かれていない側の広いスペースを陣取る。テマリも束を手にし、一つ向こうにある机へと持っていく。
シリアルナンバーで管理されている模範解答を片手に、束の山を切り崩し始めた。
人口密度の低い室内に淡々と響くのはカシカシと赤を入れていく音。開けられた大きな窓の外からは、風が葉を揺する音が清かに聞こえて来る。
取り掛かってからしばらくは、模範解答のポイントを頭に入れ、可否要点とボーダーを考えながら採点していけば良かったが、慣れていくにつれ採点は単調な単純作業になった。全体の半分を終える頃には飽きが来ていた。
緩やかな秋風は涼しく心地よく、心のそこから長閑で心地良い時分。最後の2束を残すほどになったときには、思考はぼんやりとしていた。けれど何とか予定通りに終わりそうだ――…。
「。」
すぱん、と前触れ無しに解答用紙ではたかれた。痛くはないが、眠気は確実に消え失せる
ほんの一瞬だけ気を失ったと思っていたが、テマリの接近に気づかずにいた自分はしっかり眠りこけていたらしい。いつの間にか、残り2束だった山は自分の手元の一つだけになっている。
「お前は、ほんっとうにデスクワークに向かないな」
はあ、とため息。本日2度目の失態のせいで、その声からは本気の呆れを感じる。
「かしな」
こちらの手元へと、手を突き出してくる。
「いいって」
「一緒にやった方が早く終わるだろう?」
断りも聞かず、こちらの手元にある束の半分以上を持っていく。そのまま、自分の向かいの席につき、解答用紙に視線を落としたまま口を開く。
「手伝う分、今日の晩飯おごりな。」
「…なんだよ、それ。」
表情は条件反射のようにむすっとしたものになってしまう。
くるくると流暢に赤ペンをたぐる手に視線がひきつけられる。長い指先とすっと通った骨格。いつもは、あの大きな扇を操っている手。そして、かつては自分より少し高い背を見ていたのに、いつのまにか若干自分の下にある双眸と…目が合う。
「手を休めるな。…ぼんやりしてんな。まだ目が覚めてないのか?」
シカマルを一瞬見咎めつつも、かしゅかしゅ、と一定の音を崩すことなく作業を進めていくテマリ。これ以上彼女に迷惑をかける訳にもいかず、素早く自分の手元の解答用紙に取り掛かる。
集中してしまえば残りの作業はあっさりと終わってしまった。
「やればできるじゃないか」
ったく、と、テマリは一人ごとのようにつぶやいて手元の山に最後の一枚を重ねる。
時計を見ると針は19時を少し回っていた。常時点灯されている室内灯のせいで気づかなかったが、窓の外はずいぶんと暗い。
やっと単調な採点作業も終わり、残るは確認作業のみ。受験番号表と照らしあわせたら、試験官たちが集計をしやすいようにそれぞれの分類ごとに印をつけていけばいい。
一区切りついて、テマリは風の国への報告書を記入している。
「なぁ、砂の里では、どんなカリキュラムを組んでいくんだ?」
「そうだな…検討したいのはチーム編成についてかな…。」
「チーム編成?」
ああ、と、少しだけ眉間に皺をよせる。
「砂の現状のカリキュラムは、専門強化を重視しているんだ。力のバランスや相性のスリーマンセルで教育はしない。」
「…なるほどね。」
彼女を含めた弟たちは、それぞれに特化した能力をもっている。
「任務の時はどうしてるんだ?」
「その都度、その時点での能力に応じた組み合わせで人員配備をしている。」
――砂での初期教育の根幹は、忍として個人を自律させるためにに、自分自身で選択し解決することを覚えさせるんだ。チームワークより個人の成長ありきのチーム編成らしい。
「チームを組むと、他人事じゃいられなくなるじゃないか?」
「?」
「情がうつれば…それが時に任務の支障になる。」
任務に関しては極めて冷静な彼女から、予想外な心情吐露を聞かされる。この人は、その冷淡な印象よりも、その人間関係に苦労してきたのではないか、となぜか思った。
「それさえ乗り越えてしまえば、任務の遂行能力は飛躍的に伸びるからな。」
「うちの教育方針とは根本が違うんだな…。」
「けれど…あの中忍選抜試験を通して、やはり私の里も色々と改めなくてはならないと思うようになった。」
――対戦相手は腑抜けているし、弟は暴走するし、裏切ったり、仲直りしたり、散々だったけれどな。
「この仕事――中忍選抜試験は、色々な可能性を秘めているから、やりがいがあるよ。」
自分よりも三年早く生まれた彼女は、ランクや年齢だけではなく、明らかに自分の前を進んでいる。
「…よし、完了。」
トントンと用紙をまとめる。もう一度枚数を確認し最後に封印を施した。この筆記試験の点数が、試験官に協議された適正審査の評価と合算され、明日の朝一番には受験者全員に結果が伝達されることになっている。
「私は本部にこれを届けるから。」
「ああ、オレは五代目に報告書を提出してくる。」
「じゃあ、私がそっちに行くからな。」
