雨降ル里 1


「では、ありがとうございました。テマリ殿、奈良シカマル殿」

 雨でぼやけた視界の中、雨隠れの捕縛部隊に捕らえた抜忍たちを引き渡すと任務は完了した。
 砂と木ノ葉をつなぐ古道の、雨の国にある峠で、半日近くに渡る任務を終えたばかりの自分達は、全身水に浸かったようにびしょ濡れで口数も少なくなっている。

「では、そちらも宜しくお願する」

 抜忍の集団は一旦雨隠れの牢までつれていかれる。
 捕らえたのは、砂と木ノ葉からの抜忍たち。忍界大戦終結時に里を抜け、この小国に潜み杯盤狼藉を繰り返す盗賊のような組織だった。
 戦禍にさらされからの雨隠れの武力では、もはや抜忍などの対応もできない、と任務依頼だったのだが、偶然とはいえ、それぞれの里の忍たちに捕縛されることになったのは皮肉なものかもしれない。

「帰りはゆっくりと帰れそうだ」
「…ぁあ」
「お前の戦術のおかげだ。久しぶりの合同任務だったけれど…流石だな」
「…いや…実際の攻撃についてはアンタの風遁に頼ってた」

 予想以上に早く任務が完了し、心にゆとりが出てくる。
 現場が、降り続ける雨のせいで常に必要以上の体力が必要になる雨の国だ。本来ならば丸一日はかかるものと覚悟していたが、シカマルの戦略のおかげで半日もかからず全員捕縛できたのだから、これはありがたかった。

「?」
 
 ふと、隣で無言でいるシカマルの横顔を眺める。視線はぼんやり虚空に固定され、雨に濡れて、一つにまとめられた髪もしんなりと垂れ下がっている。
 先まで、風向や谷と崖の位置を的確に把握して、どの方向にどれほどの力で風を放つのかを計算し、的確な指示でリードして任務をしていたのだが。どうも様子がおかしい。

「おまえ、体調悪くないか?」
「…雨のせいで…少しだけだ」
「嘘付け。さっきから会話が鈍いぞ」
「……任務が終わって、気が緩んだ…」

 ごちゃごちゃ言い訳を述べ立てるのを無視して無理やり額に手を押し当てる。額は冷たい雨に濡れていたが、伝わる熱は明らかに異常な高さだった。

「…やっぱり。いつから?相当熱が高い」
「あんたと合流した頃は…そんなこともなかった…」
「ばぁか。こんな気候じゃ風邪引くに決まってるだろ!」

 合同任務に責任を感じて、無理をしたのかもしれない。それになによりも、任務は着実に完了している。今まで、支障を来さず遂行できたことは、認めないといけない。
 
「これから一人で木ノ葉に帰らないといけないんだぞ…」

 ちょうどこの古道の正反対にそれぞれの里があるのだ。任務前は、峠の区間を迂回する山麓を通る道を使い、その間の宿場町で合流し、打ち合わせてから峠を目指した。峠にいる今は、お互い逆方向を目指して進むのが最短の帰路になる。

「…少し、こっちで休んでから帰る」
「今日は木ノ葉側に下った集落に宿を取って休養しろ…私もつきそうから」
「…三日後には次の任務あんだろ。一人で大丈夫だ…」
「ふらついてるぞ?大丈夫なもんか。どうせこの任務に明日いっぱいまで時間あててあったんだ…一緒に行く」

 こちらが畳みかけると、黙ってしまった。何時もならばしつこく口答えをしそうなものなのに、今日はしゃべる気力もないらしい。我慢強いこの男がこうまでになっているのは、かなりひどいのかもしれない。
 気がつけば雨の勢いが増している。今やお互いの声が聞こえなくなるほどの音量をもって滝のように雨は落ちてくる。この状態では、自分だってそのまま里へ戻れそうにない。
 そもそも、長い付き合いのこの木ノ葉の忍を一人にする気持ちなど毛頭なかった。今や、自分にとって重要な人間だと自覚している。
 とん、と体温が奪われているであろうその背に軽く触れ、進行を促すと、そのままシカマルも歩を進め出した。


