ショウ・タイム 9(前半)


21:45 ACT4:幕開け





 外観通りに管理棟の中は冷え込んでいた。時折強く風が吹き付けると、鳥が鳴くような甲高い音が飛び込んでくる。
 一通り棟内を確認して、今は二階にある会議室に落ち着いていた。会議室には事務作業ができる机がしつらえてあり、襖越しにつながっている仮眠室には、唯一の防寒器具である石油ストーブがあったからだ。何はともあれ、ストーブを机の脇に移動させ、火を熾して室内を暖める。

「あーさっきより寒くなってきた…酔いがさめてきたかな。」

 作業机の一番石油ストーブに近い角を挟んで向かい合うように腰掛け、今日の報告書をまとめていると、マントをかぶったまま指先でカイロを握り締め、テマリが不満そうに呟いていた。

「なんでお前は、そんなに寒そうじゃない…?」

 手元の資料から視線を上げ、こちらを怪訝とした目で見据えてくる。こちらはマントは石油ストーブをつけてすぐに脱いでいた。ベストを着ているのもあるし、そもそも事務作業にマントは邪魔だったのだ。

「寒くないわけじゃねぇけど…やっぱりあんたよりは耐性あるんじゃないか。まあ、男の方が体温高いとはいうけどな。…っにすんだ!」

 言葉を返すと同時に、こちらの項(うなじ)にひんやりとした指先を突っ込まれた。
 
「あったかいっていうからさ。」
「人で暖を取るな…。」

 弟が二人いる、いわば男家族に育ったこの人は、こちらが予期しないタイミングでこのようなスキンシップを取るから困る。

「ずるいなあ。」
「…ずるくない。」
「やっぱカマタリ呼ぼうかな。」
「防寒対策で呼ばれる口寄せ動物も不憫だな…。」
「そんなことない。カマタリは私に懐いてるからな。戦闘以外で呼び出せば私の首元で眠るぞ。」
 
 温くてかわいいんだ…でも、カマタリもこんな寒いのはかわいそうだな、とつぶやく。酒も残っているのかどこか上気した表情。湯たんぽ扱いしているイタチの代わりなのか、もういいかげん乾いているであろう髪を無理やりに首周りに巻こうとしている。

「ところでこれ、もうちょっと言い回しを上手く変えられない?」
「どこだ?」

 報告書の結論部分の文言を差しているらしい。こつん、と指差す先に少し目を近づける。
 
「ここ。これじゃあ、確認作業飛ばして無理やりゴリ押ししてるみたいに聞こえない?」
「まあ、実際近いものはあるけどな…。じゃあ、簡潔に現状についての事実を加えて―――え?」
 ぱちん、とあまりに唐突に電気が消えた。瞬時に周りは暗闇に包まれる。

「……。」
「…なんだ?」

 明かりが消えただけで、突然静寂が迫り来たように感じる。
 脇に置かれている石油ストーブの僅かな火の色だけが、おぼろにこの部屋を照らしていた。

「電気切れた?こんなに突然?」
「積雪にやられたか…ブレーカを確認しようぜ。」
「ああ。」

 脇にかけてあったマントを取り、懐中電灯と手回しで発電するライトを持って階下にゆっくりと降りる。
 温められた空気は上に溜まっているようで、1階は外と変わらないほどに冷え切っていた。
1階の入り口脇にブレーカを見つけ出し確認する。果たしてブレーカは落ちていたのだが、戻してやってもすぐに落ちてしまう。

「…制御装置が働いてんな…何か回線に問題が起こってるみたいだ。」
「室内じゃ上の電気しか作動させていないのに……じゃあ、今日は電気がつかないんだな。」
「まあ、石油ストーブは生きてるのが救いだぜ。」
「そだな…それより、電気が止まってるとなると水が凍りかねない。流しておこう。」

 水周りにある蛇口をすべて緩めておいた。しんとした室内にかすかな水音が流れ続ける。

「寒っ。上へいこう。上も寒いけどここと比べればずいぶんましだ…。」
「ああ。」

 戻った会議室は先よりも暖かいように感じた。人心地をついて荷物を漁る。この状態であまり役に立つとも思えなかったのだが、一応光源を確保するために蝋燭を机の上に置きに火を灯す。
 