有無を言わせず、さくさくと本部事務所に続く道を進んでいった。返事をしていなかったのに、彼女の中では夕食をおごらせることは確定されているらしい。
テマリのペースに飲まれっぱなしではあるが、まあ、そんなに嫌な気分ではない。
※ ※ ※
連れ立って歩く日の沈んだばかりの街には、そこらじゅうから家庭の匂いが漂ってきていた。金木犀の甘やかな香りに、夕飯の匂いやら風呂の石鹸の匂いが紛れ込んでくる。生まれた里で郷愁を誘われる、というのはおかしいけれど、家に帰りたくなるような匂いだ。
「どんな店に連れてってくれる?」
「…美味い定食の店。」
おしゃれでもなんでもない。女連れで行くような店ではない。けれど、テマリならば喜びそうな気がしていた。
「でっかい卵焼きと魚の煮付けが絶品。」
「それは美味しそうだけれど、おごらせ甲斐がないな。」
くつくつとからかうように笑っている。
あまり言葉を交わすことなくしばらく歩き、住宅地と商店街のちょうど間あたり、細い路地に面する見慣れた暖簾をくぐる。ガラリという木戸の音と同時に、いらっしゃい、とこれもなじんだ声が聞こえた。こちらを見るなり、一昔前の看板娘は目をまんまるくする。
「あれ!珍しい。アンタが女の子と2人で来るなんてねえ。」
あらあら、風の国から?なんて、彼女の額を見て異国の客に興味を示している。根掘り葉掘りの質問攻めにテマリも対応に困っているし、食事前に話が長くなりそうだったので注文を促した。テマリ自分と同じ味噌煮定食を頼んだ。
「あらやだ、ごめんなさいねえ。」
ふくふくとした丸みを帯びた手を口元に当て、あはは、と朗らかに笑った。
食事ができるまでの時間、明日の予定を確認していると、間もなく味噌の甘い匂いやら卵の焼ける匂いやらが漂ってきた。空腹が嫌でも刺激される。
「お待ちどうさま!」
どっかりと、大きなトレイが2つ運ばれてくる。いつもと同じ鯖の味噌煮、大ぶりのふんわりとした卵焼き。日によって変わる汁物は、今日は具だくさんのけんちん汁だ。ざっくりと切り分けられた木綿豆腐にはさやえんどうが添えられている。小さな器には瑞々しい梨が2かけら乗っていたが、これはサービスらしい。
「風の国の味付けとは違うかもしれないけどね、ウチのこの定食は木ノ葉一番だよ!」
テマリは、いただきます、とおばちゃんに丁寧にお礼を言い、ふぅふぅと熱を冷ますようにしてけんちん汁を飲み始める。うまいな、これ、と口にしながら心底美味そうにすすっていた。
女を喜ばせるのには胃袋からか、なんてぼんやり考えながらこちらも、たっぷり味噌に浸されている鯖を口に運んだ。腹が満たされていくについれて、疲れていた頭も和らいでいく。一仕事終えていることも相俟って、欠伸をかみ殺す。
「なあ、お前はなんでいつもそんなに眠そうにしている。睡眠不足か?」
「…昨日あれから、イズモ・コテツ先輩に無理やり付き合わされたんだよ。」
「こら、未成年。」
「飲んでねぇって。」
「そういえば、あの2人ならさっき用紙を届けに行った本部で誘われたな。」
試験官たちは仕事終わるのが速いなあ、とずれた感想を述べている。紹介しろとかいいながら抜け目のない先輩方だ。
テマリは大根おろしにさらりと醤油をかけると、何も言わずその瓶を手渡してくる。同じように醤油をかけ、箸先を玉子焼きに差し込むとふんわりと湯気が立った。
「あの2人につき合ってたら、オレの二の舞だったな。」
「ばぁか。私が睡眠不足を仕事に持ち込むとでも思うか?」
大きめに切りわけた卵焼きを口に放り込み、もぐもぐと口を動かしながら思案顔になるテマリ。
「でも、行ってみたかったんだけどな。」
「…飲みたかったのか?酒。」
「いや、せっかくなんだから、試験官の審査の話も聞きたいしな。」
――私だってまだ酒は飲まないぞ。それに、飯ならばこの定食のが絶対いい。そうぼやきながらも、解し取った鯖を口に運ぶ。それは美味しそうに。
視線を落として自分も鯖味噌をつつく…こんな小さなことに幸せを感じる。
二年前に自分たちが受験者だった頃のことを考えると、本当に信じられない情景だ。
ふ、と目の端のテマリが視線を真っ直ぐに向けてきた。
「五年。」
「…あ?」
「五年後は、一緒に飲もうな。」
にや、と久々に挑発的な笑顔をした。
5年後の自分というのは想像もつかなく考えたこともないが、なんとなくこうやって彼女と飯を食べたり、酒を飲んでいるのはあたりまえに想像できる自分に驚いた。
「…ああ。」
窓からみえる街には、ゆるゆると灯りが灯り、安穏とした香りと暖かさに満ちていた。
日常的な情景の中に、あたりまえのようにテマリがいる。目の前の彼女は幸せそうに目元をほころばせながら汁物の器に口をつけている。今なら少し、昨夜の酔っぱらいたちの下世話な話に共感できる気がした。
来年も、5年後も、こんな風に温かい平穏な時間を過ごせればいい。
-了-