※ ※ ※


 峠を降りてたどり着いた集落は、やはり降り続ける雨の中で、いまにも朽ち果てそうな鄙びた風情だった。
 かつての歴史を思い出し、厄介ごとを軽減するためにも額宛だけははずしておく。気休めにすぎないだろうが。
 市(いち)の立つ宿場町と少しはなれたこの集落は、元々遊郭街を形成していたらしい。ここも市街戦の現場となったことは、事前の下調べで知り得ていた。
 大門でシカマルを待機させて、集落の中に駆け出す。
 ちよっとした仲見世(なかみせ)の通りを中心に、路地の奥まで質素ながらも風情のある店が連なっているのに、今やその半分以上が閉じている。中には廃墟然として今にも倒壊しそうな楼まであった。雨が止まぬこの国では、古い建物の劣化と風化は激しい。
 今も空いている店のほとんどは、料理店や旅籠として商いを変えて、細々と生き延びているらしかった。
 自分達の立場を考え、あまり人がいるところは避けて、こじんまりとした宿を探す。一刻も早く彼を温められるように、できれば湯が炊いてあるところがいい。
 駆け抜ける町並みは古びてはいるが、夜も帳が下りつつある今、僅かなぼんぼりに灯りが灯り、雨に濡れた石畳がそれを反射して風情がある。
 仲見世の突き当たりに近いところまで来ると、路地の奥に見えた「旅籠」と書かれた燈籠の明かりが見える建物に近づく。宿燈籠の灯った店はいくつもあったが、そこは仄かに赤みがかかった光が温かく感じられ、奥の小さな煙突から煙があがっていた。
 正面に立つと、その宿は思った以上にこじんまりとしていて、古びている。けれど、紅柄(べんがら)漆喰の上部には、螺鈿(らでん)の埋め込まれた細やかな細工があった。
 二階の部屋に明かりが灯っていないことが確認できたので、引き返して、大門のシカマルを連れて来る。

「古いのはしょうがない…ここにするぞ」
「…ぁあ」

 玄関の木戸を開け、内側にだらりと垂らされた暖簾をくぐると、雨の匂いに混じって香と脂粉(しふん)の匂いがふわりとした。すこし、眩暈を起こすような香り。
 木戸を閉めると、廊下の奥より足音が近づいてくる。

「おや、まあ」

 濡れ鼠の自分たちをみて、初老の品のある女将が柔和な声を上げる。

「宿泊したいんだが」

 こいつが体調を崩しているんで休ませて欲しい、と付け加える。

「この気候ですから、貴女方のようなお客様をお迎えすることはよくあります。まずは湯浴みなさって着替えてくださいね」
「助かります」
「…ありがとう、ございます」
「あ、少々お待ちください」

 廊下の奥から戻って来ると、これで体を拭くように、と、まっさらな新しいタオルを渡される。ありがたかった。自分達の体から水滴がしたたらないようになるのを見届けると、女将は二階の角部屋に案内してくれた。
 かつては、最上格の遊女が使っていたというこの宿では一番大きな部屋と言っていたが、六畳にも満たないこじんまりとした部屋だ。
 荷物もすべてずぶ濡れだったので、入り口の木貼りの部分にひとまず置くと、すぐさま湯船のある1階へと戻る。
 小さな浴場の脱衣所にシカマルを待機させ、女将から浴衣と入浴用の一式を受け取る。そして、少しの料金の追加と引き換えに、風邪の看病に必要そうなものをお願いしておく。
 ふと思いついて、大きめの一欠片の氷だけ先に茶碗に入れてもらい、すぐに脱衣所へと戻る。
脱衣所の壁に背を持たれかけさせて、目を閉じてシカマルは待っていた。

