「なぁに、ふてくされてるんだ?」
夜は深々と更けてもう日が変わる頃合いだった。
しっかりみっちりオレの頭の処理能力を駆使して砂隠れの中忍試験対策カリキュラムを一晩で完成させた人は、未だ完全に乾ききっていない髪を手櫛で梳きながら、罪悪感の欠片も見当たらない顔をしている。腕の動きに併せて、浴衣から胸元がちらりと覗くのがなまめかしい。
「本当に感謝してる。私一人じゃ、木ノ葉に滞在中ずっと宿で作業になるところだったもの。」
「この作業について文句はねーよ。疲れたけど…」
「あ、未だ銭湯でのことを引きずってるのか?」
同じ書面を確認できるように、正面ではなく側面に座するテマリはこちらを覗き込むように顔を僅かに近づける。この宿に来る前に、彼女の希望通りに向かった銭湯で、彼女の従順な下僕であるオレはやたらひどい目にあわされたのだ。
「間違えてうっかりお前の大切な大切な頭を殴ったことは…本当に悪いと思ってる」
「任務でもねーのに、未だ痛てぇんだけど」
「ごめん。サクラがいてくれて本当に良かったな。ナルトが覗きの常習犯ってのはいただけなかったが…賑やかで楽しかったじゃないか。あいつもサクラたちみたいな返り討ち上等なやつらによく挑むもんだよね」
「あんた、反省してねーだろ?オレはいつも静かに寛いでるのに、とんだとばっちりだぜ…」
「ごめんごめん」
サクラの医療忍術のおかげで痛みは無いはずなのに、テマリが木桶を打ち込んで来た米神付近は未だじくじくとした感じがする。
わざととやった訳では無いのは分かっている。けれども件の召使券のせいで、オレをただ都合よく利用しているだけで、使い捨てのように捉えられているんじゃないかという不安が膨らんでいた。
「なんでそんなにふて腐れてるんだ?」
「…ふて腐れてなんかねーよ」
「嘘つけ、反抗的な顔してるぞ」
「召使業務で疲れてんだって。」
「―――そうだ、働き者の召使にご褒美をやろう」
こちらを探るように言葉を繰り出していたテマリの瞳がキラリと輝きを宿した。
「シカマル…いい事しよう」
「騙されねーぞ。そうやってキワドイこと言っておいてまた作業押し付けんだろ?」
「可愛くないなー。そんな無粋なことしないよ」
「なんか、嫌だ」
「遠慮するなって。仕事を手伝ってもらった分の礼だから」
未だ筆を握ったままだったオレの手をゆっくり開かせて、そっと筆を取り上げる。その流れのまま手をやんわり握りだしたかと思うと、力いっぱい後ろに敷かれていた布団まで引きずり出された。
「……オイ――何すんだ?」
「布団に寝てよ」
情けないことに、上忍くノ一の腕力に誘導されるまま布団にうつ伏せに寝かせられてしまう。
「だから、嫌だって…」
「少し帯を緩めるぞ。邪魔だからな…」
「何やって――――」
「じっとしてろ」
テマリは、うつ伏せになるオレの腰の両脇からずぼりと手を差し入れ、帯の結び目のあたりを弄っている。
「おい…やめろ…」
「情けない声出すな」
「いくらオレを一日自由にできるったって、これは、無い…」
「なんだ?男らしい身体つきになってきてるのに、内側はまだまだ未熟だなぁ。」
布団にへばりつくことで腹部の下で蠢くテマリの手を防御していたのだが、とうとう結び目が緩められてしまった。
「――逃げるな。男だろ?」
いつのまにやらオレの上に馬乗りになった彼女が背後からねっとりと耳元でささやいた。本腰入れて逃げる気分だったのに反射的に背筋がぞくりとして、抵抗する意志がほろほろと崩れていく。奈良家の男は代々強い女に弱いのだから……困る。いや、こんな流れでそのような関係になるのは良く無いだろう?
