On your mark 1


 その日はありきたりに平穏な一日だった。

 母は朝っぱらから白黒はっきりしない親父をどやし、とばっちりを食ったオレまでゴミ捨てなどを言いつけられる。父は結局、昼過ぎの調剤のために本部に詰める時間を切り詰めて、夕方早くには鹿山で「お月見用山野草採集」につきあうことになったらしい。
 午前一番の時間から任務班編成の手伝いをイズモ・コテツとしていると、なんやかんやと昼時になった。五代目の意識は戻ったものの、復旧したばかりの里は人手が足りず、仕事は次々に湧いてくる。
 せめてスタミナをつけておこ うと、しっかり大盛りで定食を平らげ、食後に濃く抽出された珈琲を頼んだ。脳に糖分を回すべく角砂糖は3つ。予想以上の甘さに顔をしかめつつ嚥下していると、最近やたらと作業を手伝わされることが多い暗号班に呼び出された。
 イズモに引継ぎを素早くすませた後に暗号棟へと向かうと、室長に解読された文章をいくつか手渡される。解析手法を分類し、纏め上げて欲しい、と。
 試行錯誤しながら、結局、最後の1件を終えるころには外はあっという間に秋の夕暮れ。ほんの少し前まで夏の日差しを感じていたと思っていたのに、いつの間にやら金木犀が香り、夕刻からの空気は涼やかなものになっていた。
 三階の窓から見る風景は、濃紺に茜が溶け合ったように鮮やかなものだった。そして、今日の湿気の強い風には濃い緑と土の匂いがする。幼いころから慣れ親しんだ香り――いつもの里だ。
 ちり、と胸が疼いた。
 もうそろそろ月命日なのだ。
 少しずつ着実に、なるべき自分の姿へと近づいている。
 火の意志を継ぐ――この、木ノ葉に生まれ、木ノ葉で育ち、そして未来もこの里で生きていく。

 そこまで考えて、一つだけ、どうしようもない事柄が心に浮かんだ。
 共有する時間を重ねて、その遠さばかりを感じている。考え方の筋道は言葉にせずとも分かるぐらいになった。
 大人になることとは、自己判断の取捨選択とそれに伴う責任を果たし、諦めとわきまえを知ることだった。

 ああ、今日の風はやけにねっとりとしているなと思っていると、台風がこちらに接近しているらしいことを室長が教えてくれた。 進度が急に速まることもあるので、今日は早く切り上げて帰路についた方が良い、と。
 言葉に甘えて担当分の作業が終わり次第、暗号棟を後にする。
 平野にある木葉の里ではあるが、一定の間隔を開けて吹きつけられる風はずいぶんと強いものになっていた。せっかくの街中に広がる金木犀の甘い香りも、吹き抜ける風のせいで散り散りになる。
 天候は傾いてはいるが、けれどもやはり平和ないつもの里だ。

 今日もまた、ありきたりな日が終わる。
 オレにとっての、いつもの平穏な一日が終わる。 
 

※ ※ ※ 
 

「砂の里は…器に溜められた水に似てないか?」

 里を穏やかな瞳で見つめながら問いかけてきたのは、私の憧れるあの人の実姉…テマリさまだった。

「器の水、ですか?」

 そう、と答える口調は、限りなく穏やかだ。その表情や思慮深い眼差しは、やはり弟であるあの人に似ている。
 けれどその日、結局その答えを彼女は答えてはくれなかった。
 器の水とは何の喩えだろう?答えは出ないまま、何となくそんなやりとりも忘れかけていた。


 そして、今、私は砂漠を駆ける。


 里長であるあの人に願いを託され、あの問いを投げかけた方を目指して、我武者羅に。
 駆けても駆けても目指す里が近づかない…こんなに遠くにまで来ていたのだろうか?
 果てしなく続く砂の海原。生まれ育って慣れ親しんでいたはずの砂漠に、我愛羅さまが統べる里の象徴に、底知れない畏怖をあらためて感じる。

