On your mark 2


 今やもう風は止めどなく緩急つけて駆け抜ける。
 土の国北部の海より一週間ほど前に発生したこの台風は、昨夜、風の国を抜ける間にさらに勢力を増し、ゆっくりと火の国を通過していた。
 台風が通過したばかりの川の国にて、砂のくノ一が負傷して生き倒れていたのを、深夜に木ノ葉の忍が偶然保護したと、任務の前に報告がされる。砂のくノ一は木の葉の病院へ保護したようで、昨夜突然父が呼び出されたのはそのためだったのだと合点が行った。
 任務はチームで動くのが定石であるため、他の忍がいないか確認するためにナルトとサイは朝早くからかり出されているらしい。火の国を通過する嵐を抜けての任務となるわけで…ご苦労なことだ。

 アカデミーの入り口に立ち、庇から少しだけ天を仰いでみる。鉛色で低い空が広がっていた。少し今の自分の気分にも似て、ため息がこぼれる。今日の任務は…いや、任務というよりは業務は、アカデミーでの臨時講師であった。
 先日、イルカと打ち合わせをした時のことを思い起こす。
 アカデミーの最上学年の生徒に対して、中忍試験に臨む目標と心構えなどなどを「夢いっぱい」になるように語って欲しいと。卒業を控え、このまま忍として生きるのか、通常の一般的な生き方をするのかを選ばなくてはならない時期なのだ。
 しかし、なぜ自分が?と尋ねたら、同期の中でも一番早く中忍になり、すでに火影の元での任務…というか雑用全般を請け負わされているという理由で自分に白羽の矢が立ったらしい。誉れではあるんだろうが面倒である。そもそもアカデミーから中忍になるまでのオレといえば、適当な理由で忍の道を進んでいたのだから申し訳がない。

 廊下は湿度のある風のせいで水っぽい匂いが充満していたが、扉を開けると鼻腔を占拠する教室の懐かしく煩雑な匂い。年数を重ねて教室に染み付いてしまった、甘くも感じられる黴臭さ。
 そして、集中する小さな瞳たち。

「さあ、今日お話してくれる奈良シカマル先生だぞー!」

 あぁ、イルカ先生は凄い人だ。一点の曇りも見えない表情で自分を紹介する様を見て心より思った。
 さらに曇りのないたくさんの瞳に少し怯みながらも、そそくさと教壇に立ち、階段状になっている生徒側の席を見上げる。実に変な心地だった。自分の中では、ほんの少し前まで、あちら側で腕を枕にして睡眠をとっていたのだから。
 簡単に自己紹介をすると、矢継ぎ早にわやわやと質問が飛び出す。

「先生、何て呼んでいいんですかぁ?」
「彼女いるのー?」
「奈良先生は、何の術が得意なんですか?」
「なんでイルカ先生と同じ髪型なんですかー?」
「先生、何歳なんですか?」

 どうしようもない質問まで紛れ込んでいる。この年齢の思考回路は論理立てて考えるものではないんだろう。オレの学年の時も、同じ笑顔で迎えてくれていたイルカは本当に凄い。

「こらあ、関係のない質問が多い!お前達の将来の話なんだぞ?」

 柔らかさを含んだ一括で教室内はしいんと静まった。

「じゃあっ!まず奈良先生の中忍試験の話を聞きたいでーす!」

 元気一杯に、こちらが目を逸らしたくなるようなきらきらと輝いた瞳で質問をしてくる。苦笑しながらイルカがこちらに目くばせをするように頷いた。

「そうだな…オレの時の中忍試験は――」

 なるべく抑揚をつけて、分かりやすい言葉で、あの時のことを言葉に換えていく。
 自分自身のことを考えれば、何か目的や強い意志があってあの試験を受験したわけではない。けれど終えてみれば、多くのものがあの試験から変化した。