「…よっく見ると、フツーの蝋燭だぜ。」

 継続時間を重視されたサバイバル用の蝋燭ではなく、いかにも女が行きそうな店で販売されていそうな、メルヘンなパステルカラーの蝋燭なのだ。僅かながらにハーブの香りがしてくる。

「リラクゼーションかよ。とりあえず入れたんだな。使うとはあっちも想定していなかったんだろうが。」
「なんか…貧しい気分になってきた。」

 ふよふよと灯火は揺れる。じっと見つめていると催眠状態になるように眠気が誘われる。
 
「だめだ…報告書はもう無理だよ。寒いし眠い…もう寝よ。」

 仕事はやりきるようなタイプに見えたが、今日は幻術やら移動距離やら環境の差でずいぶん疲労がたまっているのだろう、テマリから終了宣言をしてきた。

「布団とかちゃんとあるのか?シュラフだったら嫌だなあ。」
「先月も泊まった奴がいたんだ、大丈夫だろ…。」

 仮眠室の畳に上がり奥にしつらえてある引き戸をあける。予定ではそこに寝具関係が用意されていると思ったのだが。

「…なんでこれしかない。」
「……。」

 脇から覗きこんでいたテマリが唖然としている。押入れにはぴっちりと畳まれた毛布が一枚。奥のほうには座布団らしきものがずいぶんとたくさん詰め込まれている。天井に近い棚を覗いてみたが、ゴザらしきものと枕投げができそうなぐらいの量の枕はあった。どういう意図なんだ。

「木ノ葉は、こんなところでケチるのか?防寒になるものが毛布一枚しかないじゃないか…。」
「…前泊まったヤツが持ち帰ったんじゃねぇか…。」
「ありえないな…こんな寒冷地帯で…。」
「……。」

 テマリはやたら防寒面で頭を巡らしているけれど、そういう問題だけではないはずだった。
 ストーブは一つしかないしこの寒さだ。常識的に考えれば同じ部屋で夜を明かすのが最良であるはず。この10畳程度の密閉された空間で夜を空かさないといけないというのがやたら自分にとってはプレッシャーになっていた。もちろんお互い野営はなれている。テマリだって弟以外の忍と夜を明かすこともあるだろうし、自分だって同じだ。

「…じゃあ、お前がこれは使え。」
「いいって、あんたが使えよ。寒いんだろ。」
「やだね、なんでお前に譲られないといけないんだ。」
「…女なんだから、おとなしく受け取っておけって。」
「男女とか関係ないだろ?この寒さで…。」

 口をつぐんだテマリは毛布を受け取ることもなく、考えをめぐらすように亡羊として虚空を見ていた。そしてゆっくりこちらに視線を移す。
 遠くの蝋燭とストーブの火の暖色の光が仄かに揺らめき、窓からは月の光が雪を反射させて届く部屋。その表情はぼんやりしていたが、こちらに注がれる視線ははっきりと分かった。髪をおろしているのもあって普段よりも虚ろな印象を受ける。
 ぱち、と灯火が塵をはぜる音が響いた。急にぞくりと緊張する。環境や状況は常ならないのはもちろんだが、何だか今日はテマリとの距離感がつかめない。普段よりそこに確固としてある距離が狭められている気がしていた。まずい。なるべく距離をおきたい。
 
「…交代で眠ろうぜ…。」
「宿泊施設なのに?いや、酒飲んで暖かい内に寝てしまえば…。」
「あのな、さっき反動で寒かっただろ?朝には二人とも凍死だぜ。」
「……じゃあ、もう、一緒に使えばいいよ、これ。」
「。」

 今度はこちらが呆然として見つめ返す番だった。どこまで本気で行っているのかわからない。訝るように視線を返すが、あくまでも真面目な面をしている。

「1枚しかないのに贅沢はいってられないさ、この寒さだもの。なるべく近くにいた方がいいよ、密閉された空間の温度なんて人の数と体温が決めるんだからな。」

……誘われてんのか?
 思わずかなり飛躍した解釈が頭に浮かんだ。テマリは今の状況を確かに理解している。ただしその意図が読めない。
 深々と雪で埋もれているであろうこの人気の無い山中で、沈黙がことさらに重い。考えなしに返した「今夜は長い」なんという数時間前の自分の台詞がうらめしい。本当に、温泉のときからこの人は素なのだかこちらをからかっているのだか分からない。