「さ、やるよ」
それは先までの情感ある声音ではなく、やけにきっぱりとした宣言だった。
「うぐっ」
何が起こったのかを理解する前に呻い声が漏れる。
脇下から差し入れられた彼女の両手がオレ胸板前でがっしり組まれている。一瞬の膨大な力で背面に引っ張られたせいで腰からが弓なりに反らされて…痛い。しっかり襟を正して着付けていた浴衣は、帯が緩んでいるせいで右肩からずるりと滑り落ちた。日常生活ではありえないぐらいに逸らされた筋肉から、じわじわと痛みが伝わって来た。
「ててて…」
「縮んだ筋肉を解放してるんだ。気持ち良いはずだぞ?」
「嘘つけ、いてぇ……」
そのまま捻りを効かせて、右方向、左方向へと無理矢理な力でオレの上半身は弄ばれ、伸ばされていった。テマリだって慣れていないのだろう。力の入れ方に迷いのような波がある。
「全身の筋肉が少しずつ解されてくから」
「ぅあ!」
ぼきりとあまり聞きたく無い音が関節から響いた。流石に体が強張る。
「――ホント、勘弁してくれ」
「何度かやっているし、大丈夫」
「ほんとか!?」
「関節を整えてるだけだもの」
自力では曲げられない位置まで一瞬で捻りあげられた右腕は、通常通り動かすことができた。
「……本当だ。動く」
「さ、次いってみよ」
あまりにもお手軽に次の関節の施術を進めようとするテマリ。一度目が大丈夫だったとはいえ、この人体実験が問題無く終わる保障はない。オレは、彼女から逃れるべく精一杯の抵抗を試みた―――。
「っ、おい!あばれるな――」
伸ばした状態の右腕は、背後からがっちり固定されている。それでも、馬乗りになっている彼女を振い落すために、動ける限りに身体全身を揺さぶった。
「こらあ!バカ丸っ」
叱責一発と同時に、寝技を仕掛けるように身体ごとで動きを止められた。浴衣が滑り落ちてしまった背中に、温かく弾力性のある凶器がぎゅうぎゅうと押し付けられる。
「やーめーろー!」
「往生際悪いなぁ」
「あたってるっ」
「はあ?」
「…胸があたってるっつーの!」
「この体勢だもの、胸ぐらいあたるだろ」
「恥らえよ!」
そんなこと気にしてたら体術が向上しないだろ?と不満気な声が背後から聞こえる。
「カンクロウは平気だぞ」
「アンタ、馬鹿だろ…弟をこんな風にいじめてんのか?」
「いじめてないさ。この整体術を教えてくれたのはカンクロウだもの。私は医療忍術の能力が皆無だろ?だからせめて身体に効くことは無いかと思ってさ。」
「…カンクロウが教えた?」
「うん。傀儡を作る奴だからな、人体にやたら詳しいよ」
「なるほど――じゃなくて……」
その理屈はすごく腑に落ちるが、とはいえこの危険な技を彼女に教授したのは完全な間違いだろう。真っ先に人体実験対象になったカンクロウ本人だって気づいているはずだ。
「カンクロウはお前みたく無駄な抵抗はしないぞ。口では散々文句言うけどな」
「今までの人生で、逆らうとどうなるか理解してるからじゃねぇの」
「でも、本当にイヤな時は本気で抵抗してきやがる。あいつ、首回りを触ると本気で怒るからな」
「うっかりやられたら一番マズイところを守ってるんだろ」
「この前ちょっと手が逸れちゃって、首に手をかけたら本気で叫ばれた」
それだけ彼女の施術は未熟ということだ。逃げ出したい。けれども、背中に無遠慮に押し付けられるやわらかい凶器のせいで抵抗ができない。
「我愛羅が慌てて部屋に飛び込んで来たのは面白かったな。部屋に飛び込んだ途端、目を見張ってた」
「そりゃ、部屋で姉が弟の首を羽交い絞めにしてたらびびるだろ…」
「我愛羅の慌てた顔なんてそうそう見れないからな。」
ふふふ、と楽しそうな含み笑いの声音が耳を擽る。ぞわぞわ妙な切迫感を感じるので、苦し紛れに「ちょっとこの体勢はいいかげんツライ」と心を込めて訴えたらあっさり馬乗りの場所から退いてくれた。
「ごめんごめん」
