空青く風強し 2


「遠路はるばるようこそ…といっても少し前まで何度も通っていたんだったな。中忍選抜試験はご苦労だった。」

 個人的な理由での入国ではあったが、すんなりと五代目火影の謁見ができた。こんな時は、自分が外交で各方面に面識があることに助けられる。運良く、試験準備係として往来していた分の休みがまとまって取れたのはいいものの、また訪れるのが木ノ葉というのがまことタイミングが悪い。
 力強く男勝り、けれど、しっかり女性らしい柔和さのある5代目。年上の女性に免疫が少ないテマリだが、この代表は気負うことなく話すことができるので好ましく思っている。

「で、今回は個人的な用件なんだって?」

――書簡は読ませてもらったよ。彼女の手元には、自分が先立って飛ばしておいた書簡が握られている。

「今回もこちらからの案内は慣れた奈良の奴にしようかと思ってたんだが。」
「そんな…許可さえもらえれば、案内人などは。」

 今回は本当に自分自身の用件なのだ。木ノ葉から必要以上の施しを受けるわけにはいかなかった。

「そう遠慮するな。ちょうど適任のやつが見つかったんだから」
「…適任?」

 にっこりと対外用の笑顔を張り付けている彼女からは、その心内を読みとることができない。
 
「ああ、来訪する場所にいたことがあるし、まあ、今回に関してはお前の話相手として最適だ――」

 コン、コンと狙ったようなタイミングで、重厚な扉をノックする音が響いた。

「――3代目の息子だよ。」
「失礼します。」

 開いた扉から、ゆったりとした動作で図体の大きな木ノ葉の忍が入室してくる。のったりとした柔らかなオーラを纏ってはいたが、実に隙のない動き。木ノ葉のベストからのぞいているのは火の紋の入った布。

「あなたは…。」
「直接話すのは、初めてかな。」

 そうだ、選抜試験の予選会場や試験準備委員会で里を訪れている折に何度か会釈はした覚えがある。確か、奈良シカマルたちのチームの担当を努めていた上忍だ。

「猿飛アスマだ。よろしく。」

 木ノ葉の中でも名家と名高い一族の名をもつ男は、強面のその顔に似合わず愛想たっぷりに笑った。 


● ● ●


 かつて父が三代目火影と式日の1日を過ごしたという忍寺・火の寺は、木ノ葉の里より一時(いっとき)ほどの火の国の西方にあった。手前のなにやらめっぽう厳つい本堂は通り過ぎ、奥の院にて先代住職である白髭の老僧と会する。
 火の寺の奥の院は、鬱蒼とした緑が茂り、広大な敷地を誇るこの火の寺においても一際静寂の中にあった。外界と比べて空気までもがしめやかに感じる室内には抹香臭さが充満している。

「懐かしいねえ…。」

 ゆっくりと天井を見回していたアスマの呟きが耳に入る。同じ時期に父親の死を向えた、テマリよりちょうど干支がひと回りする彼は、かつてこの寺に滞在していた時期があり老僧とも面識があるとのことだ。

「お二方をこうやって同じように迎えることがあろうとは…ははぁ、あの同盟は本質的なものだということかな。先代は亡くとも、2国のつながりはこうやってここにある。」

 抑揚を抑えた耳触りの良い声音で言葉を連ねる老僧は、9年前のことを思い起こして目元を緩めている。

「その日のことを…覚えておられるのですか。」
「もちろんですよ。あのお二人がここに参られた日はそれはそれは好天吉日。式典ばかりでは形骸的なものになってしまうと、三代目様は考えなすった。」

 三代目火影は、この火の寺を基点にして木ノ葉の名所などを1日かけて案内して回ったらしい。きっと風影は、あの父親ほど年の離れた好々爺に引きずられるようにして巡ったのだろう。

「先代風影さまはお若かった。まだ三十代というのに険しい顔つきできりきりと張り詰めておられた……けれど、三代目さまは砕けた様子で風影さまに色々と声をかけられていましたよ。三代目さまは、情が厚く煩悩も多い人でしたからな。はは。様々なものに興味をもち、愉しまれ、里とこの国を本当に愛しておられた……。」

