ショウ・タイム 7


18:54 ACT3:湯治場





「さむ…。」

 懐中電灯を頼りに進む山道の中、ますます落ちていく気温に思わず愚痴がもれてしまう。覚悟はしていたとはいえ、山岳地帯の寒さは予想以上のものだった。早々にマントを羽織り、少しでも外気が入り込まないように結び目をぎゅっと内側から握っていたが、それでも容赦なく蓬莱颪(おろし)と呼ばれる風は自分たちにたたきつけられた。
 山の麓に入ってからは、道の端に積雪の名残がそこここに残されていて、寒さをいっそう強調してくる。
 峠の茶屋に立ち寄ることなく、歩きながら食べられる握り飯などを胃につめこみ歩みを急いだのは、薄汚れた体で店に入るのをためらったのもあるが、なによりも温泉経由で出来る限り早く演習棟につきたかったからだ。やっと湯治場が近づき、木々の間の一角が湯気にけぶるのを見て思わずため息がもれてしまう。

「湯気が見える…。」
「早く行こうぜ」

 温泉は蓬莱山のふもとに、こじんまりとしてあった。観光地というより湯治場として利用されるこの温泉は、常連客と近くの村から通っているような慣れた人間しかいないようだった。
 
「よし。とっとと入ろう。あ、後で服乾かすから、洗っておけよ。」
「乾かす?」
「ああ、風遁はこういうときに便利なんだぞ。」
「…それは力の使い方を間違えてるんじゃないのか。」
「じゃあ…まあ時間がないから30分後に集合な。」

 簡単に待ち合わせだけしておいて、駆け込むように女湯の暖簾をくぐる。脱衣場と休憩室を備えた建物は外から見るとこぢんまりとして見えたのに、水滴でいっぱいのガラス戸から垣間見れた露天風呂は、予想外に広かった。
 女性脱衣場には、湯上がりと見える年配の老婦人が一だけ。さっと着替え、ちょうど良いので先に汚れた服の裾を洗い衣類を入れるかごにかけておく。受付で借りた手ぬぐいと大きめのタオルを持って、そのまま雪景色の露天に出た。

「うわ。」

 寒さでかじかんでいた足を湯船に入れると想像以上に熱くて、一度足を引っ込める。側にあった木桶で湯を取り、少しずつ体を温度差になじませてから、体をとぷんと湯に沈めた。
――心底あったかい。このまま眠ってしまいたい。
 温泉など久しぶりだった。それに、源泉を贅沢に掛け流している本格的な温泉は初めてである。外気と湯の温度の落差は少しくせになりそうだった。
 ゆっくり体を弛緩させながら空を見上げると、湯気を通した向こう側に、灯にぼんやり照らされた風花がきらきらとちらついて見える。これだけ温まっていると、山中の管理棟に移動するのが億劫になってくる。
 けれど仕方がない、任務のために来ているのだ。この温泉だって綱手の配慮としての特典なのだから。のんびりと湯船に浸かっていたい気持ちを押し切って、庇下にある体を洗えるスペースに移動する。
 手ぬぐいで首もとを拭い、ふと、石鹸を使おうとして気づく。

「おーい、シカマル。」

 木戸の向こうにいるであろう奴に声をかける。

「………何。」

 あまり張り上げてはいなかったが、声はちゃんと届いたらしい。壁越しのさほど遠くはない位置から、心底面倒そうな声音が流れる湯の音に混じって聞こえてきた。

「そっちに石鹸置いてあるか?」
「…え…ああ。」
「こっちのやつもう小さすぎて使えないんだ。貸して?」
「……。」

 軽く聞いたのに、沈黙が続いている。また無駄なことに頭を使っているんじゃなかろうか。

「……どうやって…。」
「ああ……こっちと区切っている木の壁があるだろう?ぐっと奥の方を見てみろ。」
「……。」

 男女の露天風呂を仕切る木の壁はずっと奥へと続き、大きな円を描くように湯船を囲んでいる。
「木板が半分以上腐って穴が空いているところが見えないか?」
「…ああ。」
「そこまで持って来てくれない?」
「ぇえ?」
「寒いのはわかるが…な、頼む!」
「…そうじゃなくって。」
「お前も年頃なんだ、覗きたい気持ちはよおっくわかる。」
「そんなんじゃぇねえって!」
「しかし残念だけどな、こっちには私しかいないから。気にせずとも大丈夫だぞ。」
「だから……あんた…。」
「早くしろ、時間ないだろ。」

