彼の知らない彼女のこと


「わざわざご苦労。挨拶など明日の会議の前でよかったのに…お前は律儀だな。親父に似たか?」

 執務机の綱手が軽口をたたいた。木ノ葉隠れの代表を務めるこの女性は、日ごろより曖昧なスケジュール管理で恣意的に動く嫌いがある。
 対して、律儀と言われた砂隠れの彼女は生真面目なのだ。綱手の言葉に、そんなことは、と曖昧な応えを返していた。

「任務帰りだから疲れているだろう。実はお前の弟から宿泊を手配してくれと依頼をうけている」
「我愛羅が?」
「ああ、お前はきっと任務から休まず此処に寄るような強行日程をとるだろうから、と。会議は明日の夜だぞ?ゆっくり休息してからでよかったじゃないか。お前、あまり弟を心配させるもんじゃない」
「…すみません」
「いつもの宿をおさえてあるからな。今日は早く帰って休んでしまえ。シカマル、お前いつものように送ってきな」
 
 あたり前のように、自分にテマリの送迎をいいつけてくる。こちらもそう指示されることはわかっているので、いつも通りに火影執務室の扉を開けてテマリを誘導した。

 屋外に踏み出し見上げる空は、まだまだ日差しが強い。残暑のみぎり、もう夕刻に差し掛かってはいるものの、歩を進める大通りは日中と変わらない明るさだった。
 何度も一緒に通った宿までの道を、いつもと同じように横並びで歩く。肩同士の間には掌を広げたぐらいの距離を保って。
 慣れてしまったこの距離は、なんとなく自分と彼女の間にできた取り決めだった。 もう随分昔のことになってしまったが、初めて見送りを指示されたときに、オレは彼女より二歩前の位置で彼女を誘導しようとしていたのだ。その頃他の要人を先導するときには常にそうしていたし、そもそもそのように教わっていたから、いたって自然な考えだっただろう。
 けれど、彼女はその位置にオレがいることを嫌がった。そんな対象じゃないだろ、と。
 確かに、そもそもの出会いが対戦相手だったし、窮地を救われて忌憚ないやりとりをしていたから気軽に口を利ける間柄ではあった。けれど、砂の使者として遣わされており、目上の人間である彼女への礼節だと思っていたのだ。
 少しためらう自分を見て、テマリは口を開いた。

 『それに、隣の方が話しやすいだろ?』

 あの日以来、自分と彼女が一緒に里を歩くときはいつも、この掌一つ分の距離なのだ。

 いつの間にか幾度も季節は巡り、お互い、年も姿も…立場も、大人になってしまっていた。
 天候を確かめるようにゆっくりと空を仰ぎ、気づかれないように、静かに隣を歩く人の横顔を盗み見る。きりりとした横顔。視線は、真っ直ぐ前を見据えている。すらりと背筋は伸び、足先から頭の先までも糸が通されているように、隙のない動きだった。
 けれど、今日の彼女からは、綱手やあの弟が示唆したようにその目元に疲れが見て取れた。いつもは疲れなど面に出さないが、今日は本当に疲労が蓄積されてしまっているのかもしれない。
 綱手のいうように、早く休ませてやりたいと思う。けれど、今日は―――。

「なあ、冷たい茶が飲める場所、ないか?」

 渡りに船、の気持ちだった。本当ならば、こちらから誘おうと考えていたのだから。

「――あぁ、あるぜ。今から寄るか?」
「うん。ちょっと、急いで来たせいでちゃんと給水できなかったんだ。喉がかわいた…」
「早く言えよ。そういうことは」
「砂漠より酷いことはないから、ちょっと油断した」

 人の体長管理などは煩いくせに、たまに自分のことが疎かになることがあるのだ、この人は。

「じゃあ、オレも行きたい店があんだ、付き合ってくれるか?」
「何を言う。私が行きたいといっている。お前が付き合うんだ」
「…細かけぇな」

 やりとりする言葉は変わらないが、心持は昔よりも気軽なものになっている。そもそも、お互い必要以上の言葉を交わさない性質(たち)だった。
 無駄口はやめて、何時もの経路から外れる。曲がり角だけ先に伝えてやるので、テマリも何も言わすに同じ距離を保ってついてくる。

「こっち、来たことないな」
「オレもあんまり来ないからな。ここらは住宅街なんだけどよ、なんか最近、古い家を改造して喫茶室にしたらしいぜ」
「へぇ。お前、新しい喫茶室チェックしてたり、意外にナンパなやつなんだな」
「接待用に使えるかチェックしただけだぜ?」