「……あんた、こんなこと普通に任務の時でもするのか?」
「いや…部下にはしてやると言ってんだが皆遠慮するんだ。そんなに危なっかしいか?」
肌蹴きってしまった浴衣をしっかりと正して帯もしっかりと結びなおす。無邪気天然にテマリは問うて来るが、そういう問題じゃないことを教えてやれるヤツはいなかったらしい。
「危なっかしい以前に止めておいた方がいいぜ…色々迷惑かかるだろ」
「んー鍛錬を重ねるしかないか。今はもっぱら練習台はカンクロウだな。一度だけ我愛羅にやったんだけど反応が分かり辛くてさ」
この人は天然傍若無人に弟たちを餌食にしているらしい。
「でも、今日はせっかくシカマルを自由にできるんだから、今までやらなかったこともやってみたい。独学の成果を発揮すべき時だな!」
「断る」
「ダメ。これをもらっているもの」
浴衣の袂に仕舞っていたらしい、あの忌々しい紙切れを取り出して見せつけて来る。
「ね?」
「………」
「シカマル、やらせてくれるだろ?」
「…かんべん」
「なんだ?きっと気持ち良くなるはずだよ」
「きっと、とか、はず、とか不安な言葉使うな」
「まかせろ。やさしーくしてやるから」
顔は確かに柔和で優しい微笑みをたたえているが、手をこちらに伸ばしながらじりじり迫ってくる。不覚にも、本能的な恐怖から、腰を落とした体勢でずりずり身体を後退させる。途中で防御用に蕎麦殻の枕を手に入れた。
「怖くないって。大丈夫」
後退した分だけテマリはゆっくりと近づいてくる。とうとう背中が壁にあたった。獲物を仕留める猛禽類の如き瞳のまま、ゆるゆるとテマリは微笑んだ。もう逃げる場所は、ない。
「しようよ?」
なんだか台詞がやたら卑猥なように思えて来た。ちらちら谷間を覗かせる浴衣姿で敷かれた布団はすぐそこ。時刻はもう午前一時近くのしっぽりした夜更けなのだ。
「なんなんだよ…もう、アンタ…」
このような責められ方をしてちゃんと抵抗できないのが情けない。何度も逃げるタイミングはあったはずなのに、こちらが浮ついてしまうポイントをうまく手繰って来やがる。
視線を合わせることもできず沈黙していると、正面から聞こえる溜息。
「男らしくないなあ、このバーカ。やらせろ!」
「! やめろ……ッ」
迫りくる魔の手に対抗すべく、枕を防御にして部屋の角にへばり付いた。傍から見た自分の姿はみっともないったらないが、この女が強すぎるのがいけない。
「おい、この許可証が目に入らないのか?」
一瞬怯んでしまったのが命取り。枕をもぎとられ、浴衣ごと引っ張られ、はだけ放題で再び布団の上に投げ出された。仰向けなオレに対して真上から両手を床について圧し掛かってくる。なかなか見られない角度からの胸の臨場感は役得で――抵抗する気力が根こそぎ萎えていく。
「もー…やめてくれ…」
本気の懇願の言葉だったのに、見下ろすテマリはオレに再び跨って来た。貞操の危機に面する少女の気持ちが分かった気がする。
「そういう体勢は駄目だろーがッ」
「何か問題でも?」
男が仰向けの状態で女が跨るってのは親密な間柄でなけりゃ、やっちゃいけないことのはずだ。その腰を下ろしている位置がちょうど下腹部あたりというのも勘弁して欲しい。オレは親父から、常々女には無闇矢鱈と逆らっては行けないと教えられて生きてきたが、これはたまらない。天を仰ぐ体勢で、辛うじて次の手段を繰り出す。
「何切羽詰まってるんだ…?あ、こら!」
印を結ぼうとしてたオレを見咎めて、彼女の両手にそれぞれ絡めとられる。両手を固定された体勢からさらに目前に迫りくる揺れる谷間。胸元をせり出させるようにして、顔の位置もつめられる。
「大人しく。さぁて、そろそろ覚悟しろ?」
無抵抗になったオレを見下ろして満足気に頷く。真剣な顔つきを見つめていたら、ゆっくり鎖骨に添わせて指先が移動していく。ゆるりゆるりと、撫でるような緩やかな力がイヤラシイ。「ここあたりか…」とつぶやくと同時に鎖骨下に指が差し込まれた。
