「来てそうそう呼び出してすまないな、テマリ」
執務机に座った綱手は、女性らしさを感じさせる笑顔を来訪者に惜しみなく向けている。
「今回の依頼については、対外的な問題もあって直接でないとお前に話すことができなかったんだ」
普段よりも砕けた様子に、砂隠れより約三日の距離を移動してきたばかりのテマリも、僅かな笑みも零しながら「問題ありません」と応える。
「そうそう…まずは礼を言わねばな。先日はうちのチビどもを助けてくれてありがとう。」
「いえ…大したことは。」
「いや、偶然行き会ったとはいえそちらも任務中だったんだろ?あいつらも任務の経験だけでなく、同盟のあり方について勉強できただろう。なあ、シカマル?」
ぼけっと二人のやりとりを眺めるだけだった自分に唐突に五代目は話題を振って来た。テマリが援助した下忍たちの任務については、報告書で把握しているにすぎなかったので、曖昧に頷く。
「……ならば、良かった。」
恐縮するテマリに対して、なぜかやたら綱手は楽しそうだ。
「そこで、だ。お前は外交として良く木ノ葉に来てくれているから気安い関係だが、同盟国間の礼儀としても謝礼を受け取ってもらいたい。個人的なプレゼントと思ってくれれば良い」
「――それは、困ります」
「なんだ?謙虚だねぇ」
「お言葉をいただけただけで、十分ですので」
テマリは他里の長からの贈与に困惑しているらしい。
綱手が個人的にシズネやサクラにどこぞから取り寄せた菓子を渡したり、日帰り旅行を企てることなどは幾度も見てきているので、やんわりと助け舟を出すことにする。
「貰えるもんは堂々と貰っておけばいいんじゃねーの」
「私にも立場ってものが…」
「個人的なご褒美、だぜ?」
普段通りの気の強そうな目付き。けれども僅かな視線の動きから彼女の戸惑いが感じ取れる。
「シカマル、お前もたまには気の利いたことを言うじゃないか。個人的なプレゼントなんだから気軽に受け取ってくれ」
テマリの応えは待たずに、引出から通行証程のサイズの紙片を取り出し、にやりと今日一番の笑顔を綱手が見せる。
「早速だが、これがお前へのプレゼントだ――テマリ。お前に『奈良シカマルを一日自由にできる権利』を与える」
「…は?」
「はあ!?」
サプライズ・プレゼントをもらう人間よりも、突然名指しで贈答品にされたオレのこそが驚かされる。何の相談もなく、母の日や敬老の日に子供がこさえそうな「肩たたき券」や「お手伝い券」のような扱いにされては、断固拒否するってもんだろう。
ところが、文句を言おうとする自分を抑制するように立ち上がった綱手は、テマリの傍に回り込んで目の前に「所有券」とやらをちらつかせている。
「どうだ、テマリ。良いプレゼントだろう?」
「―――」
想定外の提案だったのだろう。テマリは目を見開いたままきょとんとこちらを見つめて来る。オレ自身だって知る由もない提案だったので困惑やら苛立ちやらが綯い交ぜになった表情しか返せない。
「上忍でありなおかつ風影の姉という…立場の貴いお前には物足りないかもしれないが…このかなり頭脳の使い勝手の良い中忍を、まるっと一日お前の好きにして良いんだぞー?」
「綱手様…ふざけるのも大概にして下さい。この人、生真面目だから信じちまうじゃないですか」
「ふざけてなどいるものか。中忍のくせにいっちょ前に文句があるのか?他にはない大役だぞ。」
「本人の確認も取らずにっスか?」
綱手は強気だ。そして、賭け事やら酒やらの楽しみを目の前にしているように、心底楽しそうだった。
「あん?お前も砂の使者と丸一日行動を共にできるんだから、学ぶことも多いだろ?」
「だいたい明日は休日だったのに…無理矢理任務に変更したの綱手様じゃないっすか。そっちは誰がやるんですか?」
「だーかーら。テマリに張り付いて召し使われるのがオマエの明日の任務だってんだ」
――これだから権力がある人間は。
オレの任務も、わざわざ砂から呼び出されたテマリの任務も、すべてがこの綱手の企てた一連のイベントの内だったらしい。
「どうだ、テマリ。お前の一日を任務として買い取らせてもらった。一日このプレゼントを楽しんでくれ。宿も夕飯も木ノ葉持ちだからな。あと、その他土産を買うとか観光地で豪遊するとか、すべてこいつの財布から出すから」
