花と嵐 3


 たどり着いた東の交易地には、湿度の高い風が吹いていた。ここは、中心を流れる大河があり、往来する貨物船舶により栄えた街だ。
 街の入り口にあたる警備詰め所前を通り過ぎ、中心市街地へと向かう。
 次第に強くなる街の香り。木ノ葉からさして遠くはない、それこそ買い物にも気軽に往復のできる距離にあるのに、この街にはずいぶんと個性がある。様々な国の人間の往来。物流として売買される異国の食材、雑貨。中心の市場だけではなく、店1軒からも活気を感じる。人の話し声だけではない、ざわざわとした音が常に響いていた。

 露天街に近づくと、煩雑な据えた匂いが強くなってきた。
 大きな地図が露天街の入り口にある。ここが街の中心だ。
 地図を見ながらテマリと言葉を交わすでもなく時間をやりすごす。途中、茶屋で喉を潤してゆっくり話しながら来たからだろうか、間もなくシカマルが合流してきた。
 
「悪ぃ、待たせた」
「早かったわね」
「お疲れさま」
 
 急いできたのだろうが、息を乱すことなく私たちの前にいる。すまねぇな、とまた謝った。
 たかだか一時間程度別行動をしていただけなのに、その間に交わされた言葉たちの数々のせいで、ずいぶんと離れていたように思える。暗号班に何を頼まれたかも気になったが、テマリの手前ではおいそれと内容も聞けない。
 地図を見ていたテマリが、合流してもらったそうそうで悪いんだけれど、と話を進めた。

「ちょっと…確認したいことがある。一人で行きたいんだが、いいか?」

 少し言い難そうにしてテマリが私たちに断りを入れる。砂の里の情報網でも当たるのだろう。
こういうものは他里と合同任務に当たるときには不文律だ。立ち入ることはできない。

「ああ。こっちは街を把握しておくから。半時(はんとき)ぐらいでまたここに集合でいいか?」
「充分だ。じゃあ、またな」

 シカマルと簡単な言葉を交わし、さっと人ごみに消えた。
 二人は試験準備などを含めて、任務を幾度か一緒にしているのでやり取りがスムーズだ。二人とも人や状況への適応の早いタイプだけれど、お互いの信頼があるようだった。そこにある里の違いなど感じさせない。木ノ葉の中で、まことしやかにその関係が噂されるのもしょうがないかもしれない。

「おい、ちょっといいか」

 なんとはなしに思索にふけっていると、シカマルが切り出す。

「うん。何?」

 街の中を把握するため、成り立ちを目で確かめようと歩み出す。
 シカマルは市場や商業地、繁華街、居住区域、歓楽街などの位置関係と状況を頭に入れ、街の各エリアの役割を見極めようとしている。
 半歩前を無言でがつがつと歩いていたシカマルが口を開いた。

「あの人の戦いだ。ぎりぎりまで手を出すな。医療忍術でフォローしてくれ」

 テマリ自身もフォローに徹して欲しいと言っていた。つまり、手を下すのは自分だ、と。

「…けれど、状況が悪くなればあいつが何を言おうとこっちで処分するぜ」

 シビアに能力や現況を見極めることをするが、人の意志は尊重させるのがシカマルだ。
 彼自身も、暁討伐という任務ではあったものの、恩師の仇は自分の手で完結させることに重きを置いていた。あの増援に向かった日を思い出す。すべてを終わらせたシカマルは冴えた瞳をしていた。なにが何でもだからな、と。
 
「テマリさんは…無鉄砲はしないでしょ?」
「…たぶんな。でも今回については…どうか」

 今日のシカマルは、普段よりも言葉を選んでいる。
 ふと気づく。シカマルは急ぐように大人になっていく。一番最初に中忍になって、里の基幹任務を任されるようになり。師を失い、その決着をつけて、実直に前へと進む。
 今、彼の忍としての視線はテマリのそれと一緒なのだ。上向く視線の側に、テマリがいる。
 そこにある確かな影響力。
 けれど彼は根が優しい。テマリが言うようにそこに甘さもある。 彼も、師を暗殺するなんてことゆめ考えたことはなかっただろう……それが同期の仲間であっても。
 温かいこの里で育ってきた私たちに、できるとも思えない。
 …だから、私たちに与えられた任務なんだ。