「オレたちの中忍試験本戦中に木ノ葉崩し…砂隠れと音隠れとの戦争が起こったんだ」

「その場にいた受験中の下忍たちも何人もその砂隠れとの戦いに参加した。お前たちと歳はそんなに変わらないんだぞ?」

 そう。本戦の途中から、試験は実践になってしまった。

「え、砂の里と戦ったことがあるの?」
「おまえ知らないのかよー?」
「三代目様が亡くなっただろ!」

 6、7しか歳の違わない子供たちなのに世代の格差を感じさせられる。先の暁の襲撃は経験しているが、中心で戦っていた一部の忍以外にとっては里の破壊が現実であり、実感としては戦争とは程遠い。
 自分だとて大戦のすぐ後に生まれた戦争を知らない世代だが、あの木ノ葉崩しを経験したことは大きい。あの戦線に関わっていた同期たちは、傷ついて悩んだことも多い。けれど、その分得るものも多かった。
 そして、四代目が着任してから砂隠れとは再び同盟関係にあり、最近では5里での協力体制が進められている。
 平和になったんだな、と思う。
 ちょうど忍界大戦のころに最前線に立つ忍だった父親たちの話は、年末や盆の酒宴の席で聞かされていた。世知辛く、理不尽なことも多く、けれど、忍としての本質を日々問われてきた力強い世代。それと比べると、オレだっていったん任務につけば命を賭けるような状況にもなるが、里はこんなに平和だった。


 ※ ※ ※


 15時ぐらいを過ぎたころからいよいよ天候は悪くなり、屋外は夜とも代わらないような明るさだった。臨時講師の報告書をまとめ終え、昨日の班編成の任務を手伝っていると、どうしても終えないといけない作業・任務の者以外は帰宅せよと指示が出る。とはいえ、あくまでもいつでも出られるように待機せよ、との意味合いだが。
 時間感覚が狂わされたような暗澹とした天候の中、帰路につく。暗くてどんよりした天候だけでなく、今日は疲労が多い。アカデミーという場所は教える側でいると自分を見つめなおす要素がてんこ盛りなのだ。逆に色々と教わってしまった。

「ああ、おかえり」

 自宅では母が夕食の準備をしていた。オレの早い帰宅は予測していたようで、さして驚くこともなく迎え入れられる。

「ただいま。親父は?」
「今日は戻れないみたいよ」

 昨夜の呼び出しからそのまま病棟に宿泊することになるらしい。災害時は医療関係に携わる人間は仕事が増大するのだ。
 夕食前に、古い家屋の台風対策をするように頼まれ、応急処置ではあるが家をぐるりと回る。普段は父と二人でやっているので、二倍の労働量はかなりのものだった。
 母と二人、がたがたと唸る音を聞きながら、静かに夕食を食べる。

「がたがきてんな…」
「そうねぇ。でも毎度、台風の時は大騒ぎな音を出すくせに一つも壊れないのよね…」

 前々からリフォームを目論んでいる母は、古くて頑丈な家を少し忌々しく思っているらしかった。がぁん、という家の軋む音がしたかと思いきや、一瞬電灯が消える。
 
「やだ、停電?」
「停電じゃ…ないんじゃないか。家も古ければ配電板も古いんだろ」

 雨戸のない居間の小窓に寄って外を覗く。ガラスに対して直角に降っているんじゃないかと思わせるぐらいに雨が吹き付けている。これは酷い。任務できっとまだ屋外いるナルトたちに心底同情を覚えた。

「また激しくなってんな…呼び出しがないことを祈るぜ」
「父さんも今日は病院内勤務らしいからせめてもの救いね。前に災害地へ派遣されたときは逆に風邪引いちゃって」
「そだな。ま、明日は朝イチから災害対策で呼び出されるだろうな…早く寝るぜ」

 素早く夕食の後片付けを終え、湯を浴びるだけの入浴を済ませ、自室に入る。
 こんなに時間に余裕を持って床に就くのは久々かもしれない。けれど、時間はまだ9時前――そして、家中が酷い音を立てているこの状態ですぐに寝付けるとは思えなかった。
 眠気が来るまで読書でもしようとページをめくる。けれど、アカデミーで慣れないことをして精神的に疲労していたのか、電気もつけたまま自分は眠りに落ちていた――。 
 

「シカマル、起きて」
「…?」

 深い眠りにい着いていたところを、身体を揺さぶられて母に起こされる。昔は叩き起こされるように朝から叫ばれていたが、最近では目覚ましで起きれるようになっているので、久々の感覚だった。
 感覚が覚醒してくるにつれて、風が騒ぐ音が鼓膜を劈いてくる。