「…お前、どうした?」

 思考の回廊で悶々としていたら、いつのまにやら至近距離の位置からのぞき込まれている。こうやって覗き込まれるのは本日二度目だった。

「寒いんだろ?やっぱり湯にあたってたのか?…煽って酒を飲ませてしまったから?」

 熱を測るように額に手をあててくる。温められたせいで、先よりは暖かく感じる手のひらの温度を額で感じながら、やはりいつもよりも近くにある存在に当惑する。髪を下ろした様子はやたら無防備に見える。温泉で必死に視界の外に追いやろうとして、それでもしっかり目に入ってしまった白い腕や首やら鎖骨やらがオーバーラップしてくる―――。
先刻、旅の恥は掻き捨て、と言ったのはこの人だった。

「お、い…?」

 無意識に額に当てられていた手をつかんでいた。輪郭が暗闇に融けてはいるが瞳の距離は明瞭だ。体温を直に感じながら、その手を掴んだままゆっくりと下ろす。
 先ほどのテマリの台詞はあながち嘘でもなくて、そら寒い空間の中、この距離であれば人間の体温は空気を介してでも伝えられてくる。この人だってそれは感じ取っているはずだった。
 空いている一方の手を、マント越しの肩に置き、今度は逆にこちらからその目を覗き込む。
 
「あんた、本当に…」

ばさり、と、大きな音が掠れがちに紡いだ言葉に被さってくる。

「…雪が、落ちたかな。ずいぶん大きいな。」
「……オレ、ちょっと見てくるわ。あと、下に何か防寒具になるものがないか探してくる。あんたは二階を探してくれ。」

――あっぶねぇ……。
 振り切るように仮眠室から階下へと向かう。物音がしなくても、少し外の空気に当たりたい気分だった。
 さらさらと水音が響く、相変わらず極寒の入り口のホールからドアを開ける。木造の扉は、横殴りに吹き付けていたらしい積雪のせいで、ずっしりと重たい。
 屋外はここに到着した時から2時間も経っていなかったのに、ずいぶんと積雪は高くなっている。篭った熱を追い出すように、ぶんぶんと頭を振る。
 気づけば、雲が流れてしまった空には、月が輝いていた。是幸いと懐中電灯に頼ることなく、先ほど音がした方角を目指し、積もった新雪をかき分けて管理棟の外周を移動していく。外周の半分は雑木林に突入してしまうため、少し迂回して木々の間に入ら無くてはならなかった。
 ふ、と気配を感じた。自然と任務時の緊張感があふれる。自分の気配を消して、神経を周囲に研ぎすます。
――いる。
 生き物の気配がある。音を発することなく、ゆっくりと自分が察知した気配の方向へと移動していく。やっと視界に入ったそこには、木々から落ちてきたと思われる降雪がどっかりと山になっていた。先の音源はこれだろう。そして、その陰には――。

(これは…。)


※ ※ ※


「で、お前の里の連中は一体何を考えているんだろうねえ…?」

 仮眠室に移動させたストーブを囲み、先ほど手にいれた一枚の紙を見るなり、テマリは明らかに軽蔑の色を露わにしていた。
 紙を見せる前に自分が忠告した通り、声は落とされていたが、そこには怒りも存分に含まれている。もはや先ほどの親密な雰囲気は今やもう微塵も残されていない。

「…オレは悪くないぞ。」
「お前の里だろう、主体性を持て。首謀者はだれだ?」
「五代目だろう……こんだけ力割けんのは。」

 どうやら自分たちをネタにして賭けているらしい一枚の証拠物品が床に広げられている。配当表に給与やらへの言及がある以上、それなりの上位決済者が関わっているのは明白で。そしてそれはそちらの方面では、他国にまで名前を馳せている里の代表で間違いないだろう。