「―――ッ」
激痛がびりびりと神経を駆け巡った。痙攣するように悶えるオレを見て、さらにぐいっとツボを点いて来る。
「この側頭と鎖骨をつなぐ筋肉の…首のコリを緩めるツボだよ。効いただろ?」
さらに指先を滑らせて鎖骨下のツボのある場所に指を押し込んでくる。
「―――!」
叫びたかったのに、息が漏れるだけで声にならない。神経を直接えぐられている気分だ。ぐりぐりと右の鎖骨を施術し終えて、続いて左に指先が移動していく。ひんやりとした指先が次の一点を探りあてた。
「ぅぁ―……」
「変な声出すな」
「―――ーぃてぇ…」
「やっぱり身体の方はてんで弱いんだな」
「……そぉいう、もんだいじゃ…ぁっ」
こちらの苦悩などこれっぽっちも構うことなく、独学の施術を進めていく。素肌に添わせた手が鎖骨から胸骨へと移動して、さらに肋骨間へと指を射し込んで来る。手の動きに併せてオレの下半身の上を跨いでいるその肉感のあるものも動くのだ。
「もちょっと入れるぞ…ん…ッ」
「―――やめろぉ」
「もう?」
「ムリムリムリ」
「もうちょっと…行けるだろ――」
びりびりとした刺激が体中を駆け巡り、「もうどうでもいーや」的な気怠さが蓄積されてくる。意識は朦朧としてくるのだが、「ふっ」やら「はぁ」やら怪しい声が上がる度に現実に呼び戻された。顔を上気させたテマリは、さらに全身の力を指先に集中させている。とぎれとぎれに、身体の動きに併せてテマリの呼吸音が響く。もうこの状態ではすべてがいやらしいものにしか聞こえない。
「んっ――」
苦し気に喘ぎ声を上げると同時に、つうっと額から流れた汗がその揺れる谷間に吸い込まれる。この流れでうっかり一線を越えてしまったらどうするんだ、この女。
「ギブアップ!」
彼女の施術が下手だったことが幸いだった。適宜に打ち込まれる激痛が、気を抜くと別のところに気が行ってしまいそうなこの状態から救ってくれていた。とにもかくにも、激痛とこの葛藤では身体に何一つ良いものがない。
「えー?!」
「もうムリ。」
「もうちょっとだけ!」
「完全に無理だっ。明日に響く!もう少し上達してからにしてくれ……」
「…しょうがないなあ。まあ、反応が良かったから今日はこれぐらいで勘弁してやる。でも、上達するための練習台がお前なんだからな?」
オレの上から制圧していたテマリが、とうとう身体を移動させる。
自由になった体を起こし、辛うじて帯に引っかかっていただけの浴衣の皺を伸ばしつつ、しっかり着なおす。なんだかとてつもなく惨めな気分だった。
「……オレはあんたの玩具じゃねーぞ。」
「だって、今日はお前は私の所有物なんだもの。私の好きしても良いじゃない」
「加減ってもんがあるだろーが」
「あれぽっちでそんなに辛かったのか?弱っちろいなあ」
まるで悪びれないテマリが憎たらしい。弟たちがいることで男とのスキンシップに慣れてしまっていることは分からないでもないが、それにしてもオレの扱いはひどすぎる。
「まるで、無体を働かれた女の気分だぜ…」
せめてもの意趣返しでぼやいてみたものの、きょとんこちらを見つめていたテマリが愉快そうに吹き出した。
「――なんだ。あんなんで傷物になったってんなら、私が責任とってもらってやろうか?」
「………」
「なんだ、その微妙な顔は」
「一生コキ使われんのは御免だぜ…」
「そんなことない。優しくするさ」
おもむろに浴衣の袖元から取り出したあの忌々しい許可証を、ぴん、と指先ではじいた。
「そしたら、この所有券が無くともずっとお前は私を楽しませてくれるんだろ?」
なぜかそのまま目を瞑ってゆっくり紙面に口づけた。振り向きざまにまたあの凶悪無邪気な笑顔を向けて来る。所有されるのも悪くないなんて少しでも思ってしまったのは奈良家男子の血のせいだと思いたい。