「悪ぃ、寝過ごした…?」
「違うわよ、寝ぼけないで」

 そういえば、本当に寝過ごしているのなら手が出てもおかしくない母だった。
 中途半端な時間に寝て、覚醒させられたせいで頭の動きが鈍い。ベットの身体を起こして、ぼんやりと掛け時計を見ると針は1時を指している。この時刻に起こされたということは…とうとう家屋が破壊でもされたか。

「なに…?」
「父さんが」
「…え?」
「シカマル、悪ぃな深夜に」

 開け放たれていたドアの向こうから、忍服のままずぶ濡れの親父が顔を出した。ちょっと外してくれるか、と親父は母を部屋の外に出す。現役の忍同志の会話が家庭内でされる時の合図のようなものだった。
 急に頭も身体も水を浴びたように覚醒して、慌てて布団から出て皺の寄った部屋着を正す。つまりこれは、自分への任務召集があるということだ。

「親父…何が…?」
「…ちょっとなぁ、綱手さまから指示が出て、オレに選択権があるんだけどよ…」

 父の姿も纏う雰囲気も、緊急事態を彷彿させるには十分な材料なのだが、その口から紡がれる言葉は普段通り家で交わされるのったりとしたものだったので出鼻をくじかれる。

「何がだ?」
「…里の機密事項に関わることを、お前に伝えるかどうか」
「何で、それを親父が決定できるんだ?」

 父は何やら迷っているらしい。それにしても、里長からの指示を上忍班長が選択できる状況とは一体何なんだろう。そもそもオレの任務について父から指示が出ることは組織の上無いはずなのだが。
 こちらがいつもの癖で様々な可能性を頭の中で挙げていると、親父が口を開いた。

「――お前、砂隠れの人間と交流があるよな?」

 感情を挟まない声音で、問いかけてくる。
 二つの意味で動揺が走った。理解できてしまったことは、砂隠れで木ノ葉に関わるような緊急事態が起こっているということ。そして同時に、オレの個人的な人間関係を問う必要があるということ。

「――ああ。主に合同任務や中忍試験の委員会に関してな。勘ぐってるかもしれねぇが、オレは里で噂になっているような…砂の忍との個人的な関係はないぜ」
「そうか…。いや、ま、そのことは関係はないんだけどな。まあ、いい…」

 父の言葉はいつに無く歯切れが悪い。何を迷っているのか自分には皆目検討がつかない。けれど、いつだって将棋で勝つことのできない父なだけあって、その言葉は的確に自分のことを見据えて選択されているはずだ。
 迷いを打ち切るように、目つきが意を決したように変わる。

「シカマル、昨夜、砂のくノ一が保護されたのは知ってるよな?」
「あぁ…聞いてる。朝の任務前に皆に共有されてるぜ」
「オレが呼ばれたのはそのくノ一の処置に関してなんだけどな」
「…親父、そのくノ一って…」
「オレは面識のない娘だったぜ。あと、その娘の怪我は命に関わるほどではないし、疲労で今は眠ってる」

 一つの可能性が頭に過ぎって、思わず問い詰めるような口調になってしまった。けれ、その可能性は父の面識が無いという言葉ですぐに否定される。よくよく考えれば、その自分の思い描いた彼女だったら朝の共有でも名が挙がるはずだった。

「じゃあ、何が――」
「砂隠れで昨日…いや、もう二日前だな。風影を失脚させようと謀反が企てられた」
「!」
「昨日、件のくノ一の保護をしたのはカカシ班だ。風影を奪還した時に面識があったらしいぜ。保護した時に彼女が知る状況が伝えられている」

 切り込むように核心が伝えられる。

「現風影とその姉弟、幾人かの忍が現在行方知れずだ。砂隠れにはいない…今朝、ヤマトを隊長にナルトとサイが彼らを探しに出ている」
「見つけたら…保護、すんのか?」
「…砂隠れ内部の状況がはっきりするまでは、な」

 木ノ葉としては、同盟国である砂隠れの、あの歳若い里長と姉弟を密やかに保護する方向らしい。その火影の決定には安堵を覚える。けれど、状況如何によっては亡命者の保護もできないことになるかもしれない。
 話が理解できてからギリギリと内臓が圧迫されるようだった。そもそも、彼らの安否が分かっていないのだ。