 ※ ※ ※


 夜に接触できそうだ、と、先ほど里からの情報を手にいれてきたテマリは、行動の指示をいくつか出した。
 縦隊で進みながら、街の空気を感じ取る。アルコールの揮発性の匂いとそこら中から立ち上る紫煙の香りが強い。酒場が軒をつらねる繁華街は露天市よりもさらにごった返した香りがした。
 先頭を行くテマリが空を見上げる。つられて見上げた夕空は透明な紫紺色だ。地平線近くに見える満月は、赤く、不吉なぐらいに大きい。
 どこまでが店の境界かも分からない屋台のような酒場を、路地から路地へと渡り進んだ。
 
「そろそろ、悪所に踏み込むからな」

――気を引き締めろ。
 角に小さな祠と朽木がある路地に入り込んだときから、明らかにそこに漂う雰囲気が変わる。  
 狭い路地に店を広げている露天や屋台の店主やそこにいる人たちに緊張感がある。露店の後方には、内部の見えない店舗の扉たちが連なり、客を選別する関所のような重みを醸し出している。
 地区全体に異常な…非日常性が漂う。
 なんだろう。目に見えているものに変化はないのに、薄暗い重たさと、空気の淀みを感じとった。

「あそこだ」

 指さす先には壊れかけた赤と青の大きなパラソル。山積みの鄙びた帽子を破格の値段で販売している老婦人の露店商……その後ろにやたら薄暗い廃墟のような木戸があった。
 行き慣れた客のようにテマリはまっすぐと木戸に向かって進む。

「打ち合わせ通りに、頼む」

 小声で呟いて、静かに扉を開いた。
 途端に耳に飛び込む異国の音楽。
 踏み込んだ店内は澱った臭いがする。里の資料室のカビの臭いの濃度を濃くしたような空気に、思わず噎せ返りそうになり、ストールで口元を押さえる。
 入り口は足下が見えないぐらいに暗かったが、奥に進み、カウンターと店主らしき人物が見えてくると店内全体が見渡せるくらいの光度になる。横に長い店内には、酒を提供する店にしては早い時間なのか、店主以外の人間が見あたらない。

「いらっしゃい…」

 たゆたうような、暗い声だった。BGMに打楽器の重低音が響く店内なのに、耳にしっかりと残る。僅かな寒気を覚える…何かに似た感覚だ。
 会釈だけをして、シカマルが店主に一番近い位置のカウンターに座った。打ち合わせ通り、左腕につけられている額宛がしっかりと見える位置。
 自分は、テマリに導かれるように、カウンター横に隠れるようにこぢんまりと設えてあった小さな円形のテーブルと高めの椅子に腰掛ける。
 シカマルは店主に南方の茶葉を使う、木の葉の里ではあまり耳にすることのない茶を頼んでいた。その茶が合図だった。 なんとはなしにその様子を目に留めていると、自分の背後から気配を一切感じ取ることなく人が現れる。思わぬ出現に、体が瞬時に対抗体制を取っていた。
 
「…何、されます?」

 自分の緊張とは裏腹に、ぼそりと注文を問われる。この人は店の従業員らしい。
 テマリはフレッシュジュースを頼み硬貨を二人分渡している。気後れしていた自分も、選ぶ余裕などなくただ同じものを注文した。
 ――びっくりした…。ふう、とため息をつくと、、正面のテマリに目元だけで微笑みを返される。繁華街に入る前に砂の額宛をはずしているので普段よりも表情が分かりやすい。
 そうだ、さっきから伝わるこの感じは暗部のもつそれに似ている。
 今はもう現役ではないが、カカシとヤマトが任務最中にふと立ち上らせる、緊迫感。相手に気配を感じさせることなく、人を殺し、情報を扱い、里のために姿を隠して任務につくものたちの。静かな威圧感だ。