「………」
「こいつ、同期ではずば抜けて稼いでるくせに貯め込んでるからな。散財させてやれ」
「…オレの人権は?」
「中忍止まりにそんなものはない!それに、お前のオヤジはどうぞどうぞって、嬉々として捺印していたぞ?」
『許可証』と書かれた小紙の中央には火影の承認印があった。捺印欄は三つあり、重要書類と同じ体裁を取ってやがる。火影印の隣りにはカカシ先生と…なぜか親父の捺印まで。文面部分を見れば、オレの一日の所有権利云々が厳つい言葉使いで書かれていた。
「テマリ、受け取ってくれるか?」
綱手はそっと許可証をテマリの前に差し出す。綱手の掌の上に、オレの尊い一日がとても軽々しくのっけられていた。
「お前の思うがままに使い放題、やりたい放題の『シカマル一日召使券』を」
いつの間にやら券の名前が悪い方に変わっている。
「ほんと、24時間まるっと遠慮なく使ってやってくれ。まあ、明後日からの仕事に影響が出ない程度にお手柔らかに頼む」
「えええ――…」
「何だ?文句あるのか」
「……」
ちらりとテマリの方を向くと、なんだか色々と頭を巡らせているのかぽわんとしている。再びオレと視線が合うと、うっすらと口元が笑みを作る。なんだ、そのキラキラした瞳は。
「有り難く頂戴します」
「よしきた!これは大事にしっかり持っておけ。」
本人の目の前で、所有権はあっさりと譲渡されてしまった。許可証を恭しく受け取ったテマリは、なぜか胸元の衣類の間に許可証をするりと挟み込む。使用人の弱点を読んだ隠し場所だった。そして、「早速、行使させていただきます」と、深々と綱手に頭を下げるテマリ。
「シカマル。ついてこい」
――なんでそう、堂々とした風格なんだ。
ここで逆らっても綱手にどやされるだけなのは明白だった。不承不承部屋のドアを開けてやる。
ずっと黙って入口付近で控えていたイズモとコテツがひそひそとこちらを眺めながら笑い合っている。「シカマル一日玩具かよ」「ラッキースケベだよなぁ」――穢い大人は下品な妄想ばかりしやがる。
振り返れば、綱手はにやにやと笑いながら軽やかに手を振っていた。オレは見たくない物に蓋をするように火影室の扉を力強く閉めた。
※ ※ ※
「じゃあ、さっそく私のシカマルの奢りで夕食だな!」
「…仰せのままに。あーめんどくせー…」
表に出たテマリは、火影室にいた時よりも砕けた口調でこちらを振り返った。召使がずーんと重たい気分でいるのに、ご主人様の晴れ晴れとした顔が憎たらしい。
「オマエ、しょっぱなから口応えか?後から綱手さまに報告しとくからな」
「申し訳ございませんねー」
納得が行くはずもないが文句は辛うじて押し込め、なんとか平穏にこの一日をやり過ごす方法に頭を巡らせる……どう考えてもメンドクサイ事しか降りかかってこねーだろうが。
「あ…やっぱり秋の木ノ葉は良いね。いい匂いがそこらじゅうからする。さて、ご飯、何にしよう?」
「アンタ、けっこう食い意地はってるよなー?」
「旬の味覚は食べて然るべきだろう?外交官だもの」
くんくんと鼻を鳴らす毒気の無い顔を見ると、召使気分の鬱憤が少しは霧散させられた…気がする。
「あー悩ましいなあ。で、お前のお勧めは?」
「秋だからな…木ノ葉名物のサンマ定食はどうだ?」
「サンマかぁ…いいね、それ採用」
日中は未だ熱い日もあるが、夕暮れの往来は風が涼しく爽やかだった。食堂を目指して街中を歩いていると、確かに秋の食材がそれぞれの店から香しい匂いを漂わせている。山菜を販売している店からは、その場で炊いているらしい松茸の炊き込みご飯の香りが食欲に訴えかけてくる。
「せっかくなら松茸三昧でもいいんだぜ?美味いぞ」
「お。文句垂れてたくせに太っ腹じゃない。松茸もいいなぁ…でももうサンマ気分になっているからいいや」
「サンマ気分って…ご主人様のご希望はお安くついて、懐にありがたいぜ」
「値段の問題じゃないからな。旬の味覚であれば何でも…あ、でも、さっきの和菓子店の栗まんじゅうのお持ち帰りは決定な」
「へーい」