 ぐずぐず壁の向こうでしている奴の言葉は無視して、目を付けた穴の空いた場所へと向かう。
湯船から少し離れ、タオルを巻いただけの体はなかなかに寒い。せかすように片腕を男湯側へと伸ばす。やる気のない足音が近づいてきたので、男湯側に入れた手をひらひらと降って位置表示をしてやる。

「ちんたらしてんなって。早く貸して。」
「……ったく。人使いの荒い…。あ」

 つるり、と一瞬だけ指先に触れた石鹸は落下したらしい。

「…ちょっと。石鹸ぐらいちゃんと渡しな?寒いんだけど。」
「……うるせえなあ。」

 床をどれほど石鹸滑っていったのか、下の方からくぐもったような声が漏れ聞こえた。思わず背伸びをして、壁の向こうでまごついているシカマルに声をかける。

「なぁに緊張してんだ?」
「!、覗くなって!」

 のぞき込んだわけではなく、視線だけを石鹸を追うように探していたのだけれど。目に入ったシカマルは手ぬぐいを腰に巻いた状態で、寒気にさらされた上半身がずいぶん寒そうだったのでちょっとは申し訳ない気分になった。

「ごめん。でも、お前が遅いんだぞ。は・や・く!」

 やっと石鹸をつかんだシカマルが、やたら遠くの位置から手だけ伸ばして石鹸をこちらに渡してきた。

「なんでそう逃げる?」
「逃げてねぇ…。」

 ぎりぎりまで足の指先を伸ばして、こちらの視界の外へと逃げる奴に顔をあわせようとすると、視線を思い切りそらされる。

「私だってそう無防備じゃないよ。タオルぐらい巻いてるって。」
「……。」
「あっ。」

 足を伸ばして壁にしがみついていたのだが、いつの間にかタオルがささくれた木板に巻き込まれいたらしい。くい、と引かれた脇腹あたりを覗いてみると、タオルはそのままぱさりと落下する。
 
「…何。」
「タオルが落ちた。あ、雪で濡れる――。」
「…もういい。」

 本気で怒らせたらしい。逃げるように、シカマルは湯船があるらしい方向へ消えていった。

 短い時間ではあったが、しっかり髪まで洗ってもう一度湯船に浸かった。やはり30分は短く、慌しく身支度を整えて待ち合わせの場所へ出る。
 体の芯が暖まっているおかげで、寒い外に戻った今もまったく体がぽかぽかしている。すでにシカマルは薄闇の中で白い息を吐きながら待っていた。

「ごめん、お待たせ。ちょっと髪が乾かなくてさ。」
「……いや、こっちも今さっき出たところだぜ。」
「ちょっと…大丈夫か?」
「…は?」

 街灯の元の視界はあまり良くはなかったが、明らかにシカマルは湯あたりしているように見える。

「少しのぼせてるだろ?頬が赤い。確かに湯は熱かったけど…。」

 温泉に行くたびに真っ赤にのぼせてしまう末の弟を思い出しながら、両手でその頬に触れるとまた思い切り目を逸らされる。

「…あんただって上気してるって。」

 思い切り視線をはずしながらも口答えする様子が憎たらしい。

「…わかった、イヤラシイこと想像してたんだろう。」
「違うって!湯に浸かりすぎた。」

 もう少しからかってやろうかとも思ったが、時間が過ぎるとせっかく温まった体が冷えてきてしまう。

「分かった分かった…ところで、服洗ったか?」
「ああ、汚れた部分だけな。」
「さっと乾かすぞ。ちょっとごめん。」

 羽織っているマントをあけさせて、トリモチで浸かって汚れた膝下部分の濡れた忍服を確認する。膝を折って、乾かす部分を軽く掴んだ。

「…オレごと吹き飛ばす気じゃないよな。」
「馬鹿言え、ちゃんと水気を吹き飛ばすぐらいに調節することぐらいできる」

 慣れた力を一瞬だけ掌に込め、布の表面だけに気圧差を起こし、水分だけをパンとはじかせる。両方の裾を同じように乾かした。時間が足らずに脱衣所で出来なかった自分の忍服の裾も同じように力を施す。
 とりあえずの応急処置ではあったが、身支度は整ったので演習場のある山道へと歩を進める。

