空青く風強し 1


強くあれ、と父は言った。
この里で生き延びることは、力をもつことであると。

里のため、風の最強の武器となれ。
風影の子として。
砂の忍として。
情をすて、己の体は己自身で護れ。

――そして、生き延びよ。


● ● ●


 今日も、砂漠の空は雲一つなく、どこまでも焼け付くような青色だ。テマリは突き抜ける青天井を一瞬仰ぎ見、視線を墓標に戻した。
 今日は、四代目風影の三回忌の法要が執り行われていた。墓地の一段高い位置にある歴代風影の墓標が並ぶスペースの前に、砂の里の中枢を担う忍たちと風の国の来賓、そして血族である姉弟が佇んでいる。
 3年前の本葬儀の日も、やはりこのような青い空だった。
 あの時は、突発的な消耗としかいえない戦で里全体から多くの犠牲者が出ていた。個別で風影の葬儀が営まれたが、どうにも整理のつかぬ気持ちで参列していた。
 里のために尽くし、消費され、屠られた父。力強かった父。
 長い時間をすごしていたはずなのに涙は出なかった。あまりに呆気ない。 父の真意を知ることなく、最期の言葉も伝えられず、司令に従いただ疲弊した自分達。
 空の青の記憶だけが嫌に鮮明だった。


○ ○ ○


 テマリが生まれたのは、第三次忍界大戦が終戦する一年ほど前のことだ。戦の中の吉事であり、風の性質を小さな体いっぱいに宿し生まれ落ちた自分は、人々に大いに祝福されたと聞く。
 皆が生きることに精一杯だった。きっと新しい生命を育むことは、一方ならぬ苦労を強いられたことはは想像に難くなかった。けれど、そのような終戦を挟んだ混乱の中、自分が生まれた翌年には弟のカンクロウが、そして、その2年後には末の弟の我愛羅がこの世に生を受ける。
 4代目風影である父は、歴代の風影の中では珍しく、3人もの子をもうけたのである。

 かつては自分とは3つの年の差のある弟が怖かった。妖獣をその体内に宿す弟は、いつも死を身近なところまでつれてくるのだ。その死への恐怖は本能的な畏れだった。
 とはいえ、弟はその特異な境遇から、血のつながりのある自分達とも隔離されていた。テマリが我愛羅と直接顔を合わせたのは、8つになった頃のこと。
 5歳のころの我愛羅は、同じ年齢の子供と比べてずいぶんと小さかったように思う。内に飼っている獰猛な獣に反して、その宿し主は常に眉間にぎゅっと皺をよせて、怯えたような瞳をしている。小さい体をさらに丸めて、せめて自分の周り30センチの世界だけを守るように、過保護に軟禁された弟は生きていた。

(そんなに大きな力があるのに、なぜお前はそんなに怯えているの?)

 年端もいかないテマリには、人柱力の苦しみは理解できない。しかし、忍としての訓練を受け始め、未熟な自分の力、女の男との力の差を意識しつつあったテマリにとって、その圧倒的な弟の力は恐怖であり、同時に妬ましいものだった。

(父さまは、きっと、この凶暴な兵器を、一生一番に大切にする。)

 弟が母の死と引き換えに生まれ落ちるまでは、風の力に恵まれた自分が父の一番だったのに。里の皆は弟を恐れてはいたが、一方でその力を認め、大いに期待を寄せている。
 テマリは、本能的な恐怖とその醜い妬みのせいで、末の弟に対して出来る限り無関心を装う。里中から一方的に恐れられ、街中で1人で泣いていたとしても、耳を塞ぎ、目を伏せた。一番に傷つき、この世界を怖がっているのは弟の方だなんて、自分はずっと知っていた。
 
(どうして、わたしたち姉弟は、他と違うんだろう。)

 学校に上がり、同世代の子供たちと会話することで、どうやら自分の生まれ育った環境は特別であり異質であることは理解していた。
 実際に、学校に上がる前にテマリは刃を向けられたこともある。権力を巡る闘争の矛先が風影の親族に向けられることなど、砂の国ではまかり通っていたことだ。
 そのために様々な修練が自分と弟には課せられていた――忍の基礎修練以外にも、毒物への耐性訓練に精神訓練、暗殺防御、そして人の殺し方。まだ忍として認定されていない時分より、カンクロウと自分は任務に同行させてもらっていた。
 テマリの保有する風の性質は、確かにそこいらの中忍と比べても遜色ない。実践でもテマリは、風影の子として、砂の忍として、里のために任務を遂行した。
 
「そんなに厳しいの。」
「女の子なのに。」
「泣かないの、エライね。」
「さすがは、あの風影の子。」
「あの人柱力のお姉ちゃんだから。」
―――まだ子供なのに、簡単に人も殺せてしまうのね。

