ショウ・タイム 9(後半)
0:03 ACT5: SHOW MUST GO ON!「…シカマル。ちょっと酒を飲みすぎたみたいだ…外の風に当たりたい。付き合ってくれないか?」
今までの低く静かだった声音とは一転して、普段よりも少し高めのその口調。いささか唐突ではあったが、この静まる管理棟の中でよく通った。
「――ああ。大丈夫か?」
「肩、かして?」
無表情なその面からは、拒否を許す気は毛頭ないという彼女の気迫が伝わってくる。
ただでさえ古臭くて狭い階段を、テマリの肩を支えながら降りる。再び重い木のドアを押し開け、外に出る。
「わあ、すご。」
一面の積雪を見て、テマリが素直に感嘆していた。吐いた息は真っ白になる。
先ほどは雲が見当たらなかったが、今はまた天の半分ほどを占めてきており、月明かりの中をゆっくりと雪が舞い降りている。
「…気配がしない…。」
「こんだけだだっ広い空間だと、身も隠しにくいだろ。こっちだ。」
月を眺めながらのそぞろ歩きの体で、ゆっくりと肩を担ぎながら、先に一度通った道をたどる。
細心の注意を払い、ぼそぼそと囁きだけで言葉を紡いでいく。先刻、あの証拠品を手にした場所に到着した。
「…いんなら、こっちだろうよ。」
管理棟の半分を囲うように木々が点在しているので、身を隠すとしたらこちらの可能性が高い。
酔っているという演技なのか、テマリは少しふら付くようにして山となっている新雪をもてあそんでいる。見慣れぬ雪を楽しんでいるように見せて、視線は点在する木々をするすると掠めていた。
「そうだな。…じゃあ、少し…じっとしとけよ。」
「?」
ぼそりと言葉を残し、テマリはこちらの正面に向き合う位置からそのまま自然な流れで胸に飛び込んできた。言葉の意味を図り兼ねて疑問符と格闘していた頭が、力を込められて伝えられる体温に一瞬真っ白になる。
「…もうちょっと、顔近づけろ。」
「え…。」
正面から首の後ろへと回された両手に、ぐっと力を込められる。
「位置は…斜め下を向くように…そう、しばらく静かに…。」
マント越しの彼女の掌は、優しく背にまわされているようでいて、力を込めて的確に指示を出してくる。
「最初は、あちらに握らせてやるのさ…ところでお前は、もう少しちゃんと協力できないのか?」
「協力って…。」
「私が一方的に抱きついているだけじゃダメだろ。っとに、こういう時に使えないな。」
――こういう時って何だ。
心中で文句を言いつつ、煽られるままに、こちらからも両手をゆるゆると彼女の背に回した。この状態ならば、どこからでも目に入れば確実にそう認定されているはずだ。
しばらくは二人して無言のまま、周囲の気配に神経を巡らせる。けれど僅かなりとも不協和音は感じられない。お互いの呼吸音だけが耳に飛び込んでくるような状態で、降雪の音が耳鳴りとして聞こえてくるようだった。
あまりの静けさにぼうっとしていると、くいくいと背に力がかかり、空中に拡散されかけていた意識がテマリの温かい指先に集中する。
「耳、すませて……。」
「……。」
じんわりと染み込んでくる体温に行きそうになる意識を、無理やり聴覚へと集中させる。全体が自然で構成されたこの空間では、暗部とはいえ人の動きは異物として目立つはずだった。
「……カメラ。」
「……。」
キン、と、超音波のような人工物の稼動する気配を感じ取る。
「…そんなもんまで…。」
ぐっと両手に力が込められたのは、指示でもなく怒りなのだろう。先ほどから顔も見えず、声音は限りなく低く抑揚のないものだったが、その分触覚が彼女の感情を伝えてくれている。
「…右上。」
「ああ、けっこう高い…。」
こちらに預けられていた顔を離し、囁きだった声を少し大きめに戻す。
「やっぱり、とっつかまえて、洗いざらい吐かせてやろうか…。」
「やめろって…。」
この仕組まれた状況をどうやら証拠映像として納められているらしいことを知り、テマリは怒り心頭だ。
「勝負をぶち壊してしまえば、すべて無駄足になるだろ。ちょっと扇取りに…。」
「やめろって。力技でぶち壊すよりも、こっちが嵌めてやる方がいいだろうよ?」
「……まぁ、な。」
「もう、さっきので証拠は一つつかませてるんだからよ、大人しくしとけば諦めて切り上げるだろ…あっちだって人間だ。」
