オトコとオンナ-実践-
「さて、と」
「なにする気だ…」
「何って?大丈夫、ひと通りくノ一の房術教育で学んでるからな。知識は、ある。ただ実践体験が無いだけだ」
――私は同世代の男どもよりも忍術が長けてたから、今まで必要性を感じなかったんだよ。
「あ、でもさっきみたいに誤解されると厄介だな…」
すっくと立ち上がって、がっしりとした資料室の扉に向かった。がちゃり、がちゃり、と、上部と下部で二重になっている錠を両方とも内側からしっかりと施錠し、何のためなのか幻術の術式まで施している。人目を憚ること、ということは認識しているらしい。
どうもこの人は本気だ。思わず立ち上がり阻止に向かう。
「ちょっと、待てって」
「どした?あ、嫌なのか?男は基本嫌ではないと思ってたんだけれど。なら、やめとく?」
「なんでアンタはそう……いいとか嫌とか以前の問題だろ。よく考えて行動しろよ?」
「考えてるさ」
「考えてねーよ」
「なぜ?」
「根本的なこと、間違えてないか?」
「私は忍であり女だ。女であることを活用して自分の技量とすることを望んでいる。そしてお前は毎度私にごちゃごちゃ煩いように男だろ?間違ってないじゃないか」
――伝わらない……。
婉曲的にこの状況の間違いを指摘したのに、本人は顔色一つ変えず、まずは、と、何やらごしょごしょと口の中で反芻し始める。
ゆっくりと伸ばされた手は真っ直ぐにオレを目指していた。
阻む意志を興す前に、ぴとり、と頬にひんやりとした指先が添えられた。
頬に感じるのは、先ほど差を知った女の手のひら――それが反射的に脳に知覚されて、ぞくり、とする。思わず、その指先から逃れようと、自分の手を作りの異なる手のひらの上に重ねる。
動きを止めようと力を込めると、テマリは一瞬だけ眉根に皺を寄せた。
「――お前がいつも議題にしている男やら女やらを正確に知ろうとしてるだけだ。逆にお前だって理解につながるだろ?」
ぶれない視線は、こちらを捕らえるように注がれる。
無感情に的確に。
丁度同じ高さに視線はあるけれど、やはり視界に入るテマリの身体は確実にオレとは根本で異質だった。
「まあ、悪いようにはしないから。協力して?」
「協力っ、て…」
頬のすぐそばを掠めるふわふわとした明るい色。一瞬、髪の香料の香りが鼻をかすめる。
条件反射で退避しようと身体を引いたら、扉横の壁に阻まれた。
ぼんやりと嗅覚に捕らわれたまま、次の瞬間に一気に思考をもっていかれた。
「!」
耳朶に柔らかく熱い感覚が伝わる。次いで、かちん、と硬質な音。
「あ、ごめん」
囁かれたテマリの言葉の意味が理解できない。
耳元の吐息の熱さにさらに思考は混濁していく。ああ、ピアスのことかと、随分遅れて謝罪の意味を理解する。
押しやろうと伸ばしていた手は肩に置いたまま。
ピアスのある耳朶を避けて動く、柔らかくねっとりとしたモノの触覚が、意識の全てをもっていこうとする。
「―――」
対策も打てずに硬直していると、耳の執着を止めたテマリに確かめるように眼をのぞき込まれる。
「あれ?」
――おかしいな。
彼女の期待するものとは異なるらしく、再び思案するような表情をつくる。
「じゃあ、次は、と…」
次もあるのか…と、戦々恐々として視線を返したのだが。
頭が使い物になっていない。こんなされるがままなのは男としてどうなんだ…でも男だからそうなのか。少し、この「男やら女やら」の答えの尻尾ぐらいは掠めたような…。
「おい…」
再び向かってくる女になんとか搾り出した抵抗は、あっさりと阻まれた。
首の後ろに手を回すように抱きつかれ、ぎゅうぎゅうと身体が最大限密着するように力を込められる。柔らかいやら熱いやら。
感覚ばかりが先立ってしまい、先手を打ちたいのに、行動が後手後手に回っている。
どういった知識に基づく行動なのは知る術などないが、さっきその胸元の大きさを把握させられた分だけ、密着していることの攻撃性は高い。
今となっては、最初にベストの前を開けられてしまったことがすでに致命的な気もする。
「んー?」
表情は見えずとも、次の手を考えてるであろう呟き。予想外に聞こえてきたのは、すんすん、と鼻を鳴らす音だった。
「…おい?」
「いや、私も他里のにおいならばわかるかと思って」
キバのしていた話題を持ち出されて、少し心に余裕が出てきた。
テマリに気取られない程度にゆっくりと深呼吸をして、次の回避行動のために両手をそろそろと彼女の背に回す。
こちらの動きを意に介することなく、未だすんすんとこちらの肩あたりに鼻を近づけている。
あまりに真剣なので、香辛料の香りなんてするのか、と、つられて彼女の首筋に顔を近づけたのがまずかった。
何かよくわからない香りに煽られたのか、誘われたのか。
思考が抑制することもなく、普段は髪で隠れている至近距離のしっとりとした白い首筋に
―――魔が差した。
「っ!」
軽く啄んだだけなのに。
かくん、とこちらの背に回していた両手の力が抜けて、預けられた体重がかかってくる。足元から力が抜けてるので、身体を離させるために回していた両手で、思わずその身体を支えるために抱き寄せた。