 ストローがじゅうと音を立て、フレッシュジュースが底をついた。
 じりじりと時間だけが過ぎていく。熱帯の国を感じさせるBGMの音が耳障りだった。
 滞った時間は重くのしかかってくるようだ。
 シカマルは注文した茶に手をつけることなく、カウンター奥の方に視線を向けていて、その表情は分からない。
 目を瞑り周りの気配に気を配る。
 音楽は遠のき、生きている人の気配だけが感覚に残る。時折入り口の方を通り過ぎる気配も感じ取ることができた。
 …息をつめすぎてしまい、意識を通常に戻すように深く呼吸をする。
 目に入った正面のテマリは手甲で覆われた右手を見つめていた。テマリもここに入ってから、自分と一言も言葉を交わしていない。
 暖色と闇のコントラストが強い室内で、しっかりと睫に縁取られた瞳は、僅かに伏せられ瞬きもせずにいる。目元に影を落とす睫が綺麗だ。整った顔立ちは、感情が読み取れない今、まるで感情を持たない置物の人形のようだった。
 すっと、心が冷えていく――この人は、砂の忍だ。
 道中の柔らかな表情に慣れてしまい、かつて、中忍試験の時に見せていた冷酷な彼女を忘れていた。
 違和感に戸惑っていると投げられた視線に気づく。シカマルが一瞬、テマリの様子を確認していた。無駄の少ない彼にしては、妙なタイミングだったので、心の中にさらに違和感が膨らむ。
 スリーマンセルが同じいのやチョウジには及ばないものの、同期メンバーの中では、自分もナルトも、シカマルと任務に当たることは比較的多い。任務が特殊なのもあるが、今回、このメンバーの中にいてなんだか落ち着きのなさを感じてしまう。
 ざわざわと、蓋をした部分を刺激される。
 頭の中で違和感の理由を捜し求めていたら、別の場所にさらなる異物の存在を感じ取った。
――忍だ。
 長細い店内の、自分たちからはカウンターを経た逆側の奥。緞帳のような華美な色彩の布が垂らされた勝手口に、一瞬、緊張が走る。
 その気配は、自分が気づいた瞬間に綺麗に消された。
 気配の扱いの上手さが、相手が相当な手練であることの証明だ。

「くそっ」

 テマリはすでに一直線に扉に駆け出していた。
 彼女よりも一拍で遅れたシカマルがそれに続き、自分も慌てて立ち上がる。
 店主は動じることなく、成り行きを見つめている。会釈だけをして扉に飛び込んだ。狭い路地を駆け、視界でシカマルの背を、そして五感であの砂の忍たちの気配を追う。
 店に入る時よりも、狭い道には人の往来が増えていた。すっかり暗くなってしまった路地を、潜り抜けるように気配を追う。
 目に飛び込んでは過ぎていく、取引される物品たちはやたら煩雑で、薄い街灯に照らされた品々はみんな同じものに見えてくる。

「―ごめんなさいっ!」

 腐りかけの果物がてんこもりになった藁籠を倒してしまった。声に精一杯の謝意を込めるだけにして、全力で足を蹴る。
 抜忍は、こちらを撒こうとしているのか、やたら道を折れ、蛇行して繁華街を駆け巡る。何度も人やら積荷やらにぶつかりそうになる。高い位置から追跡できれば良いのに、このスラムのような未成熟な繁華街では、上空からの追跡の方が困難そうだった。
 幸い、繁華街の中心から外れてきているので人通りは少なくなっている。少し離れてしまった距離を縮めるべく、木立を抜ける要領で、1度の跳躍の距離を広げて走る。
 次第に体感温度が下がり、充満していた街の香りが遠ざかっていった。
 たどり着いたのは、人気のしない荒れ地だった。広い敷地に、社寺建築のような意匠見られる建物の残骸があるので、廃寺だろうか。
 所々に崩れた廃屋がある以外には、年輪を感じられる大きな木々が点在している。奥の方はそのまま山になっているのか木々が林立している。。
 ちょうど回遊庭園のような中庭らしき広場跡に人の気配があった。
 雨でぬかるんだ土を蹴り、その場所へと向かう。夕刻みたときよりは高い位置にある満月のおかげで、視野が利く。
 手前にシカマルの背が見えてくる。奥の方――倒壊した石灯籠のそばにテマリ。…そして、その二人を直線で結んだ延長に、もう一つの気配がある。
 なぜだろう、また少しの違和感を感じる。
 対象人物は逃げない。誘い込まれたのか?

「…下がっていてくれ。奈良、春野…もしものときはフォローを頼む」

 テマリの側までいくと、囁くように指示を言い渡された。
 はじまる。
 喉の奥がくっと詰まるようだった。
 月光から隠れた闇の中に、砂避けの大きな布を体に巻き付けた人物。
 
「お久しぶりです…コウサ上忍」

 ゆっくりと、かつての教え子の呼びかけに振り返る人が、いた。 




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