 訂正したのに、そっか、なんて軽く流してくる。少し悔しい。だんだん入り組んで細くなってきた路地を進んでいくと、間にあった距離が少し縮まる。けれど、すれ違う人もほとんどいないのでお互いの手が触れ合うこともない。なんとはなく歩いているだけなのに、彼女側にある身体の半分が、ちりちりするように感じた。

 辿りついたその店は、想像していたよりもずっと立派だった。門柱の突き当たりには瓦が厳しい民家が見えたが、店の看板が指している棟の方は洒脱な洋風建築だ。

「…重厚なお屋敷だな」
「あぁ。紹介してくれた先輩が隠れ家っぽいって言ってたぜ」

 やたら緑に溢れる庭を仰ぎ見れば、梢の間に二階部分の窓が見えた。門を潜り、緑のアーケードを通り抜ければ、そこは外の住宅地や大通りの喧騒から隔離された世界になる。

「のんびりできそうな…お前が好きそうな場所だな」

 すうっとゆっくりと深呼吸をして、テマリは伸びをする。酸素濃度が高いなあ、なんてひとりごちながら。
砂漠の中で暮らす彼女は、緑の多い場所などにくると決まってこうやって深呼吸をするのだ。そして、しげしげと庭にある緑を眺めている。

「行こうぜ」
「ああ」

 開かれている木造の扉を通ると、店内のほどよい室温に包まれた。奥に見える中庭からの風が店内を通り抜け、自然の力で涼やかになるような構造なのだ。建物自体は古いが、改造したばかりのせいか清清しい木の香りがする。夕食の買い物時のこの時間なので、客は少ない。
 自由に席を選んでいいといわれたので、迷わず二階の窓際を選んだ。二階はこじんまりとした一部屋だけだったが、日当たりも風通りも良い。注文をして少しの待ち時間の間、目の前の人は眠たそうに目をしばたかせていた。

「珍しい。お疲れだな」
「…少し、な」

 はーっ、と溜息とも深呼吸とも区別がつかない呼吸をして窓の外へと視線を移す。そこには、この洋館の屋根以上の高さがありそうな栗の木がそびえたっていた。
 そう、この店を選んだのは他でもなく…。

「お待たせ致しました」

 柔らかい声音で、店の女性が注文したものを運んできた。かたり、カチャリとオレたちの前に並べられるモノたちにテマリは興味深深の視線を向けている。

「なに?これ」

 テマリはアイスティーだけを注文していたので、オレが勝手にこの店の定番メニューを注文ていたのだ。
二つ頼んだそれの内一つは、しっかりテマリの前に並べられている。甘くて柔らかい香りが流れてくる。
 
「砂隠れには珍しいだろ?モンブランって名前だけど」
「ケーキ?」
「そ。ここで摂れたもので作る名物らしいし、甘いから疲れてんならちょうどいいぜ」
「へぇ。栗がのってる」

 そっと顔を近づけ、頂に乗っかっている栗の甘露煮に鼻を近づけくんかくんかとならしている。

「いいにおいがする」
「…犬かよ」
「でも、なんだか食べにくい形状してるな?」

 疑問符を投げかけつつも、フォークを頂の栗に突き刺しぱくりと咥える。もくもくと無言で味わい嚥下した。そのまま、わき目も振らずにまたフォークをケーキへと向かわせる。黄色くほろほろとした線を描くクリームに何度かためらっていたが、真剣な顔をしてフォークの切っ先をしっかりクリームに埋め込んで、
ゆっくりと掬いあげる。
 初めて食べるクリームを口に入れて、目に見えて、この人の目元と口元が緩んでいた。
 いつも冷静に行動する彼女を見ているから、やけにギャップを感じる。

「美味いか…?」

 声を掛けると、明らかにゆるんでいた表情がびくりと固まった。

「……」

 冷静さを装って、ふいと視線をそらす。なぜだろう…見ている方も気恥ずかしくなる。

「…女ってやつは、なんでそんなもんが好きかね」

 何と言葉をつないでいいか分からなくなってしまって、思わず揶揄する言葉が口から出た。しまった、と思っても遅すぎる。テマリは途端にむぅと口元をまげて、こちらをにらみつけてきた。