――なぜ、こんなことになったのだろう。

 私たちは、風の国の首都を目指していた。私を先頭に、我愛羅さま、後方から上役でもある上忍のサジョウさまと荷を運ぶ下忍2名が連なり砂漠を進む。ちょうど、土の国の方角から台風が移動してきていたので、それから逃れるように足早になっていた。
 里を出てから半時ほどすると、見渡す視界は里のある一角を除いて、すべてが砂漠の地平線でつなげられた。 遠くから見ると、ガラス瓶の中のミニチュアのような里だ。砂で作られた建造物たちは太陽光の吸収を最小限にするよう塗装されていて、強い日差しを反射する。
 器の水とは、もしかしてこの景色のことだろうか?きらきらと光を反射し、時に蜃気楼で空中に浮いて見える建造物たちは、水中に揺らめいているようにも見える。
 砂の里は奇跡的だと、なぜか唐突に思った。
 美しい私たちの里は、この砂ばかりの地平に四方を覆われ、日々、すべてを砂に還す強風に晒されている。今や、五つの忍の里の中で最弱といわれていても、厳しいこの環境の中で脈々と受け継がれてきた。 砂に還ることなく、数々の困難に独り立ち向かうように、確固として燦然と輝いている――私たちの里。
 我愛羅さまは、数日前にテマリさまがしていたのと寸分と違わぬ穏やかな瞳で、里を見つめている。

――少しずつ、狂い始めた。

 砂漠の移動は、定期的に休息を取り水分を補給し少し進むことの繰り返しだ。下忍から手渡された水をいっぱいに入れた器を両手で抱え、その水面を眺める。きらきら、きらきら、と、器の中の水は、光を受けて煌めき美しい。今、里のことを思う私にとっては、いつも以上に貴い一杯の水に思えた。
 けれど、表面張力が出来るほどに目一杯まで満たされた器からは、ゆれた反動でふつりと一筋の水が零れてしまう。
 砂漠においては命ともいわれる水。満たされた器に口付けてひとくちを喉に流す。たった少量の水が、身体に行き渡るようにも感じられた。

――きっかけは、落下した水の器と蒼白になったあの人の顔。

 ばしゃり、と貴重な水が乾いた砂面に落ち、瞬時に吸い込まれるように消えた。

「…予想以上に早く薬が回るようだな」

 対峙する位置についたサジョウさまに向き直り、背の後ろに我愛羅さまを隠す。自分と同じものを飲んだ人が、明らかに薬物反応を見せている…行き着いた答えに手が震えてきた。
 複数回に分けて体内に蓄積する物質を摂取させ、最終的に化学反応を起こさせる。特定の人物だけを、本人や周りにそうとは気付かさせずに屠るための暗殺部隊の手法の一つだ。

「――なぜ、このようなことを!?」

 里が…いや、国が結束して、大きな敵と相対するように他里と同盟を組んで協力を始めた今、なぜ、わざわざ里の内部から里を崩すようなことを。

「里長とあろうものが毒物耐性が無さすぎる。尾獣を飼っていたころは無敵だっただろうが、今や体内の免疫を抜かれたようなもの」

 荷物運びの下忍がその荷を放り投げ、砂避けに巻きつけていた麻布を取り払う。顔を露にした一人は砂の額宛てをつけており、もう一名はなぜか音のマークが。下忍などではなく…その身体の輪郭がはっきりとわかる装束は、やはり暗殺部隊のものだった。
 一撃目の攻撃を起爆剤で対抗させてはじく。クナイのキンという硬質な音が響いた。敵の第一波は誘導にすぎず、気づけばすでに音忍が幻 術の印を結び始めている。
 しまった、と思うと同時に、自分の背後から飛び出した砂の波が印を結ぶ忍の両手を突き刺した。
 背後を振り向けば、片手を砂の操作のために握った体勢のまま、方膝を付く人。