 それは、悩む暇もなく「あたりまえ」にすべきこと。殺さねば、自分が殺される。物心ついた頃より当たり前だったことたちは、今更論われても、異質性は当事者には分からないものだ。
 けれど実際のところ、拙い自分はいつも必死だった。いくら自分に付する風の力は膨大でも、それを扱い切れない。けれど、失敗などは許されない。ありえない。
 任務の失敗は父の顔に泥を塗る。冷徹だと人に非難されるよりも、父に見切られてしまう方がよほど恐ろしい。


○ ○ ○


 テマリが9つになったある日、里の街中でいくつかの殺生事件が起き、風影命による我愛羅の暗殺指令が下り、弟の身の回りをみていた叔父が殉職した。
 その頃、精神的に不安定だった弟は、日に日に強力になりつつある力をコントロールできぬ時間が増えてきていたので、それは予期できた事柄だっただろう。翌日の朝にその事実を聞かされ、身内としての衝撃と同時に、やはりそうなったかという納得感があった。
 以後、その弟を対象とした暗殺令は里全体に知れ渡るものとなる。幼い子供の暗殺とはいえ、対するはあの人柱力。真っ向から向かっていてはいくら命があっても足りない。隙をつくように、日常の中に毒を忍ばせて、真綿にくるむような殺し方が日々仕組まれていた。
 そして、我愛羅はあの叔父が殉職した日に決定的な心の変化を迎えたらしい。狂気の暴走に翻弄されいた以前の弟とは違い、狂気を隠し持ちつつも、それを自分の力としたようだ。自分の意志で向けられる殺意に立ち向かう。父が暗殺を決めたことで、本人が自律の力をもつようになったというのは皮肉なことである。
 そんな我愛羅の成長と、テマリとカンクロウの忍術、護身術がそれなりに認められるようになっていたこともあり、時には三姉弟が一緒に上忍の同行で任務に参加するようになっていた。
 父に最優先されるものという範疇から弟が外されて、テマリの中の我愛羅への妬みはなくなり、恐怖だけがある。そして、どうしようもなく悲しかった。この子は、父に捨てられてしまった。それは、弟だけではなく、自分自身さえも同じ対象なのではないか――父、風影にとっての家族など。

 だから、その誕生日に、自分からあの我愛羅と関わろうとしたのだ。
 あの弟はお祝いなんて嫌がるだろうが、ただ一緒に過ごしたい。普段は居住区域の中でもすれ違いが多い自分たちではあったが、その日は散々嫌がるカンクロウを強制参加させ、食堂として使われている部屋に集う。
 我愛羅は並べられた食事を無言で食べていた。いつも口喧嘩の耐えないテマリとカンクロウもほとんど口を開かなかったので、ナイフやフォークの音がやけに耳につく。どうも上手くいかない。 
 気まずく逸らした視線の先に、出窓に置いてある小さな写真立てがある。そうだ、この子の誕生日は母の命日だった。母が恋しい時期もあったが、あまりに幼い時にいなくなってしまったので、今やもう朧げな痛みしかない。
 机の上に飾られている花を小さな花瓶に少しだけ移し替える。自分が写真立ての母に花を添えようとしていると、いつの間にか隣りに来ていた我愛羅が写真立てを床へと叩き付けた。
 頭で考えることもなく、反射のように末の弟の頬をめがけて右手を降り下ろす。刃のような砂が自分の掌を穿つように走り来た。既のところで自分も風の力で防御したが、掌のちょうど中央、運命線のように一筋の赤い割れ目が出来ていた。
 
「っ。」

 痛い。けれどこの子を叱らなければという思いに突き動かされて、今度は左手で呆然としている頬をつねりあげる。今度は砂は出てこない。その時、弟に対する恐怖心はどこにもなかった。

「ごめんなさい、は!?」

 目を見開き、至近距離でじっとこちらを凝視している。
 皆に恐れられ、殺意を一身に受けている弟の頬は、柔らかくて温かい。

「…我愛羅?」
「……。」

 母の遺品を汚したことへの怒りと悲しさと、けれど同時にこの弟に対する申し訳のない気持ちが押し寄せる。我愛羅もどうしていいのかわからないようだった。自分も何と言葉をかけていいの分からず、気まずいまま頬を離す。
 なんだかどうしようもなく泣きたい。誤魔化すように口をぎゅっと結び、自分を見据えている瞳を睨み付ける。

(――ごめんね。)

 ぽん、と、ふわふわした赤毛の頭に軽く触れて、言葉を交わすことなく踵を返した。部屋を出る直前に、カンクロウに手を治療してくるとだけ告げて。
 自分と弟の関係が僅かに変わったのは、この日からだったと思う。今まで自分の言うことに耳を貸すことがなかった弟は、自分の言葉に耳を傾けるようになる。弟が少し近くなった。
 けれどやはり自分の弟は、人であって人ではなく、時に暴走するように自分たち姉弟に危害をもたらす。
 そのようにしたのは、ほかでもないこの里の長である父。
 そして、その息子の命を狙うよう指示しているのも父だった。