「お前、甘いもの好きじゃないのか?」
「嫌いじゃねぇけど…女が喜ぶようなもん、そう食わねーよ」
「食べ物に男も女もないだろ。じゃぁ、なんでこれを頼んだんだ?」
「…いや、名物だって聞いてたからよ」
「私は冷たい茶が飲みたいと言っただけだ。別にケーキなど頼まなくてもよかっただろ?」
「それは…」
「もういい。お前が食べないなら、私が食べる」

 フォークを握っていたオレの右手首を押さえつけてくる。一方で、本体の横に避けておいたオレの栗の甘露煮に自分のフォークを突き刺す。そのまま躊躇いもなく、口へと押し込んだ。

「あー…」
「おいっしいなぁ」

 食べようと心構えをしていたものを目の前で横取りされると、大好物ではなくとも悔しさはあるわけで。
複雑な顔をしているオレに、人の栗の甘露煮を頬張った彼女は、やたら嬉しそうに勝ち誇った表情を向けてくる。

「一番最後にとっておいたのに…」
「何だ?お前、ケーキを食べるの恥ずかしがっておきながら女々しい食べ方すんな。苦手なのかと思った」
「人の食い方にケチつけんな」
「ばーか。とっておいて途中で襲撃でもされてみろ。損するぞ。最初に食っとけ」
「少し後伸ばしの方がより美味いんだって」
「ごちゃごちゃ屁理屈言いやがって。もういいよ、残りも私が食べてあげるから」
「オレの分だ!それは」
「こーんな女々しい食べ物、いらないだろー?」
「言ってねぇだろ!」

 手首を握られたまま、無理矢理もう片方の手で握るフォークを解きにかかられる。ここで男が意固地になる訳にもいかず、手加減して抵抗していると、あれよという間にフォークは奪い取られた。
 まだ半分残っている自分の分はオレから一番遠い位置に移動させつつ、いただきます、と、オレの分のモンブランの頂から崩しはじめた。普段は冷淡にも見える表情しか見せないくせに、この人は本当に美味そうに物を食べる。…普段は食べないそのケーキがやけに美味そうに見えた。

「ちょっと…ほんとに少しだけ」

 栗のクリームをたっぷりと乗っけたその一掬いを奪おうと、今度は逆にテマリの手首を捕まえる。

「こらあ」

 ぺしっ、と容赦なく逆の手ではたかれた。その隙にクリームは彼女の口へと収められた。
 
「…もーいい。別のものを注文する…」
「なに頼む?」
「オレんだぞ。んー…マロンパフェ」
「アイスクリーム?栗の?」
「そう…って、まだ食うのか?」
「あたりまえだろ?」
「あんまり甘いもん食べすぎると太るって、女は気にするんじゃねーの?」
「いや。砂漠を通って任務してると、大目に食べておかないと体重は減ってく。むしろ肉はつけたい」
 
 きり、とわざとらしいほど生真面目な表情に戻って、まるで会議のときのように説明を始めた。単純に彼女は栗のデザートを食べたいのを、もったいぶって誤魔化しているだけなのだろう。そんなことが分かってしまって、彼女がやたら愛らしくみえる。

「何、笑ってる…」
「栗、好きなんだなーと思って」
「…好きだ。悪いか?」
「いやあ、アンタも忍術とか教育とか弟とかじゃなくて好きなもんがあって良かったなぁと」

 すみませーん、と控えめに声を上げると、階下から先ほどモンブランを運んできた女性がやってくる。ケーキをすでに2つも注文しているのに、追加してパフェを頼むのには少し恥ずかしさを覚えないでもなかったが、店員は朗らかな笑顔で注文を受けてそのまま階下にある厨房へと戻っていった。

「私が栗好きだって誰かから聞いた?」

 彼女の方も少し気まずそうに話を変えてきた。

「…弟その1が教えてくれた。あんたが疲れているときは栗を与えるといいって、わざわざ事前に伝えてくれたんだぜ。長男とは喧嘩の仲かと思いきや、仲いいんじゃねぇの?」
「…カンクロウとは、我愛羅が荒れてたときに二人きりでいることが多かったからな。一番私の性格を理解してるんだろうな」
「一つ違いだっけか?」
「ああ、実は生まれた日も10ヶ月も違わない」