――バキ先生とカンクロウさまが合流してきたのは、幸いだった。

 別地点で襲撃を受けたカンクロウさまが、バキ先生の援護を受けて、自分達の元に飛び込んできた。力技でサジョウとその配下の忍を退ける。私は、毒素が回り始めた我愛羅さまに応急処置を施して、血流の動きを鈍らせるためにも横たわらせる。
 いつから企てられていたのかなんて今やもう分からないが、バキ先生は不穏な動きを元凶から摘もうとして泳がせていたという。ただ掴み きれていなかった所に協力者がいたことで状況が逆転してしまった。
 今日、風影の血筋である3人は別々の任務につかされていた。それぞれ切り離された状態で襲撃を受けた可能性が高い…あと1人、里内で任務を受けていたテマリさまの状況が分からないが。
  
「テマリを迎えに…」
「我愛羅、今は無理だ。カンクロウ、我愛羅を保護して国外に脱出するぞ。一先ず解毒をどうにかせねば…」
「オレが里に行けばいいじゃねぇか!」
「お前も負傷してるだろう――それに、何より今回のターゲットの内の一人だ…今回は待て」

 前々より、軍事縮小政策に端を発する、里の存続の不安は自分にも伝わってきていた。それを打破するために、我愛羅さまは他里との友好関係、後進育成の制度の変革から里の復興を進めている。
 先代の血を引き、それぞれの能力ゆえに砂隠れの上層部に昇進している三人は、里の中でも絶大な信頼を得ている。三人が不在になってしまえば、砂隠れはその軸を失い混乱するだろう。
 
「どこまでが敵なんだ…?」
「一先ず、全てを敵だと思え」
「アンタさえ疑わしいぜ、俺にとっては!」
「落ち着け、そんなことがあるか!いや……そう思っておくのが正しい。落ち着いたら見極めろ」

 里の始まりの時代より、武力により一気呵成に勢力拡大を願う一派がいる。3人を不在にしてしまえば、それに乗じて里を統べることが可能になるのだろう。 
 いくら信頼があれども、3人は自分とも年齢も代わらない。忍にとって、培った年数だからこそ得られる知恵や力は確かにあるのだ。
   
「お前しかいない、マツリ、行け。何はともあれ、まずはテマリを里の外へ出せ。すべてが敵だと思え…いいな?」
「マツリ、頼む」
「…お前にかかっている。テマリを頼む」

「はい!」


―――嵐が近い。

 やっと里が近くに感じられた頃には、円形の建造物が立ち並ぶ砂隠れの上空は、やけに重たく暗い雲で埋め尽くされていた。

「…負ければ、賊軍…」

 思わずつぶやいた言の葉は、目の前の出来事が紛れもない現実であると自分を引き締める。私たちが負ければ「戦争」、勝てば「反乱」と里の歴史に刻まれることになる。
 嵐が伴う強風にまぎれて、里の方から大きな風が吹いた。最悪の事態は免れたことを知る。

―――必ず、期待に応えて見せる。

 彼女は、あの風影さま…我愛羅さまの、大切な人。
 多くのものを失った彼の元に残された数少ないもの。
 今まで里中の不幸を背負わせてしまったあの人を、絶対に悲しませたくはなかった。
 未熟な力ではあるが、せめて、命を懸けて。 
 

※ ※ ※


 砂の里はグラスに溜められた水に似ている。

 風に揺らされ、なんとかこぼれまいとせめぎ合い、見えぬ場所で繰り返される修復。
 けれど、一つの衝撃でいとも容易く零れ出す。
 ずっとそうだった。
 表向きには、平和な日々が続いていて忘れがちだったけれど、この里はいつでも内部から腐食しているような感じが拭えない。
 砂山はいつか崩れ、平坦な地へと還る。

 日常の中に紛れ込ませ刃を向けてきた殺意たち。
 遅効性の毒素がじわじわと身体を駆け巡り始める。
 薄れ行く意識の中想ったのは、弟たちのこと、生まれたこの里のこと。
 そして、なぜかあの優しい里のこと。 





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