● ● ●


 カァン、カァンと、鎮魂の鐘が青い空を切り裂くように鳴り響く。
 最後に弟が献花を終えた。親族としてではなく、五代目風影として。
 いつの間にか、その背中は自分よりも大きくなっていた。
 けれど、同じ風影の衣装を纏うその後ろ姿は、まだ父のそれよりはずいぶん小さい。


○ ○ ○ 


 当たり前に見てきた砂漠の青空の、その色の理由を教えてくれたのは父だった。
 その日は朝からの晴天。木ノ葉で開催された同盟締結十周年の記念式典のため、一週間ほど里を不在にしていた父が戻ってくる日だった。自分が父親と日常的な時間を共有することは少ない。だから、貴重なあの日のことを、テマリは今でも鮮明に覚えている。

 テマリは、風影邸の屋上にいる。この屋上は、里の全体が見渡せ、空と陸のコントラストを縫うように風が強く吹き付けるので、心をすくような気分になって好きだ。
 そして、この場所からは、帰還する風影一行が良く見える。父の無事を見届けたテマリは、谷から吹く風を身体で受けて感じ取る。風を受けてその効率的な動きや作用を読み取るのは、昔からの自分の修練でもあった。
 かつん、という音がすると思うと、外交用の正装のままの父が足早に階段を上がってくる。被り笠と面隠しは取っており、通り抜けた強い風に吹かれその白衣(びゃくえ)がばさりと靡く。自分を見つけ悠然とに歩み寄る風影の姿をした父は、心が震えるほどに凛々しい。その人の娘であることを改めて心より誇りに思った。

「おかえりなさい、父さま…。」

 その日の父は、いつもと違って雰囲気が柔らかいように感じた。
 
「テマリ、空を見て見ろ。青い空が綺麗だ。」

 こちらを見ることなく、遠い空と、その下の街を見つめている。

「雨があまり降らないから空気中の水分が少ないんだ。水分が少ない砂漠の空は、光が散乱することなく、焼き付くように青くなる。風の国は水が少ないが…厳しい環境のその分だけ、美しいものがある。」

 いつになく饒舌になって、滔々とこの国について話す父。少し悔しいと思った。

(なぜ、あの子に犠牲を強いている国を美しいといえるの。)

 未だ苦しみの中にある弟。少し、自分との関係が変化した弟。

(我愛羅はまだ小さな子供だよ。)

 今、父のその目に映るものと、自分が見えている風景は同じだとは思えない。

(ねえ、私たちを見て、父さま――。)

「木ノ葉の里やその郊外まで巡ってきたよ。土壌は肥え、潤った緑が美しかった。けれど、やはり砂の里が一番だな…。」

――途絶えさせるわけには、いかないな。
 乾いた空気の中、通り抜けた強い風の音に吹き消されそうだったが、父のつぶやきは自分の耳に届いた。ふと、真直ぐで、熱の篭った視線が自分を射抜く。

「お前は、この里を護る、強い風になれ。」

 ほんのごく僅かだけ、微笑んだ。逞しい掌が伸ばされて一瞬だけ自分の頭をなでる。温かい。
 
「……俺の子なんだ、お前も。」

 自分ですら…自分に流れるこの風影の血脈は、里のために生き、死ぬ存在だということを知る。

「この国は…この里は、この青空の下にあるのが一番に美しい。」

 まるで戦いを挑むような視線で、その空の向こうを見つめている。
 里の長というものはなんて孤独なんだろう。一番に里を愛している人は、里のために犠牲を強いられている。多くの期待と恨みをその一身に負って。
 これからだって、様々な決断を下さねばならないだろう。

(ねえ、父さまは、それで幸せなの。)

 けれど、彼が一途に護るこの里が永劫続けば良いと思った。若くしてこの里を統べるあの人の支えになりたい。
 その日に初めて、青い空を寂しいと感じた。


● ● ●


 法要は終わり、青かった空は西から赤らみはじめている。
 テマリは1人、外交関連の資料を保管する書庫で書物を手繰っていた。

(私には、弟を支えるだけの覚悟があるのか?)

 自分が支える対象は弟になった。今、なぜか思い出すのは、あの日の父の何かを吹っ切ったような力強さだった。
 だから今、自分は過去の外交記録の書類を手繰る。父があの日、火の国で何を見、何を考えたのかを知りたいと思った。父が裏切った木ノ葉、弟を救った木ノ葉――父の足跡を辿りに自分は木ノ葉に赴く。



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