あくまでも第三者の視線を意識することは忘れず、なんだかむくれているテマリの両肩に手を移してなだめる。暗部だってこんな状況だ。国に関わるような任務でもないのだから、証拠さえつかめば退散するだろう。
「ここは寒い。もう戻ろうぜ。」
放置しておけば暴挙に出かねない彼女を、そのまま肩ごと抱えるようにして有無を言わせずもと来た道を戻る。逃げ込むように扉の中に入ると、自然とため息が漏れた。
「なんか、スッキリしない…。」
納得のいかないような顔で、テマリは玄関部分の段差に腰掛けている。
「まぁだイラういてんのかよ…。もう上に上がろうぜ…。」
「……なあ、喧嘩のふりして、うっかり雑木林なぎ倒そ?不慮の事故ってことで。」
再びの議論にため息をつきつつも、説得のためにテマリの隣に腰を下ろす。
「そういうダメージ与えなくても…じっとしてればあきらめるって。」
「ただじっとしてるのも…つまらないじゃないか。」
「…つまらないとかそういう問題じゃねぇだろ。あんなうそ臭い芝居をまだ続けるのかよ…。」
「………。」
口を結んで押し黙っていたテマリは、意を決したように口を開いた。
「本当のところ、お前はどうしたい?」
苛立ちなどは感じられない、真剣な表情だった。
「こんな…弄ばれているようなもんだぞ。見返したいとか思わないのか?」
「いや、そこまでは…確かにむかつくけどよ。」
「面白くないヤツだな……こんな据え膳を用意されているのに。」
「?」
思わぬ話の流れに思考が付いていけない。気づけば視界が反転し、床に倒れた状態でテマリを上に見上げていた。
「…何、する…」
「何って?最後までやっておいて、虚偽報告するのも出し抜いたことになるよな…?」
「……!」
一度消し去った、まずい雰囲気が再びここにあった。テマリの表情は感情を感じられないものではあったが、こちらを射るように見据える瞳の力がやたら強い。
「嫌……?シカマル。」
「…いや、じゃ…。」
決してないはずだ。そうではなくて。このまま流されるのは不味いと頭の片隅ではわかっていても、真正面から捉えられて、顔を近づけられると一切抗うことができなくなる。
「っ。」
ふっ、と耳元の至近距離から温かい息を吹きかけられた。
「なぁんてね。私の演技力もなかなかだろう。馬鹿にするな。」
ぞわぞわとした気分がさらに煽られ硬直している間に、今までの色めいた表情ではなく、あっさり普通の表情に戻ってにたりと笑っていた。
またからかわれたのだ。うそ臭い芝居、といったことへの反撃らしかった。きっと、今までの苛立ちを発散させたかったのもあるのだろう。
もちろん自分だって苛立ちはずいぶんあった。理解はできる。けれど、あの博徒なメンバーにネタにされていることはもちろんだが、こいつの幾度となく繰り返される、こちらの弱みに漬け込んでからかう姿勢に対してもずいぶん鬱積された気分になっていた。
思考より先に手がテマリの肩を掴む。逆に、下に組み敷いる体勢に持ち込む。
「…ちょっ…。」
「いいかげんにしろよ。」
男に力で組み敷かれてもこちらを強く見据えてくるテマリ。強情な様子に、掌を視線を遮るように双眸の上に置いた。
どうしてくれようか。
「な――。」
いつもの表情豊かな瞳が見えないことで、その心情を汲み取ることはできなかったが、体が緊張しているところを見ると、自分が何をされようとしているかは理解しているようだった。ぞわぞわと加虐的な気持ちになり、口元が緩む。
ゆっくりと顔を近づけ、外気に冷やされてしまっていたそこへ、精一杯に口付ける。
「今日はこのへんで勘弁しとけ。」
「…なに、威張ってんだ、お前。」
唇で触れられていた砂の額当てを掌で隠すようにして、憤慨している。少し気分が晴れてくる。
「挑発するから悪ぃんだ。」
「負けず嫌いか、お子様め。」
「一瞬、本気でびびってたくせに?」
「そんなことはない!」
「だいたい、こんな設えられた舞台で――。」
「…そうだ。人をネタにしやがって!」
気を紛らわせるはずが、別の方向へと火に油を注いでしまったようだ。まずい、と悟った時には、テマリは体を起こし、入り口の脇に立てかけられていた彼女の得物を掴んでいる。こちらの静止を振り切って、威勢良く扉の外へと駆け出した。
「おい、待てって…!」
「離して!」