「この注意事項を見ていると、絶対上忍も数人加わってるな。」
「だろうな。五代目が主催だからな…。」
「で……これ、どうやって進捗してくんだ?」

 ぐっと音声を落として、こちらに顔を近づけて言葉を発する。伝達のハヤブサが往復しているはずだから、それを受け取る人間が張り付いているのは確実だった。

「暗部あたりの定時の報告だろうな。」

 言葉を聞くなり、テマリはゆっくりと視線を窓の方向から天井あたりへと流す。今は気配はないが、あちらは専門である。本気を出せば、気配を自分たちが感づくこともできないかもしれない。

「ったく…里に戻ったら、妊娠の疑惑ありって訴訟問題にでもしてしまおうか。涙ながらに訴えれば事実は無くとも慰謝料請求はできるな。なあ、奈良君?」
「里でのオレの立場は…。」
「知るもんか。博徒な代表を恨め。」
「どう転んでもオレは損な役回りなんじゃねぇか…。」
「はぁ…今度、我愛羅に真剣に同盟のあり方について検討してもらわないとな。」

 今までとは色合いの異なる重たい沈黙が流れる。

「なんだかやっぱり腹立ってきたな。」
「…そうだな。」

 こちらを睨み付けるように見据える相貌は、ギラギラと輝いている。

「出し抜きたい。」

――負けず嫌い…。

「おい…作戦会議といこうじゃないか。」
「…ああ。」

 テマリは机に置いたままだった報告書を取り、会議室との仕切りである襖を引き出していく。会議室と仮眠室を完全に別の空間に分け終えて、窓と会議室から一番死角になる部屋の角へとオレを誘導した。

「もっと近く寄れって。声が漏れるだろう?」

 ストーブを経て対面する位置にいると、隣の位置を指さす。抵抗もできずに真隣に腰をおろした。
 
「念のため、な。カムフラージュするぞ。」

 毛布を一緒に羽織るようにして、報告書に混ぜこんでオッズ表を持ち出す。端から見れば仲良く書類を見ているように見える…はずだ。
 室内は風の音が時折聞こえるのと、先ほど蛇口をゆるめておいた水音が階下から聞こえるぐらいだ。声は囁くようにしていれば、そんなに響かないと思われた。 

「これ、どれだけ…誰が参加しているんだ?」
「…予想できるのは、五代目、シズネ先輩、たぶん確実にイズモ、コテツたちはいるだろうな。」
「他は?」
「ん……力関係的にヤマト隊長と、カカシ先生ぐらいが巻き込まれてっかも。」

 いつか、五代目がカカシを指して、ああいう運気がなさそうなのをカモっていうんだよ、なんて嘯いていたのを思い出す。

「ふーん…。じゃあ、そのメンバーだとして、どこに賭ける人間が一番少ない?」
「ぇえ?」
「私としては、お前が腰抜けだと報告させたいところなんだけれど?事実のままじゃ出し抜いたことにならなからな。」
「おい…。」
「何か文句が?」
「…ない。けど、出し抜くならばオッズが低いところがいいぜ…。たぶん、誰が参加してようが、五代目の博打魂が参加者を高配当に導くはずだから。」

参加するであろうメンバーを頭にシミュレーションしながらテマリに説明をしていく。

「へえ、なるほどな。」
「五代目はきっと最高配当の『い』にかけんだろうな。」
「じゃあ、『に』だと思わせればいいわけだな。まあ、ハードルが低くて楽だな。」
「さいですか…。」

 窓の外でバサリ、と先よりは控えめな音がした。テマリは視線は手元の用紙に落としたまま、腕を絡ませてくる。
 口をこちらの耳元に寄せより一層低く、ゆっくりとこちらにだけ聞こえる声で囁く。

「……気配はないな。よし、作戦開始だ。夜は長いっていったのはお前だろう?最後までつきあってもらうぞ。」

 至近距離のその瞳は、ゆるい炎の光に照らされて澄んで煌めいて見えた。背筋あたりがぞわり、としたのは、これから始まる長い一晩への…恐怖なのか何なのか。 
 




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