 あの三代目火影ならば、他里の人間であろうとも家族のように包み込んでしまうのかもしれない。たとえ自分が犠牲となっていても。 思い出すのは、挑むように空をにらみつけていた父の横顔。 まだ未熟な自分には到底理解できないその思い。

「貴女は…国が途絶えるということはどういうことか、考えたことがありなさるか。」

 慈悲深い瞳で見つめられる。

「例えば人の死で考えてみると良い。普段意識せずとも、皆、いつかの行く末を想定して日々言葉を交わしている。けれど、どちらかが潰えれば、続くはずだった物語はそこで一方的に幕を引かれてしまう。別れ際に交わした言葉が、最後の挨拶になるでしょう――。」

 くわんくわんと頭の中で色々な言葉と情景が回っていた。少し痺れたような感覚になる。

「貴方の国にも子守唄があるでしょう。子守唄は、血縁や地縁の間で世代を越えて歌い継がれるもの。そんな奇跡的な存在が100年という時を経て受け継がれたとしても、国途絶えればすべてがそこで砂塵に還る。そこに重ねられた時間が1年でも1000年でも無くなってしまえば同じ。風の国の町並みや大切にされていた物達、それに纏わる喜怒哀楽の事象も、無かったことになる。」

 大戦を繰り返してきたこの世の中では、国が滅ぶことも起こり得る現実だ。

「そんな人々のつながりと、歴史を蓄積した里の中心にあり、背負うのが、『影』。」

 あたりまえといえばあたりまえの事実。けれどその重みを肌に感じてしまい、恐怖する。

「方法は違えども、2人とも信念は同じでした。国も歳も違えども、立派な里長たちでしたな。」
「………。」

 そのような覚悟など自分のものとして分かり得るはずもなかった。むしろそれを背負っていた父がさらに遠い存在に感じる。

「あなたも子を成すようになれば、もっと理解できるでしょう。」
「…そうかな。」

 そうなのだろうか―。ふさぎ込むように視線を床へと落とした自分に、先住は声を一層柔らかいものにして言葉を続ける。

「あなたの父上は背負いすぎていた。選んだ道は決まっていたのに、ずっと色々なものを諦められず悩んでおられたようだ。けれど、同じ立場の三代目さまやこの老人の言葉に耳を傾けていましたよ。」

 ふっと、少し体の力が抜ける。視線をまた老僧とあわせる。

「あなたの父上は最愛の人を娶って3人の子に恵まれた。この戦乱の世で三つの縁(えにし)を持って育んでおられた。縁――血脈というものは強く抗えない事実。他には代えられぬ絆。人はそうやって時代をつないできた。」

――ああ、そうだったな。老僧は思い出したように廊下の方に目をやる。

「見せたいものがある。少々こちらでまたれよ。」

 簡潔に言い残して、そそくさと襖の向こうに消えてしまいう。残された自分たちは話の重みのせいもあって、金縛りにあったように身動きできずにいた。

「――ぁあ、息が詰まるようだなぁ。」

 わざとおどけるようにして、この空気を破ったのは年長であるアスマだった。一方で、自分の頭は未だ過去の中を巡っている…ぼんやりと目裏に、行きに立ち寄った静かな砂漠の光景が浮かぶ。父が最期を迎えた場所は、砂漠の果て。静かで冷たくてただただ寂しい場所だった。
 
「それでも…つらいよ…。」
「まあ…そうだな。けど、俺も指導する立場になって、ちょっとは考え方も変わってきたぜ。誰かがやらないといけないときに、やるって立場が少し理解できるようになったな。」
「…けれど、我愛羅はまだ16なんだ…本当は、立場を変わりたいぐらいだよ。」

 無理なこととは分かっている。けれど、そう思わずにはいられなかった。

「君を好きになる奴は大変だな。」
「?」
「絶対的に大切なものがある女に惚れるのは、覚悟がいるよ。」

 脈絡のつかめない言葉に、堂々巡りだった思考が途切れた。意図を汲み兼ねてやおら口を開いたところ、からりと再び襖が開く。

「失礼。お待たせしましたな。……これを、貴女に。」
「…何ですか?」

 老僧は1本の巻物を手渡してくる。設えた装飾は重厚で価値あるものだと一目で分かったが、やけに細身である。

「――貴方様は心を偽ってはいけない。けれど、これから心を鬼にするならば、いまのその心にある大切なものにひとまず祈願して、ここに置いていきなされ――そう貴女の父上に申し上げた。」
「…それでは、これは…。」