「一応乾いたのに…なんだか、寒気がするなあ。」
「そりゃ実際寒いからな…でも、湯冷めするぜ。あんた髪濡れたままおろしてっから余計に。」
「髪や肌は痛むから、力は使わないことにしているんだ。」
「そんなに万能じゃねぇんだな。」
「カマタリ呼ぼうかな。」
「…吹き飛ばすどころか、切り刻む気かよ。」
「違うよ、首に巻くんだ。温いんだ、あの子。」
「力の使い方がいちいちおかしいぜ、あんた…。」

 会話をしながら気を紛らわしていたが、経過する時間につれて体感温度は下がる。湯治場付近には旅館やら茶屋、民家などが点在していたが、道祖神を通り過ぎた辺りからは、木々以外には地面を覆う雪しか視界に入ってこなかった。単調な景色が余計に寒い。
 四季のある国で育つシカマルよりも、確実に雪山ではこちらが不利なわけであって。なんとか対策できないものかと歩を進めながら必死に頭を巡らす。

「…そうだ。こんな時に使うんじゃないのか、酒。」
「酒?」

 立ち止まり、シカマルが振り返る。

「飲んでしばらくの内に移動すれば寒くないだろう?それに、荷物も軽くなる。」
「いや、あんなキツイ酒ここで飲んで体動かすのは、逆に酔って大変だろ。」
「そんなに酒に弱くない…はずだ。それに、旅の恥は掻き捨てって言うじゃあないか?」
「つーか、旅じゃねえだろ。」
「私は国境越えてるんだぞ。ともかく寒いのは嫌だ。」

 びゅうっと音を立て、積雪を撒き散らして風が通り過ぎた。これは寒い…というか、むしろ痛い。
 
「飲んじゃえ。」
「…了解。」

 状況に説得させられて、シカマルは荷物から酒瓶を取り出す。火影御用達らしい酒を、自分の水筒のコップ半分ぐらいまで注いだ。

「いただきまーす。」

 味などは考えずにぐいっと一息に飲み干した。アルコール度数の高さのせいで、酒が通り過ぎた喉あたりから尾を引くように熱を持ち始める。シカマルは少し不安そうにこちらを見つめていた。
「…うわ、けっこうすごいな。」
「大丈夫かよ?」
「ああ、確かに温かくなるよ。お前には強すぎるかもしれないけど。」
「飲めるって。」

 こちらが一息に飲んだのを意識してか、シカマルも同じぐらいの量を一息に飲み干した。やはり同じように酒に慣れていないので、少し咳き込む。

「本当に一気に来るのな、コレ…。」
「今日のところは綱手さまに感謝しとこう。じゃあ、出発!」
 
 初めて飲んだブランデーのおかげで、胃の中に篭った熱が体中に広がるようだ。さくさくと雪道を踏みしめて進んでいくと、先ほどの寒さが嘘のように指先までも熱を持ち始めている。

「ああ、あったかーい。」
「酔ってるんじゃねえよなぁ。あんだけで。」
「――あ、あれじゃないか?演習場。」

 自分が指差した方角にライトを向けると、木々の間の僅かな隙間に人工物の壁らしきものが一瞬照らされた。スピードを上げて進むと、頭上を覆っていた木々が少なくなり、前方にぽっかりと広がる空間が見えてくる。前面を雪に覆われた広場は、月の光のおかげでほの白く輝く。
 その空間の奥には、頑丈なフェンスで覆われた演習場の入り口。そして、その脇に見えている古ぼけたモルタル製の二階建てが本日の宿となる管理棟らしかった。

「あれ…隙間風大丈夫かな。さっきの湯治場で宿取った方がよかったんじゃないのか。」
「いろいろ予算削減で、出張費用はできる限り押さえてるんだぜ、ウチんとこも。」
「…ああ、どこの里も大変だね。」

 たどり着いては見たものの、この外観では室内環境が思いやられる。まあ、元来宿泊施設ではないのだが。少し途方にくれていると、ひらひらと舞い落ちるものがあった。

「あ、雪が…。」
「まずいぜ、明日の任務に響かない程度に降ってくれりゃあいいけど。」 
「何れにせよ、今夜は冷えるな…。」




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