「おい、一度病院に行くぜ。この件に関わっている奴らが集まってるからな」

 慌てて忍服に着替えて父と一緒に嵐の真っ只中に飛び出す。傘を差しても意味がない往来を走りぬけ、木ノ葉の病院にたどり着いたときには衣類はすべて水浸しになっていた。
 薄青い光がテラテラと床を照らす深夜の病院を、一言も言葉を交わすことなく導かれる。幾度も世話になっている場所ではあるが、今日はやけに薬物の匂いが鼻につく。ぬめるような空気は、床から口元まで蓄積されているようにどんよりとしていて、嫌でも考えたくもない状況を想起させられる。
 病院の本館を抜け、研究室もある別館も通り過ぎ、通路の突き当たりにある何の変哲もないドアを開ける。ドアを開けるとそこは、次の扉のための部屋だということが分かった。無機質で個性というものを感じさせない鉛色の壁面に、重苦しく個別認証の術式が施された厳かな扉がある。

「親父、ここは…」
「あぁ、普段は入れない病棟だ。今回は特別だからな」

 普段ならば、里や国の要人を処置するために用意される棟のはずだった。一般人や普通の忍の患者とは隔離するための特別棟。その存在は知ってはいたものの、足を踏み入れるのは初めてだった。

「他里のくノ一を保護するのに、ここまで?」
「いや、そのくノ一は通常病棟の個室にいるぜ…実はな、昨夜保護したのは一人だけじゃねぇ」
「――まさか」
「砂隠れの謀反のことももちろんそうだけどよ、こっからが真の機密事項だ――」

 術式を解いて扉を開く。足を踏み入れた特別棟の1階部分は、今まで見てきた本館と何も変わらない。

「3階までは、ダミーみたいなもんだ」

 踊り場が円形をしているせいで、まるで螺旋のようにも見える階段を登る。窓の強度が強く屋外の音が伝わらないせいか、はたまた硬度のある石で造られているせいか、本館よりも自分の足音が響いた。
 同じ風景ばかりがくるくると続いて、四階にたどり着く。一つだけある扉に父は手をかけ、ノックを4度してから返事を待つことなく開いた。
 明るくも暗くもない照明の中、こちらを振り返る4人の人影があった。

「綱手さま、シカマルを連れてきました」
「ぁあ」

 この件での指揮を執っているはずの里長と付き人であるシズネ。そして今回のきっかけである砂忍を保護したカカシ。それに…。

「サクラ…」
「シカマル…来たのね」

 綱手は未だ本調子ではないらしく、最近では、綱手の指示で成長著しいサクラが医療忍術を駆使して動いていると聞く。
 やけに疲労したサクラの言葉で確信が持てた。綱手が自分を指名したのも、親父が迷っていたのも、一つの結論を自分に導かせる。

「あの人、が…?」

 極めて普通通りに言葉を発したはずなのに、やけに掠れて聞こえる。皆がいるその奥の、布で遮られている場所を未だ自分は直視できないでいる。

「峠は越えたわ…昨日保護した時は本当に危なかったけど。後は…体力勝負になる」
「医療忍術とシカクの解毒のおかげでもあるが…砂隠れの里の教育の賜物だな。良いこととはいえないが、テマリの薬物耐性は大したもんだよ。摂取した毒物は致死量を優に超えているのに、体内に次々抗体ができている」

 綱手は確かに彼女の名前を口にした。生きていると今まさに語られたばかりなのに、やけに恐怖を覚えた。いや、混乱しているのか。けれどなぜか見えないものに導かれるように、自分の足は布の向こうにあるベッドに近づいている。
 L字にベットを囲むようにしている吊るされた柔らかい布を手繰ると、からからという冷めた音がして視界が広がる。一歩、二歩、三歩と歩を進めて、見下ろした視線の先には――知らずにいれば死んでいるのかとも錯覚してしまいそうな表情で眠る人がいた。
 蛍光灯の光の元に晒されたその顔は、血の気を感じさせないのっぺりとした白さ。
 すうっと頭が冷たくなったのは、自分の過信を思い知らされたからだ。彼女の強さへの。

「シカマル。テマリにとって木ノ葉で一番面識があるのはお前だ。彼女は…お前には気を許してるだろ。目覚めたら精神的に辛い状況になるからな、気楽な相手が側にいるのが一番いい。
――今よりお前に任務を与える。風影の実姉を見張り…保護しろ」

 自分とテマリの関係は、そのような風に周りには見えていたのだろうか。当事者たちが持て余している関係なのに。

「――今分かっている状況を教えて下さい」 




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