ゆっくり三つ数えるぐらい、テマリはこちらに身体を預けたまま身動き一つしなかったが、思考が戻ったのか、あわてたように次の瞬間には身体を起こした。
「おまえ、なにした!?」
今オレが触れた部分を自分の手で隠すようにしっかりと覆い、詰問の形相だ。
「教えろ」
「…なんでもねぇ」
「教えろ!」
「やだね」
「――ずるいぞ、お前!」
本気で悔しいらしく、捨て台詞のように声を荒げたと思ったら、そのまま…勢い良く逆に首筋に口付けられた。場所を少しずつずらして、唇を這わせられる。
「どこかにツボが…?」
再びぼそぼそと自問自答しながら、少しずつ口付けに力が篭ってくる。やーめーろ。
「ツボなんか無い!」
「じゃあなんで?一瞬で力が抜けたぞ?」
「男のオレに分かるか…これ以上はやめとけ、ってかやめてくれ」
今度こそ、密着させてくるその身体を剥がすことに成功する。テマリの表情は、見るからに不満たらたらだ。
「何で…お前の方が知ってるんだ?」
この表情は見覚えがある。本戦でオレがギブアップを宣言した後に、訝るように向けてきた視線と寸分と違わない。
「知らねぇよ…偶然だ」
やっと頭も動いてきたのだから、今しっかり幕を引いておかなければ、取り返しのつかないことになる。
しかし、どうすれば?ここでテマリが交戦意識を失うような、何か決定的な一手は――。
「っこら!」
唇が頬を掠める。
戦略を練っていたら、オレの手を押し切って顔を近づけてきた女の動きに一瞬だけ遅れを取ってしまった。
「…って、何てことを」
「逃げるな――」
彼女の中にある房術の知識とやらは、ことごとく彼女の予想通りにいっていないのだろう。とうとう最終手段、という、今までとは異なる冷たい気迫が感じられる。
最初から間違ったままここまで来てしまったが、そろそろ本格的に洒落にならない領域だ。
いつもは大きな扇を振り回している両手は、まるで押さえつけるように頬を挟んで来る。
これは回避できそうにない――感知した瞬間、逆にこちらから掴むようにテマリの頭へと両手を回した。
ああ、やっぱり柔らかいな、と感じたのは一瞬で、初めて触れた唇はただひたすら熱い。
何でこんなに力が入っているのかわからないが、唇を合わせたまま、しばらく凍りついたように身動きが取れない。
頭を押さえつけられて、唇でつながっている彼女も硬直している。
呼吸がそろそろ苦しくなってきた頃合に、テマリが頬に触れていた両手を離して、オレの肩を無理やり押してきた。
「―――…ッなにする!?」
「…オトコの沽券に関わるんだっ!」
色気も余韻もあったもんじゃない。お互いが。
ファーストキスを女に奪われたなんて、オレの人生に一生付いてまわる、と頭に霞めた途端、咄嗟にテマリよりも先にと身体が動いた。
それにしてもこの人は感慨とか何もないのだろうか。頬を蒸気させているのは可愛らしいが…これは、単純に呼吸を詰めていたからか、怒りのせいか。
「私だって初めてだったんだ!私のプライドはどうしてくれる!?」
正当防衛として動いただけなのに、何故ここまで叱責されないといけない?
そもそも、そういうものじゃないだろう…。
「負けるもんか!」
「って…!」
今度こそ後頭部に両手を回されて、無理やり口付けられる。慣れてきたのかゆっくりと角度を変えるように柔らかさが移動していく。
「んー…?」
時おり離されたかと思うと、うっすらと瞼を開けてこちらの様子を伺っている。すぐにもう一度唇を合わせて、その感覚を確認しているらしい。
「おっかしいな……。んっ…」
全体的に間違っているけれど、支配されてくる感覚はどうしようもない。さらに、たどたどしく舌先を咥内に入れてくるから、たまらない。
これは、オトコだからしょうがない。
偏った知識ばかりで、研究熱心すぎるこのオンナが悪い。
半ば自暴自棄な気分で、再びこちらから唇を奪いに行った。負けず嫌いなこの人は主導権を握らせないようにと顔を逸らそうとするが、体格差はこちらに分があった。
「ちょっ」
抵抗の声を上げるのを無視して、丸みを帯びた体をこちらに抱き込む。逃げようとする舌先を深追いして格闘していると、とん、と背中が冷たい壁について、少し正気が舞い戻ってきた。
自分から攻めているのにくらくらと酷い眩暈のする頭で、その先に踏み込んでしまいそうだった。けれど、慣れない行為にやはり息苦しくなってしまい、唇を離したのと同時になんとか彼女を解放する。
はぁはぁ、と息を整えながら、少し蒸気した顔のテマリはこちらをしげしげと見ている。
同じように肩で息をしているオレは呆然とした表情をしてるのだろう。霞がかかっている頭をぶんぶんと振って熱を追い出す。
それを認めた途端、とっても嬉しそうな顔で笑いやがった――悪魔の微笑み、というやつだ、これは。
「ちょっと分かった、と思う」
「ほんとかよ…?」
そんな顔で言われると、ますますこの先逆らえなくなることになりそうな…何やってるんだ、オレは。
「次はもっと上手くできるよう勉強しておくからな、覚悟しておけ」
「…つぎ?」
返されたのは、やたら蠱惑的な笑み。
ああ、そうだ、こいつは本当にオンナなんだ。
前から一番怖い女と肌で感じていた意味を、その本当の怖さを少し理解できた気がする。
-了-