 今まで末っ子の話は彼女の口からさんざん語られてきたが、長男について言及するのはこれが初めてのことだったので新鮮さを覚える。

「カンクロウは傀儡いじっているだけあって一番手先が器用なんだ。何につけても、こだわりすぎなぐらいだよ」
「…そういや、料理とか上手そうだな。あいつ」
「里にいるとさ、どうしても我愛羅の方が目立ってしまうんだけど…見た目は一番父さまに似てるからな。実は…けっこうもてる。けっこう優しいし」

 少しだけ、ほんの僅かだが、テマリは眉を潜める。

「器用な分だけ損な仕事をたくさんやってたりもする。私たちの中で一番努力家かもしれない。まあ、傀儡については…半分趣味だから休日なんて食事も忘れることがあるからな。もう、病気だよ、あれは」
「なんか、想像がつくな、それ」
「我愛羅はともかくカンクロウは結婚できるのかね…心配になってきた。我愛羅は尾獣のせいもあったけど、カンクロウも物事に没頭しすぎて、生活習慣とかほんとてんで駄目なんだ。それぞれ自立できるようになるまでは私が管理して教育してやんないと。父さまは、忍術ばかりでこっち方面は甘やかしすぎたんだよ。母さまもいなかったから」

 我愛羅の話をするときと比べて愚痴が多い。けれども、つらつらと連ねられる言葉たちは、止め処ない彼女の心情の吐露に変わりない。家族についてのどうにも隠せない想いがそこに見え隠れしているのは確かだった。
 テマリは一度ふう、と溜息のような吐息をこぼす。うろうろと宙を彷徨い、栗のクリームの台座部分の残骸にたどり着くことがなかったフォークが、やっと柔らかめのスポンジを拾う。押し黙り、もくもくと口の中にケーキを詰め込んでいく。柔らかいクリームの部分は先にあらかた平らげられていたが、栗の欠片がひょっこり混ぜ込まれているスポンジは、三度の咀嚼で消えた。

「――なんか、帰りたくなってきた…」

 なぜだか胸にずっしりと来るものがあった。初めて眼前で弱音を溢しているテマリ。大切な日に、やはり遠い場所の弟たちを想っている彼女と、どうにもできない自分が歯がゆい。
 微妙なタイミングというかナイスなタイミングとでも言うべきか、先ほど追加注文したマロンパフェが運ばれて来た。

「…疲れてたのに悪かったな。今日は早く休んで、明日は会議が終わったらすぐに戻ってやれよ」
「ごめん、私の話ばかり」
「まーせっかく来てんだから、せいぜいしっかり堪能していけば?」

 でん、と3つの栗の甘露煮が糖蜜に絡んできらきら輝いているマロンパフェを指差す。今までその存在に気をやってなかったテマリだったが、視覚的にも甘さがてんこもりのパフェを見るなり、先より分かりやすく目を輝かせ、すぐさまスプーンを手に取った。クリームをたっぷりつけて、栗をほおばる。

「――これ、美味いな。幸せだなぁ…」
「お手軽な幸せだな」
「いいだろ?甘味は美味いし、ここの風景も…緑が瑞々しくって最高じゃないか。風の国には両方ない」
「…そりゃ…よかった」
「それに、お前もいない」

 こちらをじーっと見つめる視線。この人はこうやって人の目を真っ直ぐ凝視する癖がある。すごい言葉を伝えられたように思ったが、この人の本心は読めない。目も逸らせずにいる自分は、この人がまたおちょくっているのではないかと疑いながらも、僅かな期待を捨てられずにいる。
 疲れているせいか、僅かな時間でころころと表情を変えて見せるこの人。ふ、と僅かな笑顔と一緒に吐息をついた。

「ありがとう。今日、誕生日なんだ」

 もちろんそんなことはあたり前に知っていて、そのためにこの店の下調べまでしていたのだ。
 けれど、話を切り出してきた彼女がこれまた解釈が難しい笑顔なので、オレはおめでとうも言えずただ見つめ返すことしかできないでいる。

「カンクロウが教えたんだろ?あいつ、優しいから」
「…本人に伝えてやれよ」
「いや、きっと、言わなくても分かってるさ。お見通しなんだよ。私の好きなものだって、ぜんぶ」

 真意が読めない。けれど、テマリが柔らかく笑っているのは確かだった。

『本気なら、覚悟していけよ』

 やっかいなのはあの末っ子だと思っていたのだが、なかなかにこの三姉弟の結束は手怖い。
 彼女をつなぎ止めるものは、いくつもあるのだ。
 きっとカンクロウは、そこに自分が含まれていることを理解していない。
 
 …教えてなんてやらねぇけど。
 





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