――これは、貴女の父上が自分のために祈願したもの。
 恐る恐る、けれどもはやる気持ちを抑えつけながら結い紐を解く。目に飛び込んできたのは、見覚えのある、右上がりの癖のある筆跡で書かれた父の名――。 
 


※ ※ ※


可流羅 テマリ カンクロウ 我愛羅
お前達がこの世に生を受けたことに心から感謝を。

私は、私の「影」という立場において、里を護ることに手段は選ばぬ。
だから、私は、お前達は強くあらねばならない。
心身鍛錬し、力あれば、この世界で生き延びていけよう。
その存在自体だけで、今の私にとっては僥倖である。
生きていれば、それで良い。


けれど、願わくば、共に幸あれ。


※ ※ ※



「ずるい…。」

 少しだけ声がふるえた。まるで書簡のようなその祈願文には、家族の絆を礎としていた自分の父親が確かにいた。
 あの葬儀の日に麻痺してしまっていた喪失感が、今更、胸中の穴のように生まれている。
 けれど、最後に交わした言葉を忘れてしまっていた自分は、どうしようもなく幸せだった。
 書面を床に広げたまま陶然としていると、開いたままの書面が目に入ったのか、隣に座する人が体当たりするように小突いてくる。

「かっこいい親父だねぇ。」
「…私達の父、ですから。」
「じきに20周年記念を迎えるな。今度は君の弟と…まあうちはまだ五代目のままだろうが。ちょっと楽しみじゃないか?」
「はい…。」

 その日が来れば、きっと弟もまた、大切な人を想って祈願をするのだろう。

「未だ不安定な関係ではあるが、確かに先代の世代よりも強固な関係になっている。それがお二人の残したものですよ。」

 柔らかい微笑みを浮かべたまま、老僧は広げたままにしていた父の書簡をくるくると巻き取り、しっかりと結い紐で結んだ。そしてそのまま自分に手渡してくる。

「さて、これは、貴女が持ち帰るべきものだ。」
「――ありがとうございます…。」

 両手で包むように受け取る。手の中の無機物であるそれは、今はまるで熱を持っているようにに温かい。

(帰りたい。)

 ひとつのつながりが生まれることで、今までの自分を取り巻くものが変化していく。
 父は、家族を自分の心の礎にしていた。そして、自分が父にとっての駒になろうとしていたように、父も里の駒に徹していた。
 その立場がただ孤独だなんて、今そのようなことを思いはしない。

(だって父さま、やっぱりあなたの息子は人のつながりで変わって、父さまと同じ風影になった。)
 
――強い風になれ。
――生き延びよ。

 1つの事実が加わっただけで、言葉の意味がこんなにも優しく変わる。言葉の裏側に隠されていた、父の気持ちが今更伝わる。一刻も早く里に帰ろう。
 早く弟たちに会いたい。
 会いたかった。



○ ○ ○


「よう、アスマ…って、何でいるんだ…?」

 報告のため立ち寄った木の葉の大門に到着するなり、門番所の脇から声がかかる。見るとシカマルが書類の束を片手にこちらに向かってきていた。

「まあ、なんだ。ちょっとデートをだな。」

はぁ?という怪訝な顔を返す男を流してテマリは口を開く。

「早く、火影さまに報告を…。」
「いや、こっちでやるから大丈夫だ。すぐに帰ってあげなさい。」

 いいや…と断りかけてテマリは口をつぐんだ。はやる気持ちには逆らえないらしい。姿勢を正し最敬礼をする。

「――ありがとうございました。」
「…いや、一緒に行けてよかったぜ。がんばろうな、お互いに。」
「はい。」
「…気をつけて帰れよ。」
「誰に言っている?」

――お前、いいかげんに上忍になれ。有無を言わさず発破をかけていく。おちょくっているというよりは、その力を買っているからこその台詞だ。同期の中では、リーダーとしての立場を着実に確立してきている教え子の、やたら押され気味な様子を見てアスマは苦笑した。

