花と嵐 5


 木ノ葉の里に到着する頃にはもう雪はすっかり止んでいいて、満月が夜空に清かに顔を出していた。深夜に里内を静かに移動し、ひっそりと何箇所かで電灯が灯っている暗号棟にたどり着く。
 帰路の道すがら、テマリがシカマルに遺品処理についての話をしていた。中忍にもなって散々人前で泣き喚き、頭が麻痺していた自分は、極力口は開かず二人のやりとりをただぼんやりと耳に入れる。

「機密事項なんて、木ノ葉で解読しちゃならねぇだろ?」
「…木ノ葉だから正しく解読できるんだ。たぶん。」
「?」

 木ノ葉で、暗号解読できる信頼のできる者を紹介して欲しい、と。先に、テマリがコウサの検分で確保していた所持品には、どうも機密事項の書簡が含まれているらしい。だとするとシカマルの疑問ももっともだ。
 シカマルはテマリの意志から何か汲み取ったのだろう、本部へと人を呼びに向かう。
ここ暗号棟は、いくら外交をしているテマリとはいえ他里の忍は禁足の場所だ。けれど、綱手の計らいのおかげで、事務作業が共有机でできるように開放されている会議室への入室は許可されていた。

「疲れただろ?もう帰っていいぞ」
「…いえ、最後まで、いさせてください…」

 あの場所で酷く優しい顔で自分に謝ってからの彼女は、もう普段の表情に戻っていた。
 室内に入り、蛍光灯の下で見るテマリの顔は思案顔だ。何だろう?疲れきった頭で、自分なりに彼女の思惑に思いを馳せる。

 遺体検分が終わった後、戦いで傷ついたテマリの治療にあたった。自分といえば、シカマルに指摘されなければテマリの怪我の処置にも
 意識が届かなかったぐらいの体たらくだった。
 そんな自分を叱咤しながらテマリの腕を取る。
 先の俊敏な動きからは考えられないほど、深い位置まで傷ができていたテマリの右腕。風の刃の切り筋が恐ろしく鋭かったのだろう。一瞬で噴出した血が指先まで流れていたが、傷の閉じ方も綺麗だった。
 何かの反動でまた血が流れないよう応急処置をする間、テマリは無言だった。
 途中、たどり着いた処理班が壊死処理をして、遺体を風の国へと送り出していく。処理班の砂忍が消えると、なぜか懐に隠すように入れてあったコウサの遺品を取り出し、再び中身を検分していた。――一つは封筒、もう一つは封筒よりもずっと小さなお守りぐらいの大きさのもの。
 そうだ、そのあたりから、何かに考えをめぐらせるような表情を節々に垣間見せている。自分が露呈したような、苦しさや悲しさの激情ではない。何か言い表しがつかない、燻った表情――。

 やっと落ち着いてきた思考を巡らしていると、ドアが錆びた音を響かせ、本部に行ったシカマルと今朝に顔を合わせた暗号部のシホが入室してきた。こんな深夜に…頭脳業務の担当が宿直なんて大変だ。
 深夜に呼び出された彼女は、高揚した気色を漂わせていた。室内にいた私たちを見て少し顔を引き締める。一瞬目が合ったが、逃げるように視線を逸らされる…泣きつかれた自分は、きっと酷い顔をしている。

「夜遅くに、すまないな」

 すかさずテマリがシホに頭を下げる。すぐに、いいえ!と威勢良く頭を振る。

「彼女は最近別の任務で一緒だし、五代目の覚えもいいから任せて大丈夫だ」
「ああ。本来ならば他里に頼むなんてあってはならないけれども…」

 テマリにしては珍しく、少し躊躇いながらも懐から二つの遺品を取り出す。
 そもそも、遺品は回収班に渡すべきものだろう。今、遺品を手にした彼女は明らかに怪訝な顔をしている。

「少し不可解だから…ここで、本当のことを見たい。これを…」

 蛍光灯の真下にある大きな円卓の上に取り出したのは、まず1枚の封筒。中からいくつかの紙片が乱雑に折りたたまれて出てくる。それらは、まとめるように藁半紙でくるまれていた。傀儡部隊の研究情報であるというそれは、やけに粗雑な紙切ればかりだ。
 記述してある文字は、少し象形文字に通じるものがある。
 紙切れを手に取ったシホは、厚い眼鏡の縁に添えた手にぐっと力をいれた。最初はメガネの間に見える眉根い皺をよせていたが、すぐさま思い当たる解読アルゴリズムに行き着いたらしく、柔らいだ表情になる。

「これ…これは…忍界大戦の頃に発生した木ノ葉暗部の暗号ですね…」
「木ノ葉の?」
「はい。これならばここで解読できますよ」

――記号そもそもの表記が複雑なのと、組み合わのルールが難解なんですよ。
 見た感じ自分やシカマルと同世代に見える若い彼女は、この分野でかなり秀でているのではないだろうか。口内で暗唱をするように、ゆっくりと指先で文字の羅列を辿っていた。