なんとか、扉を開けてすぐに、夜討ちをかけるような勢いの彼女を捕らえることに成功する。手は捕らえたままだったが、的確な誘導で、引きずられるように再び裏側の雑木林に迷い込むことになる。
表に飛び出したことで、陳腐な芝居の幕は再び強制的に開けられていた。
「……オレが、悪かった…。」
半ば本気で、この人の暴挙を押さえ込むようにその両肩に手を回す。
「…謝って、済むと思ってるのか?信じられないね…お前なんか。」
「おい…!」
テマリは、怒りを堪えるように顔を両手で一瞬覆ったかと思うと、呼吸と一緒にぼそりとこちらへの忠告を投げてくる。
「よけろよ。」
「!」
ぱしり、とオレの両手をふりほどいて歩幅一歩の距離をとり、逆側へと跳躍する。
「来るな!」
シュッと空を裂く音と一緒に、こちらの背後の木をめがけてクナイを放ってくる。忠告のおかげで危なげなくこちらも木の枝へと跳躍して避けることができた。もうめちゃくちゃだ。
「そこかッ!」
こちらに二撃目を狙っているポーズはとりつつも、気配が感じられた木の上部へとクナイを放つ。
「やめろ…あんた酔ってるんだ。危ねえっ!」
静止の言葉は本気だったが、この劇が破綻しないようにフォローも入れる。
そんな自分の配慮は他所に、テマリは片手にしていた扇を構えようとしている。こちらに制裁を与えるフリをして、的確に雑木林を狙ってやがる。冗談じゃない。
「カマイタチ――。」
「やめろ!」
扇を大きく降りかぶった途中で、なんとか影と体を使って動きを止めた。扇ごとテマリを抱きすくめしっかり自陣内に囲い込む。
途中までの余波のせいで、新雪がぶわっと見事に舞い上がり、きらきらと月光を反射させながらふりそそがれた――いくらなんでもやりすぎだろう。
「…おい、ふざけんな…。」
「大丈夫、お前を避けて発動ぐらいできるさ。」
少し息が切れた状態なのを押し込んで、心からの文句を伝えたのだが、あっけらかんと返される。
「しつこいっ!」
オレの腕をふりほどき、かなぐり捨てるように逃げようとする。
客観的に見れば、痴話喧嘩をしながら追いすがる情けない姿に見えるのだろう。本当に、いろいろな事柄が重複して面倒すぎる状態だ。
けれど、少しでも襤褸が出たら今までの体を張った三文芝居は台無しになる。もういい加減に、なんとかして、この人の暴走を止めなくては。
全力の力でその走り去ろうとする片手を取り、必死でこちらへと振り向かせる。
「――頼むからっ、もう一度、戻ってきてくれって!」
いろいろひっくるめてしまったせいで、まるで哀れな台詞を精一杯に叫んだ。
追いすがるように片手をとっている状況も併せて、目一杯、切羽詰ったような声音の自分。迫真の演技にも見えるが、我に返った自分が一番ダメージを受ける。
正面でオレの台詞をぶつけられたテマリは、一瞬目を見開いていたが、急にがばりとこちらに抱きついてくる。
「……シカマル。」
思い切り顔を埋めるその肩は、泣いているかのように震えている。
ほだされて元の鞘にもどったような演技ではあったが、実際のところ必死で笑いを堪えているらしい。
なんだか釈然としないが、こんなこっ恥ずかしい寸劇までしてしまって、まさか途中で降りるわけにもいかない。後悔だらけの精神状態で、なだめるように未だ小刻みにぷるぷるしている肩に手を回した。
「…戻ってくれるよな?」
言外に、頼むから、と願いを込める。
「…ああ。」
再びひきずるようにテマリを誘導する。そのまま、詰め込むように室内に入れた。
「ふっ…くっ。」
バタンと、ドアが閉まるなり、テマリは再び笑いを押し殺している。
「勘弁してくれよ…。」
「いや、あんな台詞なかなか聞けるもんじゃない…お前はすごいよ。」
「忘れろ…。」
考えて口にしたのではなく、思わず出てしまっただ台詞だっただけに始末が悪い。逃げるように二階への階段を上る。
外に出ていたのはそんなに長い時間ではなかったはずなのだが、たどり着いた仮眠室を懐かしくさえ感じた。体を思い切り動かしたおかげで室内は先よりもずっと暖かく感じた。
「さて、すっきりしたし、後は籠城といこうか。」
「お手柔らかに…。」
「よし、持久戦だな。負けないぞ。」
※ ※ ※