柿に銀杏、焼き芋など一通りの秋の物産品を眺め終えたところで、目指していた食堂に到着した。商店街の入り口からずっと香ばしいサンマの匂いがしていたが、匂いの源はさらにすごい。苦しいぐらいの煙と飛散している脂の匂い――これは美味いサンマが食えそうだ。
「賑やかだなー」
「目の前で焼いてくれるからな。この眺めも風物詩みたいなもんだ」
サンマ定食を二つ注文して、炭火焼の実演が見える席に陣取る。
がやがやとした店舗内にいる来客の年齢層はずいぶんと高いのは、この煙たさと古くて渋い雰囲気いせいだ。テマリは食事が美味ければ、場所や値段にこだわらないことを知っていたのでここに連れて来た。
「おもしろいね」
絶えず広がる白煙の向こうで、若い見習いの店員が団扇で必死にサンマを仰いでいた。
「あれ、砂でもできないかな…最近は、木ノ葉からの魚商人が来るようになってるんだ」
大きな七輪を見ながら、物欲しそうにテマリが呟いた。
「カンクロウに指示すればなんとかしてくれんじゃねーの?」
「そっか、その手があった。七輪は作らせるとして…炭は調達が必要だな…うちんとこ、木材が少ないから」
「炭は軽いけどかさばるからな。ってか、アンタ、そんなにサンマが気に入ったのか?」
「ああ。中忍試験準備委員会の時お前と食べたのが初めてだったんだけど。私が今まで食べた魚の中で一番美味かったもの」
「そこまで…そりゃなによりで」
あの準備委員会の時は、未だ今よりもお互いを知らない状態で、過去の色々な腐れ縁もあって昼飯に誘ったのだ。そんなに美味いと言ってくれるなら案内した甲斐があったもの。
目の前の焼き場では、サンマから零れ出た脂が火に炙られてじうじうと音を立てている。まさにその焼きたてのサンマが皿に乗せられオレ達のテーブルに運ばれてきた。
皿からはみ出すぐらいの大きなサンマに瞳を輝かせたテマリは、割りばしを手に「いただきます」と言うなり、真っ直ぐにその腹を解しにかかっている。
「あー…シカマルの奢りで食べるサンマは殊更美味いなぁ」
「たいした価格じゃねーけどな…」
大きくほぐしたサンマをぱくつき目じりを緩ませている。酢橘をテマリのサンマに絞ってやると「こっちも美味い」と感嘆しながら、酢橘の産地について問うて来る。着々と、テマリの頭の中で砂隠れにおける秋刀魚恒常化計画が進んでいるらしい。そこそこ長い彼女との付き合いで、彼女が一番穏やかな顔を見せるのは飯を食っているときだということは最近理解できてきた。
素早く定食を食べ終えると、熱い茶をすすりながらテマリが口を開いた。
「さて。これからのスケジュール考えようか」
「…これから?栗饅頭を買うんだっけか」
「それは、もちろん。その後のことさ。夜は未だ長いからなー」
愉快そうに胸から許可証を取り出しオレの目の前でちらつかせる。奪い取ることができる距離でも、火影様からの素敵なプレゼントをこの人から奪う勇気はオレには無い。
「一日私の自由にできるんだもの。しっかり使わなくちゃ。お前は私の宿に泊まると良いよ」
「は?」
「まずは栗饅頭だろ。そんで木ノ葉の銭湯に行ってみたいな。夜は宿でお前の頭をみっちり使わせてもらう。」
「――あのな。いくら手伝いがあるからって、なんでアンタの部屋に泊まるなんて…ダメだろ…」
「大丈夫、ちゃんと宿には許可をとるしさ。進めておきたい中忍試験の資料をもってきてるんだ。遅くまでかかるからついでに泊まればいいじゃない。綱手さまとの約束通り、疲労がたまらないようにちゃんと寝かせてやるから安心しろ」
「ついでって…おかしいだろ」
「なぜだ?任務で泊まりになることなんて珍しくないだろ?」
「任務ならそりゃそうだけど…アンタは木ノ葉にとっちゃ来客なんだぜ?」
「問題ないよ。今、お前は私のモノなんだから。自分の持ち物は自分の部屋に置いとくもんだ」
「…だーかーらー…」
不思議な物を見る眼つきでこちらを見据えてくる。ゆっくりと瞬きをして首を傾げた。
「だから?」
「……めんどくせぇ」
「問題ないだろ?大丈夫、召使とはいえちゃんと優しく扱うから、さ?」
こちらが無抵抗になったのを見届けて、にやりと笑顔を零した。分からないフリをしているようでちゃんと理解した上でからかっているのかもしれない。
(これだから女ってやつは…)