「……中身は、何て?」
「ええと…固有名詞…名前がありますね…3人。サジョウ、ジョウセキ、リュウサ」
「…最後はコウサの伯父だな。あと2人は上役…保守派の」

 解読内容を聞いているテマリの方が眉間の皺を深くしている。

「こっちの紙は日付と地名?ですね…。あとは…えっと…ちょっと…ん?この単語がいくつも出てくるんですけど何を表してるか分からないです…」

 シホは5文字ほどの単語らしい固まりを指さす。確かに、よく見ているとそれぞれの紙切れの文の中に繰り返し見られる。

「傀儡の話じゃ?」
「……んー。…あ、四分の一…の拍、だから…4分音符」
「!」
「え?」
「じゃあ、もう一ついいか?……こっちは、何が…」

 こちらの理解が及ばない間に、テマリはもう一つの遺品である小さな布袋を取り出した。そして、中に包まれたものを丁寧に取り出す。それは小さく折りたたまれた上質な和紙のようだった。
「こちらは…漢、文…書簡でしょうか。古い時代の隠れ里共有暗号ですね…ええと……『花、発多風雨、――」
「…もういい」

 淀みなく読み上げるシホの声を無理矢理遮るように、テマリが片腕をシホの前に上げた。かみ締めるように、一度ぐっと口を結ぶ。

「…とんだ茶番劇だ」

 本人も意識していないぐらいの小さな声音だった。円卓の上に重ねて置かれている、その小さな紙切れたちを取り上げる。

「!」

 テマリが指先に力を入れると、風の力が流れて紙たちが瞬時に微細な紙吹雪になった。復元などできないほどに粉砕されてしまった遺品は、萎れた花びらのように円卓の上に打ち捨てられている。

「…あの狸親父たち」

 やはり独り言のように苦々しくつぶやく。
 
「私は火影さまへの報告書を作るから、宿に戻る。…巻き込んで悪かったな、大変なときに、ありがとう」

 矢継ぎ早に言い放ってそのまま室外へと足早に向かう。勢いに圧倒されている間に、がたん、と扉が閉じた音が響いた。
 状況もわからずどうすることもできず、おたおたとするシホ。シカマルと自分も動くことができない。

「…泥臭い話だな…保守派と音忍の密約か…内乱か……」
「…まさか」
「コウサ本人もわかってたんじゃねぇか。変に煽ってたし、やけにあっさり殺されたしな…」
「そんな、残酷な…」
「コウサは伯父を正しく処理したんだろ。知ってしまった事実をまとめて負わされて処理された。まあ、元凶はまたのうのうと生き延びてるんだろうけどよ…どこの里もきな臭ぇな」

――しょうがないさ。諦めたように穏やかに話すテマリの言葉が蘇る。

「シホ、書簡の方には何て?」
「あ、はい!」

 記憶を辿るように、書簡の内容を諳んじはじめる。

「ええと、書き下しで読むとですね…『花ひらいて風雨多し、人生別離に足る』。辞世の句なのでしょうか?あ、でもテマリさまに宛ててありました」
「!」
「聞いたことある漢詩だな…なんか特別な意味でもあんのか…」

 『あの人なりの、優しさだったんだよ』
 ぽつりと本音を呟く横顔。
 『ありがとう…サクラ』
 背後でささやかれた、彼の別れの言葉と同じだった。
 優しい笑顔で、ごめん、と謝ったテマリ。
 ありがとうの意味は拒絶だった。その生まれ育った環境の差で、一緒には進めない、と。
 ぱたぱたぱたと、気づけば一度止まっていた涙がまた溢れてきて止まらない。

「…サクラさん、どうしたんですか?」

 シホが不安そうに声を掛けてくる。
 覚悟はする、自分だって。
 けれど、その境遇の差は一縷の望みさえも許さないのだろうか?

「シカマル。テマリさんのところに行って」
「今は、行かねぇほうが…」
「…木ノ葉と砂は違いすぎるでしょ?関係なんていつ途絶えるか分からない…!」

 シカマルの手はぐっと握られ、逡巡している。けれど、何かを振り切ったように、数分前にテマリ進んだ道を辿り始める。
 こんなことで自分の未来が変わらないんて分かっているけれど。
 僅かな可能性をここに見出してみたかった。