結局、毛布を一緒にかぶった状態で、明日の資料を見るようにストーブを囲んで時間をやり過ごした。時たま眠気に襲われたが、会話を交わすことでなんとか凌ぐ。
ずいぶんと長いことこの単調な状態を続けていると、もう夜明けも近いであろう頃合いに、明らかに屋根上方にあった気配が消えた。
「……やっといなくなったなあ」
ふわあ、と欠伸をかみ殺しながら、テマリは読んでもいなかった書類を放り投げる。
「いや、でもこんな寒い…もう夜明け前まで…暗部もご苦労なこった。」
「まあ私たちの粘り勝ちだな。出し抜くのも、なかなかしんどい……もう、寝よ…。」
「……おい?」
「少しでも、寝て、今日は、任務やらないと…。」
かぶっていた毛布を引っ張りつつ、いくつか引きずり出していた座布団と枕をぽんぽんと整えている。
「…このまま寝んのか?」
「別に気にしないから。寒いし、近くにいた方があったかいよ…。お前も横になれば?」
彼女はそのまま丸まるように床に横になった。あらんことか、くいくいとこちらのマントを引っ張り、同衾を促してくる。
「気にしないって…あんたいいかげんに、オレを…。」
「カマタリ呼ぼうか。」
「――だから、口寄せ動物を湯たんぽにするのは…。」
「違う…あの子は私の絶対防御だからな。いざとなればお前を斬るだろ…。」
「……。」
「だから…あきらめてお前も寝ろ…。」
言い終わったかと思いきや、ものの僅か3秒。マントを引っ張った姿勢のまま、ふっと意識を失うようにして、軽やかな寝息を立てている。
あまりに呆気なく、長い芝居は終わりを迎えたようだった。
呆然としつつも、マントをつなぎとめている手をはずすような気力も起こらず、半ばやけっぱちな気持ちでそのまま横になる。和みきった寝顔はやはり近くて、吐息がやわらかくこちらの首元にかかる。
結局一連のこの騒動は自分にとって何だったんだろうか。たいそう不甲斐なく、悩ましい限りなことばかりなのだが、思考力もあまりない。
ぼんやりとした拮抗状態から、自分がやっと睡魔を感じるようになったのは、窓から見える空が朝日を感じさせるように、うっすらと白を帯びてきた時間帯だった。
※ ※
※
ばさばさと威勢の良い羽音に意識が覚醒していく。いつ眠りについたのか、そもそも眠っていたのかも分からないような感覚だった。
「おはよう、シカマル君。」
「……?」
柔らかく差し込む朝日の中、覚えている限りの距離よりもさらに近く、それこそ体が触れそうな距離からテマリが頬を叩いて来る。
急激に覚醒していく頭で、やたら愉快そうな顔をしている彼女から目を逸らすことができない。
何故にこんな状況にある?
「目、覚めた?お前よっぽど寒かったんだな、私が目覚めたらまるでコタツの猫みたいに体寄せてんだもの。」
「…ぇえ…?」
「無防備すぎるぞ?でも、ずいぶん可愛かったから、許す。」
心底楽しそうに笑っていた。色々なことに衝撃を受けて口を開くこともできずにいると、また壁にぶつかるような羽音がした。
「あ、そうだ。木ノ葉から伝令みたいだな。」
余韻など一つも残さずテマリは毛布から抜け出し、霜で覆われた窓ガラスを開け放つ。ひょい、と狙い済ましたように伝令を足に括り付けられた木ノ葉のハヤブサが、体を起こしたばかりの自分の腕の上へと降り立った。早くしろとばかりに、腕の上でジャンプをしてくるので、急いで足にある伝令書を取ってやる。
こちらが印を解いたのを見届けると、ハヤブサはまた窓の外へと飛び立っていった。
「賢い子だね。で、何て?」
木ノ葉の伝令なのでテマリには開封も解読もできないのだ。開いた封書にざっと目を通す。
「…あー、あんた弟さんから急ぎの召集がかかってるらしいぜ…。で、オレも次の任務が前倒しになるから、予定の演習場確認は延期させるんだそうだ…。」
「なんだか、とってつけたようだな…。」
「…まぁな。でも、我愛羅が噛んでるんならあんたの方は本当だろう。」
「それもそうか。」
「睡眠不足だからな、今日の任務がチャラになってよかったぜ…」
「お前は朝からやる気がないなあ。」
そのやる気の無さにがっつり一役買っている人は今日もマイペースだ。誰のせいだよ、とはまさか口に出しては言えるハズがないが。
「よっし、雪も止んで日差しもけっこうあるな。午前中に木ノ葉に戻れるようにさっさと出発しよ。」
「…あー。」
-ショウ・タイム10へ-