「…つかりすぎないようにな。この氷を手ぬぐいに巻いて頭だけは必ず冷やして」

 熱があるのにさらに湯で血が巡るのだから、相当体力を使うことになる。とりあえず頭だけでも冷却しておけば、風呂場で倒れることなどは無いはずだ。

「――悪ぃな」

 雨の中で見ていたよりもずっと目元や頬を蒸気させて、低く掠れた声を紡ぎだしている。

「…だいじょうぶ?」
「大丈夫だって!」

 あまりに視線がふらふらとしているので、肩に手を置いて尋ねたら、やたら元気な声で返される。逆に不安になる。

「ほんとに?」
「まかせとけ」
「……心配だな」
「へぇ、ずいぶん優しいじゃねぇの?」
「お前は、今日は口数が多いな…」

 熱で陽気になっている…のか、カラ元気で強がっているのか。不安ではあったが、どうしようもないのでそのまま見送った。

「貴女も、すぐに湯浴みなさって」

 何もできずに考えあぐねてたら、女将に客用ではない店の湯船使うようにいわれた。
 確かに、自分が風邪にやられていては元も子もないので、ありがたく厚意に甘えることにする。カラスの行水よりも早く湯浴みを終え、素早く身体を拭いて乾いた浴衣の袖に手を通したら、やっと生きている心地がした。
 台所にいる女将にお礼を伝えると、あまりの早さに驚かれ、少し窘められる。女なのだから身体を粗末にしてはなりませんよ、と。
 そして、白粥が部屋においてあるので、必要な時に火鉢で少し温めるように言われた。濡れた衣類も乾かしておく、と持っているびしょぬれの忍服を引き取ってくれる。
 ただただ申し訳のない気持ちでいると、こんなことはままあるから慣れていますよ、それに今日は他にお客様はいないので手は空いています、と優美な微笑み。
 品のあるたおやかな様子にしばし見惚れていると、女将の表情が悲し気なものに変わる。
 
「…あなたたちは、砂と木ノ葉の方ですね」
「――なぜ、分かる?」
 
 一般人であろう宿の女将に言い当てられ、驚いたこと以上に、様々な理由からの後ろめたい気持ちが先立った。

「男の方は服が木ノ葉のものでしょう。そして貴女は、気配が砂のもの。長い間、色々な忍を見てきましたから…見た目だけではなく、立ち振る舞いだけでも区別がつきます。それに、私の息子も雨隠れの忍でしたもの」

 忍でした、という言葉に、女将の子息の結末を悟る。どのように殉職したのかなど、聞けるはずもない。

「こんな辺鄙な場所で…お二人は恋仲でいらっしゃる?」
「……いや、任務で着だんだ。今は木ノ葉とは同盟を組んでいる。ただ、この雨にやられて…」

 雨隠れでの大戦ならば、女将の息子と対峙したのは砂か木ノ葉の忍ということになる。
 女将は過去の事実を淡々と述べているに過ぎず、自分たちの知らぬ時代の話ではあるが、同盟の犠牲になったものを目の当たりにしているようで、謝りたいような気分にさせられる。

「そのような顔をされないで。忍である貴女が、あまりに真摯に他里の殿方を想っているようだったから、お話してみたかっただけなの。 私は戦を厭います。けれど、忍のその生き方を誇りにも思います」

――想っている?
 どのような自分の行動や感情を指しているのかわからなかったが、元は遊郭の女主人であったであろう女将は、さらりと自分の意表をつくことを言葉にした。

「戦いに身を投じていらっしゃる方の気持ちは及びもつきませんが、息子を失う辛さは分かるのです。どうぞ、貴女方に、ご加護がありますよう。僅かな時間かもしれませんが、ごゆっくりなさって」
 女将は、柔和な笑顔に戻っている。
 怒りのままに抜刀されても文句の言えない立場だろうに、この女性は、強い。
 ここは戦場なのだ。未だ。
 この人に何を伝えればいいのかも分からず、ありがとう、とだけ辛うじて声にして返した。
 遣り切れない気持ちでいると、助け舟のように、シカマルが湯から出て来た音が聞こえた。
 なぜか心臓が跳ねる。
 すみません、と断って、浴場へと向かった。
 シカマルは先と同じように、背を壁に凭れかけさせて辛うじて立っているようだった。

「大丈夫?」
「――ぁあ」

 入浴前より疲弊しているようだったので、有無を言わさず腕の下に肩を入れた。シカマルは、やはり、黙ってされるがままだ。
けれど、湯に浸かった身体はちゃんと温まっているようだった。
 力が入らないのか、自分の肩にかかる体重がずっしりと重たい…無防備な様子に、なぜか、ほんの少しだけ心の奥底がうずいた。 





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