「――じゃあ、また。」

 門から歩みだしたところで少し振り返り、最後の言葉を交わす。照れたような、それでも心からの晴れやかな笑顔だった。
 砂の里に向かう心に引っ張られ、飛び立つような軽やかさで助走をつけて、逆手に扇を広げた。勢い良く扇を持つ弓手(ゆんで)を横に切ると、ザッという快い音。
 まるで春一番のような一迅の風を味方につけて、木々の間を一瞬で駆け抜け、遠方の虚空へと消える。

「血筋ってのは怖いねぇ――。」

 引き連れていた膨大な風の力に、同じ性質を力とするアスマはつぶやいた。隣では、戸惑い面食らったように風の娘の一挙一動を見守っていた彼の部下。

「…ずいぶんはしゃいでるな、あいつ。」
「気になるかー?」

 たまには、この隙のない部下をからかってみたくもなるもの。最近めっきり大人の体格に変わりつつあるその体をずいずいと小突く。

「…別に。」
「彼女は大変だぞ。」
「性格キツイからな。」
「……まだまだ甘いな。」
「?」
「彼女の親父はそりゃあ、かっこいい男なんだぜ?」
「…先代風影?」

 ちょっと、怖じ気付いた顔してやがる。

「大変だろうねえ――。」

 こいつの器は大したものだとかねがね思ってはいるけれど…彼女の消えた虚空を見つめ、拗ねた様な顔をしている。なんだ、こいつもまだまだ可愛いところもあるんじゃないか。

「さて、五代目のところに報告にいかなくちゃな。」

 そして、たまには自分も親父に会いにいこう――今日の出来事、そして自分の未来の報告をしに。まだ腑に落ちないような顔をしている自分の弟子に話しかけるのにも、自然と表情が緩む。

「後でちょっと良い話をしてやる。将棋でもつき合えよ。」


● ● ●


 風影居住区の屋上で、今は唯一の血縁である3人で街を見ていた。青空は相変わらずだけれど、今は風はぴたりと凪いでいる。
 文面を読み終えたばかりのカンクロウは、馬鹿親父、と、どうしていいか分からないような表情で罵った。最後に書面を見た我愛羅は、それを片手に収めたままずっと天地の彼方を見つめている。

「家族ぐらいにはもっと素直になればよいのに…ったく頑固者なんだからさ。」
「おい…人のこといえるかよ。」
「お前だってそうだろ?」
「……同じ血だからな。」

 いつもより優しい瞳で、弟の顔になっている我愛羅が自分たちを見ていた。

「そうだよ…我愛羅。お前が風影になろうと生き別れようと結婚しようと私たちを嫌おうとずっとずっと私たちはつながっている。これは、絶対、だ。私たちは唯一の姉弟なんだからな!」
「重たいじゃん…。」
「だって、そうじゃないか!」
「…ありがとう、テマリ。」

 我愛羅は、真っ直ぐに自分を見つめ、僅かに微笑みをたたえていた。

「!」

 あの誕生日の日に伝えられなかったことが、やっとこの弟に届けられた。 愛しさがこみ上げてきて、自分より極々わずかだけ背が高くなった弟の頭をぐりぐりと撫で回す。

(お前を、誰よりも幸せにしよう。)

 この弟のためならば自分はもっと強くなれる。私もまた、父の子だ。
 胸のどこかでつかえてきたものが、すっと溶けて消えたようだった。一度も謝れなかった自分の思いは、これから返していけばいい。たった一人で孤独と戦い傷ついてきた分、でき得るかぎりの幸せをこの子に。
 
 私たちは、この、幸福な今日という日に風影の絶対的な味方になることを誓おう。
 この弟の楯と矛になろう。向かい来る荒波も私たちがかぶろうじゃないか。里の悪しき風習も、風影を論えるロートルたちも徐々に変えていけば良い。自分を鍛え、この里のために生き延びてみせる。
 凪いでいた風が強く吹き始めた。父が愛した里の空は、今日も焼け付くように青い。

(父さま…父さまが護ってきたこの街は、相変わらず空は青くて、今日も変わらず綺麗だよ。) 

 清清しい青空に強い風が吹きすさぶ。
 今はまだ、私たちに吹く風はこのような強い向かい風だけれど。 
 
 願わくば、私たちに幸あれ。 






-了-



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