● ● ●


 あまり頭を働かせないようにがしがしと歩いていると、ふわりふわりと小さな欠片がまた降りてきた。
 立ち止まり空を見上げる。風の動きの少ない空間で、雪はゆっくりと自分目掛けて降りてくる。
 軽やかなな雪たちは、あの春の日を思い出させる。
 少し気持ちが変わって、宿の裏側にある神社の鳥居を目指した。
 目の前に迫るのは、いっそ壮観なほど真っ直ぐに本殿まで続いている急勾配の階段。100段ほどもある階段を登りきりれば、木ノ葉の里が見渡せるのだ。ここは、試験委員になったばかりの頃、里の要所を案内してくれたシカマルが教えてくれた場所だった。
 一段一段、一歩一歩を踏みしめて上り始める。

「よろずのことも、始め終りこそをかしけれ…」

 彼が、かつて教えてくれた言葉たちを諳んじる。
 自分の師はずっとゆるがなかった。
 笑いながら、感情など見せないまま、里のために汚名を負った。
 肝心なものは隠したまま逝ってしまうのだから、ずるい。
 最期まで知らず、踊らされた自分に反吐が出る。

「月に群雲、花に、風…」

 忍であることに後悔などはない。そもそもそれ以外の選択肢がない。
 割り切り方も覚えているし、覚悟もある。…けれど、なんでこんなことばかりを繰り返すのだろう。
 予想通り、階段を登るにつれて風を感じられるようになってきた。先は真っ直ぐに降りていた雪が、此処では自分の周りで舞い散る。
 風は、強い方がいい。
 里にいるようで安心できる。

「…おい!」

 やっと半分近くまで来た頃に、背後からかけられる声があった。振り返り階下を見れば、見慣れた姿。そのまま段を飛ばしながら駆け上ってくる。

「…どうした?」

 息を切らすことなく、一息に、自分まで僅か三段ほどの距離まで間を狭められる。
 出会ったばかりの頃は確かな年齢の差があったのに、いつの間にこんなに大人になったのだろう。
 自分の側まで、来ていたのだろう。

「――大丈夫か?」

 木の葉の里のことを一番に想っていて、面倒くさがりなのに、どうして自分に真っ直ぐに優しいのか。

「お前たちは、やっぱり優しすぎる…」
「……」
「それは甘さでもある。いつか弱みになる」

 けれど、温かくて、知れず惹かれてしまう人たちだった。

「私を殺せるか」

 シカマルの首筋に手刀を当てた。わずかだけ、指先に彼を傷つけることのない風の力を込める。

「私の父とナルトの父は刃を交えたことがある。3年前だって、私の仲間はお前たちの仲間を殺た。お前の仲間や父親たちも、私たちの仲間を殺した…」
「…分かってる」

 その首筋に触れ、血潮を感じ取る指先が熱い。

「私を殺せなければ、ましてや、里の仲間は殺すことはできないだろ…きっと、次は、お前の番だ」

 優しい、木ノ葉の忍たちだ。
 どうしようもない現実がすぐそこにある。決断を迫られる。
 忍において任務遂行は絶対だ。
 けれど、そこに培われてきたものを引き換えにする必要はあるのだろうか。

「…オレは、あんたと同じ覚悟をしたい。オレも…師に託された」

 首筋を脅かされた状態のままで、逆に視線で自分を射抜いて来る。
 そんなに急いで大人になることなんてないのに。その頭脳や性質のせいで、環境に求められるものが多い彼に心が痛んだ。
 ゆっくりと首に触れていた指先を下ろす。

「今回は…すまない」
「謝ることじゃねぇだろ…」
「今回は、彼女が…サクラのおかげでずいぶんと救われた」

 サクラが今回の自分と同じ立場になるとき、彼女ならば自分で行くかもしれない。そんな予感がした。そして、シカマルを含めた優しい仲間達も一緒に進むのだろう。

「お前と、同じ里に生まれていたなら…」
「……」
「同じ里だったらお前と一緒に戦える。お前が殉職しても、敵討ちをしてやれる」

 けれど。

「違うから、できない」

 逸らさない視線に、真正面から挑む。

「それが、現実だ」

 必要になってしまったのに。

「お前は、木ノ葉に生きているんだ。優しさ…甘さだって大切にした方がいい。それが人を救うこともある」

 弟だって木ノ葉の優しさに救われた。

「お前が木ノ葉を守るように…私は砂の里を守るよ。ずっと砂のために生きて行きたい」

 甘くない、優しくない…それが砂の流儀だけれど。
 横殴りの風が畳み掛けるように自分たちに吹き付けられた。氷の結晶たちが、体中に散りばめられて、消える。
 冷たい風は花を散らして進んでいるようだった。
 一つの段に横並びになって、広がる木ノ葉の里を眺める。
 今、同じ場所で同じものを見ているのに、ひとしきりに胸が寂しい。
 時間を重ねて、近づいている視線とは裏腹に、絶対的な距離が生まれていることを知らしめられる。

「ありがとう、奈良シカマル」 
 



 心に決めたら、進め。
 迷うな。
 逃げるな。
 目を逸らすな。







-了-




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